「ハワードが!?」
そう言った私の声がずいぶん大きかったので、隣の部屋にいたチャコが飛び込んできた。
「なんやなんや! どないしたんや!?」
チャコに負けないくらい勢いよく振り向いて、私はさっきと同じくらい大声を出した。
「チャコ、大変! ハワードに何かあったんだって!」
「何かって何や!」
「わからない!」
私の即答にチャコは眉をひそめた。
「なんやそれ。ルナ、頼むから落ち着いて説明してんか」
確かに落ち着かないとどうしようもない。私は大きく深呼吸して気持ちを整えると、さっき自分が見ていた画面を指さしながら口を開いた。
「あのね、ハワードのお母さんからメールが来たんだけど」
「ハワードのお母さん?」
オウム返しにそう言いながらチャコは画面に映った人影を見てうなずいた。チャコもハワードのご両親の顔くらいは知っている。
「それでね、ハワードが大変だからロカA2まで来てくれって言ってるのよ」
「大変って、何が大変なんや?」
「だからそれがわからないの」
チャコはますます顔をしかめたけれど、私だってそれ以上はわからないのだから説明のしようがなかった。
ハワードのお母さんからのメールはこうだった。
ハワードが大変なことになっている。だから私たちの力を貸して欲しい。船の手配はするからロカA2まで急ぎ来てくれないか。
要するに私がチャコに話したことで全部だった。ハワードが今どういう状況にあるのか、私たちの力がどう必要なのか、そういうことは何も説明されていなかったのだ。
「それで、船はいつ来るんや?」
チャコの問いに私はハワードのお母さんの言葉を思い出して答えた。
「えーとこの日付だと……三日後かな」
「三日後!?」
「どうしよう、チャコ」
「どうしようってどうすんねん」
私たちは今地球にいる。惑星の開拓技師になるという夢を、私はかなえることができたのだ。希望通り地球の環境回復プロジェクトに加わり、毎日それなりに忙しくしていた。
休暇がとれないような仕事ではないけれど、三日後に、それもいつまでとればいいのかわからない休みを下さいだなんて、未だ新人扱いを受けている私としては言い出しづらい。
とはいえ、メールを無視するのもそれはそれで辛い選択だ。
何がなんだかわからないメールだったけれど、わざわざハワードのお母さんが送ってくるくらいだから、本当にハワードは困った状況にあるのだろう。要領を得ない内容だったのはそれだけハワードのお母さんが動揺されているということなのかもしれない。
「三日後っちゅうと、こっちから問い合わせのメールを送っても返事が来るかどうか微妙やな」
チャコと一緒に私は頭を抱えてしまったのだけど、結局悩む必要はなかった。なんというか、そこはやはりハワード財団だったのだ。
迎えの船が着いたという連絡を受けて私とチャコは宇宙船の発着ポートに向かった。そこで待っていた人は随分と不機嫌そうな顔をしていたのだけど、私とチャコは笑顔で手を振った。
「久し振りね、カオル」
「やっぱりお前さんが駆り出されたんやな」
カオルは私たちに気づくと表情をゆるめて一つ息をついた。
「まったく、いったい何があったんだ?」
「カオルも知らないの?」
迎えの船の操縦士として使われたくらいだからカオルの方が事情に詳しいのかと思ったのだけど、カオルは無言で肩をすくめただけだった。
船に乗り込んでからカオルに聞いたところによると、カオルの方も結局私とそう変わらない状況なのだという。ハワードのお母さんからのメールに驚いていられたのもつかの間、カオルは上司に呼び出されこの仕事につくよう言い渡されたのだそうだ。
私の方もそうだった。休みのことをどう切り出せばいいのかと困っていたところ、ハワード財団から手が回ったとかで、私が申請するまでもなくまとまった休みが上から降りてきたのだ。こういうとき、ハワード財団の力って本当に大きいんだなってしみじみと思う。ソリア学園に入学したとき、ハワードに逆らった私は相当無謀だったということになるのだろうか。
「オレは別の仕事があったんだが、それは他の奴を行かせるからと予定を変更させられたんだぞ」
操縦桿を握るカオルは憤懣やる方ないといった様子でそうこぼしたので、私は少し驚いた。
「カオルは、ハワードのことが心配じゃないの?」
するとカオルはものすごく嫌そうな顔になった。
「心配などする必要はないだろう。ハワードのことだ。きっと何かたくらんでいるんだ」
「うちもそう思うわ」
後部座席のチャコも、頭の後ろで手を組んでシートにもたれた姿勢でそう言った。
「何かはわからへんけど、しょーもない用事に決まっとる」
実は私もそういうふうに思わないでもなかったのだけど、一応反論してみた。
「でも、わざわざハワードのお母さんがメールしてきたのよ?」
「小細工の匂いがぷんぷんして余計怪しいわ」
チャコはそう一蹴し、カオルは何も言わなかったけれど表情は完全にチャコに同調していた。
その後カオルと一緒に迎えにいったシンゴとメノリも、カオル達と同意見のようだった。
「まったく、ハワードも何がしたいのかわからないけど、いい迷惑だよね」
あきれたようにそう言ったシンゴは、けれど、おかげで休みがとれてのんびりできるからいいけどさ、と付け加えた。
