月光の下

 ラクウェルはふと目を覚ました。
 部屋が明るいので寝過ごしたかとあわてて体を起こして、それが月のせいだとすぐに気づいた。今夜の宿は窓が大きい。そこから満月の光が部屋いっぱいに差し込み、それが寝台にまで届いていたのでまぶしく感じたようだ。
 月の光に透き通るような自分の手を見て少しラクウェルの顔が曇った。どこまでも冷たい自分の手が白く輝く様を見るのをラクウェルはあまり好きではなかった。
 ふと体にかけたシーツが引っ張られるのを感じて、ラクウェルは自分の横に眠る人を見た。ラクウェルが体を起こしたので、シーツが体の上からなくなり、寒かったらしい。引き戻したシーツを体に巻き込んでラクウェルのいる方とは逆の壁に顔を向け、丸くなって眠っている。
 シーツをかけ直してやると、何事かをつぶやいてもぞもぞと体を動かした。
 よく眠っているその横顔を見下ろしてラクウェルは口元をほころばせた。
 そうしていると子供のようにしか見えない。歳は一つしか違わないのだが。
 顔にかかった前髪を指ですくようにどけてやると、また何かをつぶやいて寝返りをうった。自分の方を向いた顔に手を伸ばし、ほおにふれる寸前で手を引く。起こしてしまったらかわいそうだとそう思ったのだ。そうして一度は引いた手を、今度は頭の方に伸ばす。そうして髪に触れるか触れないかの距離でラクウェルはそっと動かした。上から下へ、優しく、何度も。
 首から上には自信があると普段から豪語しているだけのことはある、とでも言ってやるべきか。その肌は白く月の光にもよく映えている。しかし温かく赤みのさしたそれは、ラクウェルのものとは違って日の光の下でも輝くものだ。ジュードと二人でじゃれあっていた様子に、小さな子供のようだとあきれながらも、ラクウェルの目にはまぶしく映った。可愛げ以外にも自分が持ち合わせていないものは多くあるが、その中のいくつもがそこにはあったからだ。
 あの頃は、それをうらやましいとすら感じることすらなくなっていた。感じないようにしていたのかもしれない。ただ、まぶしくて、壊してはいけないとそう思った。
 そう、壊れることのないように、自分が守ってやらなければとそんな風に思っていた。ひょんな縁でできた仲間であったが、年長の自分が守らなければと。自分よりもずっと長い時が残されている三人を。
 それなのに、その中でも出会ったときにただのお調子者だと思った彼を、いつの間にかずいぶんと頼りにするようになっていた。口数が多い分不平も不満も多い彼にあきれたこともあった。ジュードとユウリィがあまりそういうことを言わない分、彼のぼやきはめだっていた。しかし、どれほどぼやこうとも、結局何も投げだそうとはしないことに、気づいたのはいつのことだったか。
 彼が隣にいるから大丈夫だと、今はそんな安心の中にある。
 自分の手が冷たいことに驚いても、手を引かなかった。
 自分の体がどんなものなのかを知っても、また手を取って共にあることを選んでくれた。
 まだ自分の命にも価値があるのだと、生きていくことに意味があるのだと、思い出させてくれた。
 ずっと一人で世界の美しいものを求めてさまよっていた。しかし美しいと言われているものを見て、美しいと感じることができても、それで心が満たされたことはなかった。
 今は心の中にたえず温かいものがわき出している。きっとこれを幸せというのだ。
 心を満たすものがあるとき、世界はこんなにも美しくなるということを知ることができたのは、隣で眠る彼のおかげなのだと思う。
 震えが止まるようにとその手を取ったときは、雷におびえる子供をなだめるようなそんな気持ちだったのだが。
 ラクウェルは往復させていた手を止めて、眠る彼の見た目通りに柔らかいその髪に指をからめた。
 ほんの少し触れているだけのそこから、熱が伝わってくる。自分よりもずっと赤い頬を、温かい体を、今は素直にうらやましいと思う。けれど、悲しくはないのだ。そこに確かにある命の存在が愛おしくて、それが自分と共にあることが嬉しい。自分の命に残された時間は、彼のものよりずっと短いという事実は今も変わらないけれど、それでもその終わりの時まで自分はきっとこの温かさと共にある。
 ラクウェルは目を閉じ、穏やかに笑った。
「ありがとう、アルノー」
「どうせなら、愛してるの方が嬉しいんだけどな」
 無意識にこぼれた言葉に返事があってラクウェルは目を見張った。
 いつの間に目を覚ましたのか、アルノーがこっちを見上げていた。ラクウェルは指にからめた髪を放すと、その手で自分の髪をかきあげた。
「狸寝入りとは趣味が悪いな」
「眠いから転がってただけで、別にだますつもりがあったわけじゃないぜ?」
 にらむような視線を向けてもこたえた様子はない。悪びれる様子もなく変わらず自分を見上げてくる。口の端は意地悪そうにあがっているのに、その目はいたずらな光があってまるで子供のようだ。
 ああ本当に子供のようだと思うのだけど。
「で? 言ってくれないのか?」
 再度の要請にラクウェルの口元がゆるんで言葉がこぼれる。それが届くとアルノーは満足げに笑って腕を伸ばし、ラクウェルの頭をひきよせた。 

終わり

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