第十二話  みんなのいえ

 ハワードが授業を抜け出して遊びに行くのはそれほど珍しいことではなかった。
 別に学校が嫌いなわけではないのだが、ただ彼は退屈に耐えることができなかったし、耐えなければならないとも思わなかったので、気が乗らないときには授業を受けないこともあるのだった。
 ハワードはいつだってやりたいと思ったときにやりたいことをしてきた。やりたくないことはやらない。それが許される立場にハワードはいた。何と言ってもハワードの父はコロニーきっての実力者なのだ。ハワードの父に逆らおうとする者がいない以上、ハワードの行動を咎めようとする者もやはりいないのだった。
 取り巻きをひきつれて学園に戻ってきたハワードは、いつものように悪びれる様子もなく堂々と校門をくぐった。こそこそする必要などない。咎める人などいないのだから。
 そう、いないはずだったのだが。
「どこへ行っていたんだ」
 その日はどういうわけか、学園の敷地に足を踏み入れたハワードに鋭い声がかかった。明らかにハワードを叱責する調子を持ったその声に、ハワードは足を止めるとその声のした方へ顔を向けた。
 どこへ行ってきたのだとしても答える義務はない。ハワードはハワードの行きたいところへ行ってきただけなのだから。それでもハワードがその問いを無視しなかったのは、少しばかり意外だったからだ。声をかけられたことが、ではなく、その声が自分と同じ年頃の少女のものだったことが。
 それは女の子特有のやわらかで軽やかな可愛らしさがどこにもなく、硬く冷たい、例えば厳格な家庭教師を思わせるようなものだった。しかしそれでも確かにそれは子供のもので、ハワードはそこに引っかかったのだった。
 たとえ大人、つまりは学園の教師であっても自分のやることに口を出させるつもりはないというのに、それが自分と同じ生徒だというならなおさらだった。このぼくにそんな口をきくなんていったいどういうつもりなのかと、それがそれほど不遜なことなのかということをきちんとわからせる必要がある。ハワードはそう思ったのだ。
 そこにいたのはやはりハワードと同じ年頃の少女だった。顔を見たことがあるような気はするが、名前までは思い出せないので同じクラスではないのだろう。整った顔だちでなかなかの美少女だったが、声の印象そのままの冷たく硬い表情をうかべ、こちらを見据えてくる鋭い目が気になって、可愛いとは思えなかった。
 その少女は軽く足を開いて背筋をぴんと伸ばして立っていた。身長はハワードとそう変わらないのだが、彼女の姿勢がよい分だけ自然とハワードは見下ろされているような雰囲気になる。それが気に入らずハワードはふんと鼻を鳴らして口の端を持ち上げると、ことさらに胸をはって見せた。僕の顔を見えればわかるだろう、というわけだ。しかしその笑みを向けられた少女はハワードの態度に眉をよせただけで、特にかしこまったり恐れ入ったりするような様子は見せなかった。
「特別な事情のない限り授業時間中の外出は禁じられている。順番に名前とクラスを言え。それからIDカードを提示してもらおうか」
 それどころか彼女の口から出たのはそんな言葉だった。あまりのことにハワードは浮かべていた笑みを消し、少女を強くにらみつけた。
「お前、誰に何言ってるのかわかってんのか!?」
「何の権利があって俺たちにそんな口きいてんだよ!」
 高く声を上げたのはハワードではなく、取り巻き達だった。こういうとき上に立つ者は騒ぎ立てるものではない。動くのは下っ端にやらせて後ろで悠然と構えているのがいいのだと、そうハワードは考えていたからだ。ただ不快だということを全身で示してやることは忘れなかった。
 しかしその少女は、ハワード達の言動に何ら痛痒を感じなかったようだ。
「私は風紀委員だ。お前たちは規則を破ったのだからそれを取り締まるのは当然のことだ。早く名前とクラスを言え。そしてIDカードを見せるんだ」
 言葉だけを追えば少女のものとは思えないその話し方にも偉そうな態度にも変化はなく、冷然と先ほどの要求をくり返す。この学園にあって信じられないことだが、どうやらハワードのことを知らないようだ。
