始まりは一通のメール

 久し振りに訪れたハワードの家というよりお屋敷は、やっぱりとても立派だった。通された応接間も広くて豪華で、ふかふかのソファの座り心地は正直なところあまりいいとは思えなかった。庶民にはくつろぐのが難しい空間だと思う。
 他のみんなもそれぞれ落ち着かない様子を見せる中、メノリだけはさすがというべきなのか、その空間にしっかり収まって、ハワードのお母さんと話を進めていた。
「ハワードにいったい何があったのですか?」
 全員を代表してメノリがそう切り出してくれたのだけど、ハワードのお母さんはせわしげにひざの上で組んだ手を何度も組み替えて、なかなか答えてはくれなかった。しばらくしてようやく得られた答えも、要領を得たものではなかった。
「それが、今どこでどうしているのか」
「全くわからないのですか?」
 再度尋ねたメノリにも、ハワードのお母さんは視線をさまよわせて首を振った。
「ええ、連絡もつかないし、いつ戻ってきてくれるのか……」
「どっかで遊び惚けてるんとちゃうんか?」
「ちょっとチャコ!」
 チャコがいきなりぶしつけなことを言ったので、私は慌ててチャコの頭を押さえつけてハワードのお母さんに頭を下げた。
「すみません! 大変失礼なことを」
 ハワードのお母さんは怒りもせずにいいんですよと笑ってくれた。
「本当にあの子は遅くに出来た子でしたから、私も主人もすっかり甘やかして育ててしまって。みなさんにも随分ご迷惑をかけたことでしょうね」
「そんなことは、全然!」
 私は大げさなくらい勢いよく手を振って否定したのだけれど、ハワードのお母さんにはそれがおかしかったらしく、さらにくすくすと笑いを追加するともう一度いいんですよと言った。
「いいんですよ、正直に言って下さって。どうでしょう、みなさんから見てあの子はどんな子だったか、聞かせてはいただけませんか?」
 上品におっとりと微笑む目元が、とても優しい形をしていて、ああお母さんだなと私はそんなふうに思った。
 ハワードの話をすると喜んでくれるのだとシャアラが言ったことを思い出しながら、私は言葉を選んで口を開いた。
「そう、ですね、いつも賑やかで、やんちゃなところもあって、みんなのムードメーカーでした」
「トラブルメーカーでもあったけどな」
 私の隣に座ったチャコが余計な茶々をいれてきたので、私は横目でにらんだのだけれど、チャコは堪えた風もなく、口笛を吹くように唇をとがらせて横を向いた。
 ハワードのお母さんは今度も怒ったりはしなかった。私たちの様子にそうですかとうなずいて、チャコの隣にいるベルに視線を向けた。
 その視線に促されてベルも答える。
「ハワードは、ソリア学園でいつも一人でいた俺に声をかけてくれて、その、色々な所へ連れて行ってくれたりしました。一人は寂しいってわかってくれたのかなってそう思います」
 私はベルの言葉の内容に少し驚いてしまった。学園で初めて見たハワードとベルの関係は、そんな優しいものには見えなかったからだ。けれど、ベルの表情は穏やかで、ハワードのお母さんに気をつかって全くの嘘をついたのだというようには見えなかった。
 私よりは長く二人を見ていた分、私より驚いたのかもしれない。ベルの隣でシンゴが目を丸くしていた。そして驚いていた分、ハワードのお母さんの視線に気づくのが遅れてしまったようだ。シンゴはハワードのお母さんが自分を見ているのに気づくと、ぴょこんと跳び上がるようにして姿勢を正して、あたふたと眼鏡を直した。
「え、えーと。そうだ…そうですね。単じゅ…いや、素直で、わがま…いや、自己主張がうまかった、です」
 とぎれがちのシンゴの言葉に、隣のシャアラが笑いをこらえる表情になった。私も口元がひくひくしている。シンゴが本当はどう言いたいのかわかるだけに、おかしい。見ればチャコはすでに肩が震えているし、ベルとカオルも妙な顔になっている。
 一つまちがえれば大爆笑という雰囲気を案じたのだろう。メノリが一つ咳払いをして固めの口調で話し始めた。
「確かに彼は、甘えや軽率とも思えるような言動をとることもありました。彼のそんな行動によって、皆が迷惑を被ったことも、実はあります。けれど――これは私自身にも言えることですが、彼はここにいる仲間と共有した経験の中で成長しました。自分を抑えることも仲間を思いやる気持ちも、今ではちゃんと知っていると、私は思います」
 まるで学校の先生であるかのようなメノリの言葉には、ハワードのお母さんも表情を変えた。怒ったりはしなかったのだけど、少し顔を曇らせて私たちみんなに頭を下げるような仕草を見せた。
「やはり、ずいぶんとご迷惑をかけていたのですね」
「いえ」
 下がっていくハワードのお母さんの頭を手で押しとどめるようにして、メノリはきっぱりとした口調でそれを否定した。
「迷惑のことなら、それはお互い様です。謝っていただく必要はありません」
「でも、」
 不安げなハワードのお母さんに、メノリは柔らかく微笑んで首を振った。
「いいのです。謝らないで下さい。それに、彼から受けたのは迷惑だけではありませんから」
