雨の日で10題...2 06. 「濡れますよ?」 (ヒカ碁)

「濡れますよ? ヒカル」

 佐為の言葉を聞き流して、ヒカルは昇降口から飛び出した。
 雨が降っている。ヒカルは傘を持っていない。濡れるのは当たり前だ。それなのに、そんなわかりきったことをわざわざ言うなんて、しかもそれに返事をするなんて、無駄だ。馬鹿馬鹿しい。
 わざと水を跳ね上げながら走った。傘を持たないヒカルの足元は当然長靴などではなく、普通のスニーカーで、それはすぐに水を吸って重くなった。水はすぐに靴下まで到達し、靴下が素足にまとわりつく不快な感触にヒカルは顔をしかめた。

「だから今朝、傘を持ってお行きなさいと言ったじゃないですか」

 梅雨時は用心に越したことはないと続けながら、佐為は涼しい顔でついてくる。あちこち泥が跳ねてとんでもないことになっているヒカルとは大違いだ。

「うるさいな! 幽霊の言うことなんて信じられるかよ!」

 泥跳ねどころか水の染みすらない白い着物に向かって悪態をつく。幽霊を羨ましいなんて、間違ったって思ったりはしないけれど、こうまで差がつけば悔しくはなる。
 けれどヒカルは一瞬後には後悔した。むかっ腹がたった勢いでそんなことを言ってしまったが、さすがに言い過ぎたかもしれないと思ったのだ。けれど佐為は気にしたふうもなく、着物と同じくらいさっぱりした顔で応じてくれた。

「ヒカルの母上様もおっしゃってましたよ」
「うるさい!」

 ヒカルは速度を上げた。こうなったらとっとと家に着いてしまおう。
 するとヒカルに合わせたように雨の勢いまで強くなった。ぐしょぬれになった髪がぺったりと顔に張り付いてくる。無情な雨の仕打ちに、傘を持たないヒカルは耐えるしかなく、ひたすら足を前に進めた。
「あかりちゃんの傘に入れてもらえばよかったんじゃありませんか? あかりちゃんならきっと傘を持っていますよ」
 佐為がやけにおろおろとしてそんなことを言い出した。これでは風邪を引いてしまうと、ヒカルのことを心配してくれているらしい。
 この季節ならずぶぬれになったところで、風邪などひいたりはしない。実際、濡れた体で走っているヒカルは、まったく寒さを感じていなかった。むしろ全速力に近い駆け足のおかげで暑いくらいだ。けれど、もう佐為にはそういった暑さ寒さがわからないのだろう。そしてわからない分、余計に心配になるのだろう。
 そんな佐為の気持ちを、ヒカルはそれなりにちゃんと感じていたのだが、口にしたのは別のことだった。

「女の傘になんか入れるかよ! だいたいあいつの傘じゃ小さすぎて余計に濡れるって!」

 不自然なほどの大声で精一杯の主張を叩きつける。
 こんなに元気なのに風邪なんてひくもんか。

「今度はちゃんと傘を持っていって下さいね」

 佐為が微笑んだ気配を引き離して、ヒカルは強く水を跳ね上げた。

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