雨の日で10題...2  09. 水彩のアジサイ (遙か)

 幼稚園のお絵かきタイム。
 今日のお題はあじさい。
 幼稚園の庭にはあじさいが植えてあり、今が盛りのそれが教室からよく見えたので選ばれた題材だった。

 望美はクレヨンを片手に、小さい丸を一心不乱に描いていた。
 あじさいは、お隣の将臣くんと譲くんのおうちにも咲いているから、望美もよく知っている。だから、ちゃんと上手に描きたかった。
 あじさいは小さい花びらがたくさんある。その小さい花びらを一枚一枚、丁寧に描き、画用紙を埋めていく。花びらをたくさんたくさん、もっとたくさん。
 画用紙に顔をくっつけるようにて一所懸命描いていた望美はふと顔を上げて愕然とした。
 あじさいの花びらは、望美の頑張りで、たくさんたくさんたくさんたくさん描けていた。画用紙いっぱいに花びらが広がっている。画用紙にはもう、一枚の花びらも入らない。

 そう、望美の画用紙は、あじさいの花びらだけで一杯になってしまったのだ。

 ピンクの小さな丸で埋め尽くされた画用紙は、描いた望美にでさえ、それがあじさいを描いたものだとはわからなくなってしまっていた。
 がっかりして隣を見ると、将臣がクレヨンを投げ出していた。もう、描けてしまったらしい。
 自分が失敗してしまっただけに、将臣がどんな絵を描いたのか、望美は気になった。
 見せて欲しいと頼むと、将臣はあっさり画用紙を寄越した。
「これ、あじさい?」
 望美が首を傾げると、将臣はつまらなそうにそうだと言った。将臣はあまりお絵かきが好きではない。
「ちゃんとあじさいに見えるだろ」
 それでも一応、将臣はそんなふうに主張した。望美はまた首を傾げた。
 将臣の画用紙には、青い丸が真ん中に大きく描いてあった。その回りを少し小さめの緑のゆがんだ丸が取り巻いている。
 多分、青い丸があじさいの花で、緑のゆがんだ丸は葉っぱなんだろう。
 そうとわかって、望美はまた少し落ち込んだ。
 非常に大雑把な描き方だけど、それでも将臣の絵はあじさいに見える。だから望美より将臣の方が上手に描けていると思ったのだ。

「譲くん、あじさいの絵、かいて」
 家に帰ると望美は早速お隣へ遊びに行った。そうして譲をつかまえるや否や、そんなお願いをした。
 譲はよく彼の祖母と花の世話をしているから、自分より、将臣より上手かもしれないと思ったのだ。
「あじさいのえ?」
 突然のお願いに、戸惑いながら画用紙とクレヨンを受け取った譲は、それでも描き始めれば迷わなかった。
「あじさいは、小さいお花がいっぱいあつまっているんだよ」
 そう言いながら、望美がしたように花びらをたくさん描いていく。
 望美と違うのは、一枚の花びらを散らすのではないことだった。何枚かの花びらをつなげてちゃんと花の形をつくり、そうして描いた小さな花を増やしていく。
 花びらの形も、丸よりは四角に近かった。
 やっぱり譲くんはちゃんとお花を見ているんだと、望美は感心しながら譲の手元をのぞき込んでいた。
 小さな花がたくさんたくさんたくさんたくさん描けた頃、譲と望美は同時に首を傾げた。
「これ、あじさい?」
 感心したのも束の間、望美は将臣の時のように首を傾げた。
「へんになっちゃった」
 そう言った譲の声がゆがんでいたので、望美は慌てて上手だよと譲の頭をなでた。
「あじさいに小さい花がたくさんあるなんて、わたしは知らなかったもん。譲くんはすごいね」
 望美の気遣いが間に合ったのか、譲は涙をこぼさなかったけれど、不服そうに口を引き結んでいた。自分の思ったように描けなかったのが悔しいのだろう。
 譲のあじさいは、小さな花がたくさん集まってできていた。けれど、それはあじさいには見えなかった。なぜなら、小さな花が集まって作っている形がひどくでこぼこして不格好だったからだ。本物のあじさいもでこぼこしているけれど、これほどじゃない。
 望美ですらそう思うのだから、望美よりあじさいのことを知っている譲は余計にそう思うのだろう。
 結局その日、譲の機嫌は治らなかった。

 

「――あのとき、私、譲くんのこと泣かせちゃったんだよね?」
「泣いてませんよ!」
 望美の記憶違いを、譲は慌てて否定した。
「すねてはいたかもしれませんが、泣いてません」
「そうだっけ? ……そうかも」
「そうですよ」
 こと記憶力に関しては自分より年下の譲の方がしっかりしていることを望美はよく知っていたので、自分の記憶に拘ろうとはしなかった。譲がそう言うのならそうなのだろうと納得して引き下がる。

 遙かなる時空から譲と二人で戻ってきて、望美が最初にしたことは、譲の祖母の遺品を見せてもらうことだった。星の一族だった彼女は、白龍の神子である望美に会うために時空を越えた。そんな思いがけない事実を知って、望美は――譲も、彼女の思い出を改めて辿らずにはいられなかったのだ。
 けれど彼女の遺品は、やはりというべきか彼女自身のものというより、望美たち三人に関わるものばかりだった。子供のころのつたない絵や工作まで出てきて、二人は懐かしさと同時に、彼女の眼差しのあたたかさを思い起こし、それにひたった。

「あれ、こっちの絵はなんだっけ?」

 先ほどの三枚と同じあじさいを描いた絵が、もう一枚出てきたのだが、これはいつのものだったのか思い出せず、望美は首を傾げた。
 その一枚は、クレヨンではなく水彩絵の具で描かれていた。そして、最初の三枚とは比べものにならないくらい上手に描けていた。小さい花びらが集まった小さな花がたくさんよりそって、大きな丸い花となっている。丁寧にとられた形も、水彩絵の具をぼかして淡くつけられた色も、見事にあじさいの優しい美しさを写し取っていた。

「それは、俺の小学生のときの絵ですよ」

 ややはにかんでそう教えてくれた譲の声に、望美の記憶も戻ってきた。
「あ、そっか。確か、 賞をもらったんだよね」
「ええ、県のコンクールで」
 望美の言葉にこたえながら、譲は望美の手からその絵を取り上げると、くるくると巻き上げてしまった。もっと見たいと恨めしげな望美の視線にも動じず、すました顔で元の場所にしまいこむ。そうして、知ってますか?と譲は口調を変えた。

「こっちの三枚の絵ですけど、祖母は自分の部屋に飾っていたんですよ」
「そうなの?」
「ええ」
 三者三様で面白かったみたいですと譲は続けた。
「そして、三人ともあじさいのことをよく見ていると褒めてくれたんです。だから、俺はそれぞれの絵のいいところを研究して、さっきの絵を描き上げたんですよ」

「……いいところ?」

 言われて望美は改めて自分の絵を見た。画用紙一杯の小さい丸。
 いいところ。
 ――あるだろうか?
 自信のない望美は、譲にその答えを求めた。

「私の絵も参考にした?」
「え、ええ。もちろん」
「……じゃあ、どこがそうなのか、もう一度そっちも見せて」
「え、ちょっと先輩!」

 微妙に遅れた譲の返事に口を尖らせて、望美は譲がしまいこんだ水彩画に手を伸ばし、阻止しようとした譲の上に倒れ込んだ。
 それぞれに違う悲鳴を上げた二人を、たくさんのあじさいが見守っていた。

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