 ハワードのお母さんだけではなく、みんなの視線がメノリに集まった。もちろん私のも。不思議そうだったり、怪訝そうだったりする視線の先で、メノリはもう一つ柔らかい微笑をこぼしてうなずいた。
「シンゴも言ったことですが、彼はいつも自分の感情に素直でした。もちろん、良い感情ばかりではありませんでしたが、彼が真っ先に不安や不満を表に出してくれることで、私達は壊れずに済んだのかもしれません。良いものも悪いものも、あけすけなまでに裏表なくぶつけられるそれは、私にはいっそまぶしいほどでした」
 メノリはそこでいったん言葉を切り、ハワードのお母さんの目を見つめ直すと、ゆっくりとこう続けた。
「あの時、一緒に遭難した仲間にハワードがいてくれてよかったと、私は思っています」
 私が思わず息を呑んだのは、メノリのその言葉にだったのか、それともそれを言ったときのメノリのとても綺麗な表情にだったのか。
 それを自分で把握することはできなかった。なぜならメノリの言葉が終わったその直後、大音量で鳴り響いたファンファーレと共に応接室のドアが勢いよく開いたからだ。
 それはどこかで聞いたようなメロディーだったのだけど、不意をつかれたのと大きすぎる音量のせいで、どこで聞いたのかは思い出せなかった。それよりもあんまりびっくりしたので心臓が口から飛び出すかと思った。他のみんなも口や目を大きく開けてドアの方へ顔を向けている。
 そしてそこに見つけたのは、みんなで今話題にしていた一緒に遭難した仲間の姿だった。
「「「ハワード!!!」」」
 みんなで一斉に名前を呼ぶと、ハワードはまだ鳴り響いていたファンファーレを手で制して止めた。言い忘れたけれど実はファンファーレは生演奏だった。ハワードの後ろ、ドアの向こうの廊下には、いったいいつから用意されていたのだろうか、小編成ではあったけれどオーケストラが控えていたのだ。
 オーケストラの団員が楽器を下ろすと、ハワードが大げさな身振りでゆったりと拍手をしながらこちらへ歩いてきた。
「いやー。いい話を聞かせてもらったよ。メノリがそんなふうにぼくのことを思っていてくれたなんて。感動したよ」
 何がなんだかわからない。呆然としていた私たちの中で、いち早く我に返ったのは誰だったろう。とりあえず、最初に声を上げたのはチャコだった。
「ルナ! あれ、あれ見てみい!」
 チャコの指の先へ視線を向けて、私はますます大きく口をあけてしまった。同じ所を見た他のみんなもそれぞれ表情を変える。
 チャコが指したのはオーケストラの背後に立てられた看板だった。派手な電飾とペンキに彩られたそれはテレビで見たことのあるセットだった。そこに書かれていた番組名は。
「こう見えて波瀾万丈!?」
 叫んでそうして思い出す。そういえばさっき鳴り響いたファンファーレはこの番組のテーマ曲だ。よく見ればオーケストラの側にはテレビカメラとそれからスタッフらしき人たちの姿もある。ああ、それにそこでマイクを握っているのはテレビでよくみるタレントさんじゃないだろうか。その人は確かあの番組で司会者を務めていたはずだ。
「そうさ。この番組のことはみんなも知っているだろ? 今回のゲストはこのぼくってわけだ」
 胸をはるハワードの方へ視線を戻す気にはなれなかった。ただひたすら馬鹿馬鹿しさがこみあげてくる。
 番組名で私は――多分他のみんなも、今回の騒動の顛末が読めてしまったのだ。
 ハワードがゲストに呼ばれたのだという『こう見えて波瀾万丈』という番組は、簡単に言うとゲストのこれまでの生い立ちを紹介するというものだ。各界の著名人が呼ばれるので、私も興味のある人物がゲストの時に何度か見たことがある。番組は再現VTRやそのゲストをよく知る人の証言などで構成される。要するに今回は私たちがその証言をする人として選ばれたということなんだろう。
「それならそうと、どうして言ってくれなかったのさ」
 シンゴがハワードにくってかかったけれど、ハワードは涼しい顔で答えた。
「だって最初からわかっていたら、みんなテレビ用の証言をするだろ? やっぱりこういうのは本音じゃないとな。ぼくはやらせが嫌いなんだ」
「お母ちゃんまで巻き込んでなにやっとんねん!」
 チャコの叱責もどこ吹く風だった。
「ママにはちゃんと事情を話したさ。本当に行方不明になって心配させたりしたら悪いだろ?」
「そういうことじゃないんだけど……」
 ベルはもう、文句を言う気力もないようだった。それは私もそしてシャアラとカオルも同じようだった。申し訳なさそうに小さくなっているハワードのお母さんに答える余裕もない。呆れてものも言えないというのは、まさにこういう時に使う言葉なのだなと身にしみる。
 けれど、残る一人は違った。ハワードの登場からずっと黙っていたのはきっとエネルギーを蓄えていたのだ、と思う。
「おかげでいい画が撮れたよ。みんなの顔もばっちりテレビで流れるようにするからな!」
 きらりと歯を光らせる勢いで親指を立てたハワードの余裕が続いたのもそこまでだった。

