止まらぬ震え

 そのときのことは覚えているようで覚えていない。
 どこかで何かをしていた自分。突然の衝撃。そして視界を埋め尽くした無数の死。


 ラクウェルは可能な限りの速さで目を開き体を起こした。
 かちかちと歯が音を立て心臓は体を内側から突き破りそうな勢いで飛び跳ねている。
 ラクウェルは胸が痛くて苦しいのを全てその鼓動のせいにして、片手で胸を押さえ、空いている片手に視線を落とした。
 その指の長さと手のひらの大きさに息をつく。
 もう自分は子供ではない。あれからこれだけの時が経っている。
 今日はあの日ではない。
 もう一度息をついて視線をあげたラクウェルの表情が凍った。
 陽光が届かない代わりにあちこちから投げかけられる人工的な光。土も水も木も草も鳥も虫もそこにはなく、ただ直線で構成された冷たい金属の箱が並んでいた。
「ここは……」
 夢の続きかとラクウェルは呆然とつぶやいた。

 忘れられた場所。埋葬都市フェルクレルング。

 おさまらぬ鼓動に頭を振りながら目を閉じ、ラクウェルは記憶を整理した。
 母親を追ったジュードを追って列車に乗り込んだ自分たち。ガウンの助言をもらって先頭車両を目指し、ジュードの母を見つけた。そして。
 そうだそして白い軍服に身を包んだ男が母親に駆け寄ったジュードを阻み、切り離された列車と共に自分たちは谷の底に落ちたのだ。
 ラクウェルは目を開いて立ち上がり、両手を握っては開く動作を繰りかえした。鈍くかすかな痛みを感じる箇所はあるが、たいしたケガはしていない。簡単な手当がすでに済んでいることに眉を寄せる。見覚えのある手並みはガウンのものか。
 皆は無事だろうか。
 仲間を捜した視線の先に白い上着の青年が倒れているのを見つけて慌てて駆け寄る。
「アルノー!?」
 動かない長身に声がうわずる。白い顔に手を寄せると、感じたかすかな空気の動きに呼吸のあることが確認できてラクウェルは大きく息を吐き出した。
 見たところアルノーにも大きなケガはないようだ。ラクウェルと同じように簡単に手当が施されていた。これもガウンがやったのだろうか。アルノーの呼吸に乱れはなく、さし当たって心配することはないようだった。
 ラクウェルは首を回して辺りを見たが、ジュードとユウリィ、そしてガウンの姿はなかった。どこか違うところに落ちたのだろうか。そしてそれをガウンが探しに行ったのだろうか。
 自分とアルノーがこうして無事なのだ。きっと全員無事だろう。
 逸る呼吸をねじふせてラクウェルはそう自分を納得させた。この街でこれ以上失われる命を見せられるのは御免だった。
 ジュード達を探しに行きたかったが、自分がここから離れているうちにアルノーが目を覚ませばアルノーもまたここを離れ、その後合流するのは難しくなってしまう。おそらく少し待っていればアルノーも気がつくだろう。そうしたら一緒に探しに出ればいい。
 そう考えてラクウェルはアルノーの隣に座り直した。たたき起こしてもいいのかもしれないが、頭をうっているかもしれない人にそれをするのはためらわれ、早く目覚めては欲しかったがおとなしく待とうと決める。
 ひざを抱えて座っていると、この場所は静かすぎて自分とアルノーの呼吸の音しか聞こえてこなかった。
 子供の頃、人の手の入ってないものなどないこの街があまり好きではなかった。生きているものが少なすぎるように思えた。けれどのしかかってくるような今の静けさに、機械だらけでもかつてのこの街は確かに生きていたのだと思い知る。
 動かない機械のなんと静かなことか。そしてなんと冷たいことか。
 ひたひたと押し寄せる静寂と冷たい空気にラクウェルは身震いした。
 身震いは一回で終わらなかった。二回三回と繰り返し、とうとう歯の根がかちかちとまた音を立てだした。
『どうしたの、ラクウェル?』
 震えていると懐かしい声が胸の奥から蘇ってきた。幼いころ、雷や暗闇におびえていた自分にかけられた声。
『怖いの?』
 いつも自分に向けられていた優しい微笑み。
『じゃあ、母さんが手をつないでいてあげる。こうしていれば怖くないでしょう?』
 そうして自分を包んでくれた手のぬくもり。
 胸を突き上げてきた言いようのない感情にラクウェルは唇をかんだ。
 それらは全てあの日に喪われてしまったものだ。もう二度と還らないものだ。
 ラクウェルは寒さに耐えかねて、両手をこすりあわせると息をはきかけた。しかし何度繰り返しても寒さはおさまらない。冷たい手をいくら握りあわせても余計に冷えるばかりでぬくもりは宿らなかった。
 回りの機械と同じくらい冷えている自分の体。それでも辺りの静けさのせいでいつもより強く響く自分の呼吸と鼓動が、自分の命がまだ尽きていないことを示すのはどこか皮肉な気がした。
 そんな中唯一感じられる熱は隣から伝わるアルノーのもの。そのぬくもりに惹かれるようにラクウェルはアルノーの額に手を伸ばしたが、触れる寸前でそれを止めた。触れなくても充分伝わってくるその熱を自分が奪うのは罪深いことのように思えた。
 アルノーはまだ起きない。
 呼吸に変わらず乱れはないから心配はいらないのだろうが、ラクウェルは落ち着かない気分だった。いつもは半分あきれて聞いている彼の軽い口調がひどく懐かしかった。
 耐えかねてラクウェルは立ち上がった。このまま何もしないで待っていることはできそうにない。アルノーが起きるまで何か出来ることはないだろうかと考えて料理をしようと思いつく。料理の腕に自信はなかったが、気をまぎらわせるにはいいように思えた。


 そして料理ができあがったころようやくアルノーが目を覚ました。
 明るい翠の瞳がラクウェルを見つけて何度か瞬く。
 そのあたたかくまぶしい光にラクウェルの中で永くはりつめていたものが溶けた。

終わり

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