「何がいいものか」
メノリの方は固い口調で眉を寄せた。突然休みをとることになったせいで、今後のスケジュール調整にだいぶ苦労したらしい。メノリは連邦議員を目指して勉強しながらお父さんの秘書として働いているので、忙しいという点では私たちの中で一番かもしれない。忙しい人たちを相手にした仕事だから、自分の都合だけで予定を動かすということができないのだ。
「せやけど、ほんまによう休めたな」
だからチャコがそんなふうに言ったのだけど、メノリの顔はますます渋くなった。
「私の父に直接話があったのでな」
ハワード財団の力はここでも活躍したのだそうだ。財団のトップであるハワードのお父さんからメノリのお父さんに直々に、メノリの時間を作って欲しいとの要請があったのだとか。
「財界とつながりを持つということはあまりいいことではないのだが、要請の内容が私の休暇というささやかなことだからな。あえて突っぱねることもないということになったのだ」
私は所詮ただの秘書だから、現職の議員である父より時間の融通も利くのだとそうメノリは続けたけれど、その融通を利かせるために苦労したことは間違いない。とんだ騒動を持ち込んだハワードにメノリはずいぶん憤慨しているようだった。
「でも、本当に何かあったのかも」
同じく合流したベルだけはひかえめにそう意見を述べたけれど、カオルを初めとした四人の意見は変わらないようだった。
ロカA2のステーションで出迎えてくれたのはシャアラだった。シャアラだけは今もロカA2で生活しているのだ。
「ルナ、みんな、こっちよ」
手を振っているシャアラの所に駆け寄って、私はとにかく何があったのかと尋ねた。けれどシャアラは不安そうに瞳を揺らして首を振った。
「それが、わたしにもわからないの」
「わからない?」
メノリが首をかしげ、シンゴが意外そうな声をあげた。
「どうして? シャアラはロカA2にいるんだし、もうハワードのところに行ったんじゃないの?」
「それが……」
シャアラは口元に手をあててうつむいた。
「わたしはハワードのお母さんからメールをもらって、すぐにハワードの家まで行ったんだけど、ハワードはいなかったの」
「ハワードはどこにいるの?」
「わからないんですって」
「「「わからない!?」」」
きれいにみんなの声が重なった。
自称宇宙一のアクターになったハワードは忙しい。別に家にいなくても不思議はないのだけど、行方がわからないというのはどういうことだろう。
とにかくハワードの家に行こうと用意された車に乗り込んで、シャアラに詳しい事情を聞こうとしたのだけど、結局シャアラも何もわからないようだった。
「ハワードがいないから、ハワードのお母さんと話をしたんだけど、ハワードはどこにいるかわからないってそうおっしゃるだけなの」
「ハワードは行方不明ってこと?」
シンゴの言葉にシャアラは曖昧にうなずいた。
「そういうことみたい。連絡もとれないってことだったし」
「じゃあ、大ごとやないか!!」
「事故にでも遭ったのか? それとも事件なのか?」
チャコは車の座席の上に立ち上がり、メノリは腰を浮かせて驚いた声を上げたけれど、シャアラはまた曖昧に首をかしげた。
「それが……よくわからないの。何度か話はしたんだけど、状況についてはほとんど聞けなくて」
「それで俺たちの力を借りたいなんて、どういうことなんだろう」
「確かにな。その状況でオレ達に出来ることがあるとは思えない」
ベルとカオルの会話を聞きながら、私はシャアラに尋ねた。
「シャアラは何か聞いてる?」
「ううん。わたしも特に何かをしてほしいって言われたことはないの」
「そんなら、ハワードのお母ちゃんと何を話したんや?」
「そうねえ。ハワードのことを色々聞かれたくらいかしら」
「ハワードのこと?」
私が首を傾げると、シャアラも首を傾げて続けた。
「うん、ハワードのことをどんなふうに思うかとか、サヴァイヴにいたときにどんなことがあったのか、とか」
「ただの世間話じゃないか」
シンゴが拍子抜けしたとでも言うように両手を上げた横で、メノリは厳しい表情になって口元に手を当てた。
「その世間話こそが私たちへの用件なのかもしれないな」
「どういうこと?」
尋ねたシンゴに答えたのは、メノリではなくベルだった。
「きっと、ハワードの話がしたいんだよ」
「何のために?」
それでもぴんとこないらしいシンゴに、チャコが説明を加えた。
「少しでも落ち着くため、やろな。ハワードのお母ちゃんも何かして気ぃ紛らわせたいんやろ」
するとシャアラが声を揺らした。
「そうかもしれない。わたしがハワードの話をすると、とても嬉しそうにされるから」
シャアラの言葉に、シンゴは表情を変えてうつむいた。他のみんなもそれぞれ目を伏せたり唇をかんだりして、重い空気が車内を包んだ。最初はハワードの冗談に違いないと決めつけていたシンゴ達も、シャアラの語るハワードのお母さんの様子に、もしかしたら本当に何かあったのかもしれないという不安がわいてきたようだった。
「ハワード、そんなに悪い状況にいるのかしら」
小さくこぼれた私のつぶやきに、カオルがどうだろうなと短く答えた。