「ハワードぉぉぉおおお!!!!!!!」

 特大の雷がハワードの上に落ちた。

 いずれは連邦議員になると見込まれている名門のご令嬢が、すでに宇宙一のアクターとの呼び声高い大財閥の御曹司をどなりつけているという非常に「いい画」を撮れたテレビ局としては、その映像も是非使いたいと言ってきたのだけれど、もちろんそれはメノリによって却下された。
 番組としてはそれでもどうにかして使いたいようだったけれど、ハワードもそれには大反対したのでしぶしぶその映像はお蔵入りとなったらしい。
「あれがテレビで流れるようなことがあったら、二度とお前を仲間とは呼ばん!」
 というメノリからの半絶縁状が効いたんだろう。
 私たちの証言は一応使われることになったのだけど、後日放映された番組を見たチャコの感想はこうだった。
「うちは今後一切テレビというもんは信用せんからな!」
 私も同意見だ。
 そんなこんなで大騒動となったわけだけど、私は実はハワードに感謝している。こんなことでもなければ、忙しい仲間が全員そろうなんて事はなかなか出来ないからだ。
 今すぐ帰ると言うメノリをどうにかみんなで説き伏せて、その日はみんなで夕食を共にした。その楽しい時間だけで、私はハワードを許してあげてもいいかなと思ってしまうのだ。
 ハワードからメールが届いた。
 メッセージはなく、中味はあの日みんなで撮った一枚の写真。笑顔としかめ面の入り交じったそれを印刷して、私は鼻歌交じりに立ち上がった。
 さあ、これはどこに飾ろうか。

終わり

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