 これだから物知らずは嫌いなんだ。ハワードは高い音をたてて舌打ちをした。それに合わせるように取り巻きの声も大きくなる。
「お前、ハワードのこと知らないのかよ!」
「ハワード?」
 少女が片方の眉を上げるのを見て、ハワードは一歩前に出た。もちろん、少女の態度がどれほど身の程知らずなものであるかということを、思い知らせてやるためだ。
「ぼくがハワードだ」
 腕を組んでそう宣言すると、ハワードの周囲から次々に声が飛んだ。
「ハワード財団は当然知ってるよなぁ?」
「ハワードの親父さんに逆らって、ここでやっていけると思っているのか!?」
「わかったらさっさとそこをどけよ」
 いくらこの少女の頭が悪くても、ここまで言ってやればわかるはずだ。すぐに道をあけて謝ってくるだろうとハワード達は考えたのだが、少女の態度は変わらなかった。
「ハワード財団は知っている。ハワードJr、お前のこともな。だが、今この状況にそれが何か関係するのか? お前達が規則を破ったことに変わりはない。早くIDカードを出すんだ」
 風紀委員だというその少女のあまりの物わかりの悪さに、ハワードは信条を一時放り投げることにした。つまり、大将は後ろに控えているべきだというその考えを捨てて、直接声をかけたのだ。
「お前! 名前はなんていうんだよ!」
 ハワードが声を荒げて少女の名を尋ねたのは、無論友達になりたかったからではなく、後で思い知らせてやるためだ。どこの誰だかわかっていればパパに言いつけてなんとでもしてもらえる。
 激高したハワードとは対照的に、少女はどこまでも冷静だった。ハワードの意図を知ってか知らずか、静かに口を開いてはっきりと名乗った。
「私はメノリ。メノリ=ヴィスコンティ」
 と。
「ヴィスコンティ?」
 聞いたことがあるようなとハワードが首をかしげたのと、取り巻きの一人が跳び上がったのとは、ほぼ同時だった。
「連邦議員のヴィスコンティか!?」
 尋ねられた内容が気に入らなかったのか、尋ねてきた少年の声が裏返っていたのがうるさかったのか、メノリと名乗った少女は一瞬顔をしかめた。そうして深く息をつくと、メノリは豊かな髪をゆらして首を振った。
「連邦議員なのは私の父であって私ではない」
 メノリは向けられた問いを律儀に否定したが、それは問いを向けた少年の懸念を肯定するものだった。連邦議員の娘を相手に、ハワード財団の権威を振りかざしても通用しない。30以上の植民惑星を束ねる連邦議会。それを構成する連邦議員の権威とでは比べものにならない。無力ではないだろうが、少なくとも一方的に居丈高にふるまうことの出来る相手ではなかった。
 ヴィスコンティという名にすぐ反応できなかったハワードも、メノリが首を振るのを止める頃にはそのことを理解していた。
 彼女の態度がやたら尊大だったわけも、これで納得がいく。連邦議員の父親の権威を笠に着るなんてなんて嫌みなヤツなんだろうか。
 気に入らない。
 ハワードの奥歯がぎりっと嫌な音を立てた。
「親父が連邦議員だからっていい気になるなよ」
 そう言ったハワードの声はいつもの彼からすると随分と低いものだった。取り巻き達ははっとしてハワードの顔を見やったが、メノリの態度はそれでも変わらなかった。

「父は関係ない。私は風紀委員としてお前達の規則違反を見過ごすわけにはいかないと言っているんだ。それで、ハワードJr? お前には私の職務を妨げる正当な理由があるとでも言うのか?」

 押し問答はそれ以上続かなかった。結局メノリは風紀委員としての職務を全うし、ハワード達はそれに逆らいきることができなかった。
 IDカードをメノリに見せている間、そしてその後も、ハワードの胸の内には火の様な感情が荒れ狂っていた。これ以上の屈辱はないと思った。そしていつか思い知らせてやるとも思った。
 しかし、その時のハワードは自分が一体何に対して屈辱を感じたのか、何故そんなにもくやしいと思ったのか、自分の感情を正確に把握してはいなかった。

終わり

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