第三十二話 急げ!!

「見てきたぞ」
 脱獄囚を足止めするための罠作り。そのしかけの元を調べに行ったハワードが戻ってきた。
「どうだった?」
「ああ。相変わらずこの先に鎮座してらっしゃるぜ。あの化け物植物」
「じゃあ、計画通りいきそうね」
「ああ。化け物使って化け物退治とは。考えたな、メノリ」

「…………」

 ハワードが景気よく立案者のメノリを持ち上げた。ところが、持ち上げられたメノリの反応がない。メノリは、いぶかしげに眉を寄せ、ハワードに視線を送るだけ送って、ただ黙っている。

「メノリ?」

 怒らせるようなことは言ってないはずだ。それに黙ってはいるが、メノリの表情が怒っているのとも少し違うようだったので、ハワードは戸惑った。
 メノリの方はハワードの戸惑いを察したわけではなさそうだったが、とりあえず沈黙を続けるのは止めたようで、おもむろにその口が開いた。
「つかぬことを尋ねるが、ハワード」
「なんだよ」
 やはり不穏とは言いかねるものの、奇妙に静かなメノリの様子に気圧されて、ハワードはやや後ずさった。

「お前は普段、どんな本を読んでいたんだ?」

「はあ!?」
 今この場で持ち出されるようなことだろうか。後ずさった分、ハワードの声が跳ね上がる。
「本気で『つかぬこと』だな。なんだよ、いったい」
 こんなわけのわからない質問に怯んでいたことが、馬鹿馬鹿しくも決まりが悪く、ハワードの口調は自然とげとげしいものになる。
 つっかかってきたハワードに、メノリは別に腹を立てたりはしなかった。いぶかしげな表情はそのままに、淡々と言葉を継ぐ。
「いや、確かに、今尋ねなければならないことではないのだが、 以前から気になっていたのでな。思いつくものだけでいい。教えてくれないか」
 何で今そんなことを。
 煩わしいという思いが消えたわけではなかったが、メノリには逆らわない方がいいということがそれなりに身に染みてきた頃でもあったし、「教えろ」ではなく「教えてくれないか」と言われたことが心地よくもあったので、それでもハワードは指折り数え始めた。

「家庭教師に無理矢理読まされたものばかりだぞ」
「ああ、覚えているものだけでいい」

「イリアス、オデュッセイア、ガリア戦記、アーサー王物語、神曲、失楽園、君主論、ファウスト、罪と罰、ユリシーズ、論語、孫子、史記、唐詩選、資治通鑑、ルバイヤート、千夜一夜物語、源氏物語、方丈記、五輪書、葉隠……」

 放っておけばいくらでも出てきそうな単語の羅列に、傍観していたルナとベルは顔を見合わせた。
「ねえ、ベル。ハワードが何を言ってるかわかる?」
「いや、全然……」
 呆然としている二人をよそに、そもそもの質問を持ち出したメノリは心から納得したというように深くうなずいて、ハワードの流れるような回答を手で制した。
「もういい、ハワード。よくわかった」 
 調子の出てきたところを止められて、ハワードは不満そうにメノリを見やった。だいたい、何がわかったというのか。
 メノリはハワードの不満もまたよそに、一人で満足げに微笑んだ。
「どうやら、お前のことを見くびっていたようだ。コロニーに戻ったら、色々と語り合いたいものだな」
「はあ!?」
 先ほどからもう何度目のことか、ハワードの声と眉が不審そうに跳ね上がる。しかしメノリはそれもまたよそに、声を張り上げた。

「さあ、無事にコロニーに戻るために、やつらの足止めをしなくてはな。作業を始めよう」

 作業が中断したのはメノリのせいじゃないか。
 三人が三人ともそう思ったのだが、 口に出すものはいなかった。

終わり

前のページに戻る