第二十八話 これもみんなのため

「交渉は決裂だ。ゆっくり狩り出してやるから覚悟してろ」
「待て! …わかった。取引しよう」
 さっきまでの少女のものとは違う、低いが張りのある声が響き、通信を打ち切ろうとしたブリンドーの動きが止まった。
 その声は姿勢制御ユニットとハワードとの交換を申し出てきた。時間と場所の指定付きで。
 妙な真似はしない方がいいと忠告をした上で、ブリンドーはその条件をのんだ。
「それじゃあな。楽しみにしてるぜ」
 話がまとまり通信機のスイッチを切ると、ジルバが懸念を示した。
「でもだいじょぶかい、ブリンドー? 滝の下なんて、きっとあいつら何かたくらんでるわよ」
 それを笑い飛ばしたのはボブだった。
「心配することねえって。相手はこいつとおなじ子供だ。何ができる」
 二人の会話を聞きながら、しかしブリンドーは厳しい表情を崩さなかった。
 その後、湖のほとりで一人月を見上げながらブリンドーは何年か前のことを思い出していた。
 そのときブリンドーはこの前までいたのとは別の監獄にいた。とある囚人を脱獄させるという仕事を請け負い、そこに入るためにわざと捕まったのだ。
 手はずが整うまでとりあえず目立たないように、模範囚でも問題囚でもない態度で適当に過ごしていたブリンドーの元へ、ある日看守がやってきてある仕事をするようにと言った。
「俺に、ガキの相手をしろ、だと?」
 冗談としても出来のよくないその命令に、ブリンドーはつばを吐いた。
「ガキではない。訓練生だ」
 その看守は普段から規則と規律をたてに色々とうるさいことを言う面白くない奴だったが、その時もそうだった。神経質にブリンドーの言葉を訂正すると、重ねてこう言ったのだ。
「分かっていると思うが、お前に拒否する権利はない」
 舌打ちをしながらブリンドーはその看守について牢から出た。仕事のことがある。いつまでも逆らって目をつけられるわけにはいかない。
 それに決行の日までの暇つぶしくらいにはなるだろうとも思ったのだ。
 看守が告げた仕事とは、とある宇宙飛行士訓練学校の生徒の特別訓練の相手をしろというものだった。
 宇宙船がハイジャックされ、人質が取られた。人質の救出と宇宙船の死守。それが生徒に与えられた課題。そしてブリンドーの仕事とは、ハイジャック犯として生徒と対決するというものだった。
 シミュレーションシステムにつながれながら、ブリンドーは鼻で笑った。どうにも馬鹿馬鹿しい。
 何が宇宙飛行士訓練学校だ。最高峰のエリート学校の生徒だという話だったが、どれほど優秀な宇宙飛行士を養成するのだとしても、わざわざ犯罪者を訓練にひっぱってくる必要がどこにあるというのか。
 宇宙飛行士。いったい「何のための」宇宙飛行士だというのか。問うたところで答えられない類のものに違いない。
 そして何のための訓練生であるにしろ、自分が10歳かそこらのガキの相手をするということも滑稽としか言いようがなかった。
 まあいい、とブリンドーは舌なめずりをした。自分がエリートだと思い上がっているガキのその高く伸びた鼻をへし折ってやるのも悪くはない。
 そしてブリンドーは何人ものガキの鼻を折った。どのエリート様も、相手にすらならなかった。怯えて萎縮して、交渉すらできぬままブリンドーにその胸を撃たれておしまい。あまりの手応えのなさに、ブリンドーは暇つぶしにすらならないとうんざりしていった。
 ところが、たった一組だけ人質奪還に成功したチームがあったのだ。ブリンドーを出し抜いて。
 ミッションコンプリートを告げるコンピューターの音声にブリンドーは歯ぎしりをこらえられなかった。むろん、本気で相手にしていたわけではない。それでも自分がガキにしてやられるなど耐え難い屈辱だった。
 その生意気なガキの面をブリンドーは見ていない。さすがに訓練生と犯罪者を直接会わせるわけはなく、対決とはコンピューターの仮想現実の内で行われたものだ。用意された舞台である宇宙船や相手の姿が本物のようにリアルに感じられはするが、それはコンピューターに登録された映像に過ぎないため、ブリンドーにはどのガキも同じ姿で見えていた。相手のガキどもにもブリンドーの本当の姿は見えていないはずだ。
 しかし、声だけはそのままだった。交渉にしろ駆け引きにしろ、生のやりとりでなければ意味がないということだろう。ゆえにどのガキもブリンドーがちょっとすごんでやっただけで、ろくに口をきけないほどうろたえ、怯えきってまともな言葉が出てこなかった。
 それなのに、その成功組だけは違った。全く怯えた様子を見せないばかりか、ブリンドーの意表をついて人質を奪還したのだ。
 さっき通信機から流れてきた声は、そのとき聞いたものの一つによく似ていた。昔の方がやや高くはあったが、あの尊大にすら聞こえる調子が同じだ。もし本当に同じガキなら、神とやらもなんと粋な采配をすることか。いや悪魔かもしれないが、どちらにしても面白いことになった。
 もし本当にあのガキなら。
 今度こそたたきつぶしてやる。
 あの時の自分は本気などではなかったのだと、心から思い知らせてやろう。
 夜の闇の中でブリンドーの口の端がナイフのような形をとって、あがった。

→カオルVer.の話も読む/終わり

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