雨の日で10題...2  03. 梅雨前線絶好調! (遙か)

 まだ梅雨明け宣言は出ていなかった。
 昨日から降り続いている雨は今日も降っていた。明日も雨だと予報で言っていたからこのままやまずに降り続くのだろう。
 どんよりとたちこめた雨雲を自分の部屋の窓から見上げて、望美は大きくため息をついた。そのため息で窓に飾った笹飾りが揺れた。その揺れを目に留めて、望美はさらに大きくため息をついた。

「やまないね、雨」
「やみませんね」

 苦笑混じりで答えたのは譲だった。さっきまで望美と笹飾りを作っていたので、譲はその後始末をしていた。散らかった紙くずを集めてゴミ箱に放り込み、使っていたハサミやペンを元の場所へと片づける。
 明日は七夕だった。望美が恨めしげに雨をにらんでいるのはそのせいだ。せっかく作った笹飾りではあったが、この分だと願いは天に届きそうにない。

 高校生になってまで七夕、しかも笹飾りなんてと譲も思わないでもないが、あの異世界に行って戻った今では、そうした言い伝えや伝説を頭ごなしにバカにする気にはなれなかった。笹飾りを作ろうと譲にねだった望美も、きっと同じ気持ちなのだろう。
 伝説を尊重する気持ちが湧いている分、七夕に降る雨を恨めしく思う気持ちもまた強くなる。望美のため息もやみそうになかった。

「なんだか七夕っていつも雨降ってる気がする」
「梅雨ですからね」

 梅雨といえば一番に浮かぶのは6月だが、7月の初旬それも7日ともなれば、まだまだ梅雨前線は活発に活動している。7月7日に雨が降りやすいのはごく自然なことだ。
「どうしてそんな時期にこんな伝説を作ったのかな。雨の日が多いなんて意地悪じゃない」
 雨が降れば逢えないとされる天上の恋人達を思って望美が口を尖らせた。
 年上の彼女の子供じみた仕草を可愛らしいと思いながらも、譲は吹き出しそうになるのをこらえた。望美の批難が的はずれだということを知っていたからである。
「旧暦の7月7日は梅雨じゃありませんよ」
「え?」
 望美はしばらく譲の言葉の意味を考えていたが、やがて飲み込んだらしく、そっかと声を弾ませた。
「昔の7月7日は、今より後になるんだっけ」
 今の暦が導入されたのは明治になってから。七夕の伝説や笹飾りの習慣がいつできたものなのかまではさすがの譲にもわからなかったが、それより前なのは間違いない。譲は望美にうなずきを返した。

「だいたい、一ヶ月くらいずれますね」
「じゃあ、8月7日が旧暦の7月7日?」

 望美が勢い込んで続けたが、譲はその問いには首をひねった。
「どうでしょう。そうとは限らないので、今年はどうなるのかは調べてみないと」
 月の満ち欠けがどうの閏月がどうのと譲の説明は続いたが、半分もいかないうちに、望美は難しいんだねと一言でそれを切り上げてしまった。
 せっかくの講義を中断された譲は苦笑をこぼしたが、気を悪くしたりはしなかった。そして、望美が欲しがっている情報だけを切り取って渡した。

「何日になるにしろ、梅雨は終わってますよ」
 望んだ通りの情報に、望美は無邪気に笑って言った。
「じゃあ、旧暦の7月7日にもう一回笹飾りを作ろうね」
「もう一回ですか?」
 七夕を楽しむにはやぶさかでないが、笹飾りまで作り直さなくてもと、譲は正直なところ少しわずらわしかったので、すぐに応じることはできなかった。しかし望美は気にしたふうもなく、当然だと胸を張った。
「こういうことはちゃんとやらなくちゃ。お願いごともたくさんあるんだから」
 当然だと言われてしまえばしょうがない。譲にしても、望美と過ごす日は多ければ多いほど喜ばしいのだから、先の約束を断れるはずがないのだ。
 だから譲はいつものようにうなずいた。
「わかりました。今年の7月7日がいつなのか、調べておきますね」
「うん。お願い」

 にっこり笑顔のお願いの後で、望美はまた視線を窓の外に戻した。次は晴れるといいなとつぶやきながら黒い雲を見上げている。
 中断してしまっていた片づけを再開した譲は、ふと気配を感じて顔を上げた。見れば、空を見上げていたはずの望美が譲の作業を見守っている。
「どうしたんですか?」
 譲が尋ねると望美はなんでもないよと首を振って、窓から離れた。そうして譲の隣に座ると、望美も片づけの作業を始めた。仕事を奪われた格好になった譲の手は止まっている。
 そうして片づけている間中、望美が何故かくすくすと笑みをこぼし続けているので、譲はたまりかねてもう一度尋ねた。今の流れで何を笑われなければならないのかわからない。
「いったい、どうしたんですか?」
「えー? んーとねえ」
 それでも語尾を不自然に伸ばし、はぐらかす姿勢を見せた望美だったが、譲の口調と視線が強くなったことに気づいたのだろう。おかしそうに口を両端を上げ、目の両端はその反対に下げながら、それでも一応あのねと話し始めた。

「譲くんがお隣でよかったなーって思ったの」
「は?」

 それでどうしてそんな妙な顔をして笑うことになるのだろう。自分が今、間の抜けた顔になっていることを自覚しながら、譲は二の句が継げなかった。
 望美の方は相変わらずくすくすと笑うのをやめない。鼻歌まで飛び出しそうなご機嫌な雰囲気のまま、だってと譲の顔をのぞき込んできた。

「雨が降ってても、逢えるでしょ?」

 言い終わるとまた笑みをこぼす。
 譲はようやくわかった。これはおかしいから笑っているんじゃない。楽しくて嬉しくてだから笑わずにはいられないのだと。それは確信だった。なぜなら、今は譲も笑みがこぼれるのを抑えることができなくなっていたからだ。
 同じように笑み崩れる望美の目をとらえて、譲は言った。
「あなたが望むならいつだって」
 望美は譲の手をとって指をからめた。
「明日も明後日も、雨でも雪でもずっとね」
「ええ。ずっと」
 雨音は激しくなっていた。やはり明日も雨なのだろう。
 いまだ衰えない梅雨前線。けれど、二人はもう気にならなかった。

リストに戻るトップへ戻る