第三話  ほんものの風、ほんものの海

 修学旅行に行きたいとは思わなかった。

 カオルは修学旅行だからといって浮かれる気にはなれなかった。できればそんな面倒な行事にはかかわらずに済ませたかったのだが、行かないと言い出せばきっともっと面倒なことになる。修学旅行は授業の一環だからと説得されたり、どうして行きたくないのかその理由を詮索されたりするのだろう。それに抵抗するのに労力を費やすのも馬鹿馬鹿しく、結局カオルは修学旅行に参加した。楽しみだとはやはり思えなかったが、元々それほど強い嫌悪感があったわけではない。ただ行って戻ってくればいいだけのこと、普段学校へ通うのと同じだ。
 だから実際に修学旅行が始まってもカオルの心は動かなかった。回りのはしゃいだ空気の中、一人面白いとも面白くないとも思わなかった。
 ただ、ふと思っただけだ。自由行動を許されたシャトルの通路で星を眺めていたときに、ふとした思いがよぎっただけだ。

 どこに、いるのだろう、と。

 ところが修学旅行は思わぬ展開を見せた。カオル達を乗せたシャトルが重力嵐に遭遇したのだ。緊急ワープで回避するため避難シャトルに移動するようにとの船長の言葉に、船内は騒然とした。
 しかし、それでもカオルの心はひどく冷めていた。事の重大さがわからなかったわけではないが、だからどうだとも思わない。驚き慌てる回りの様子も、まるでガラスを何枚も隔てて見ているかのように、カオルにとってはひたすら遠いものだった。
 どういうわけかカオル達のグループの避難シャトルだけが本船から切り離され、重力嵐の中に取り残されてしまった時も、カオルは落ち着いていた。これからどうなってしまうのだろうというような不安はかけらもわいてこなかった。
 揺れる船内で浮かんできたのは、やはりというどこか皮肉っぽい考えだけだった。やはりこうなるのかと。自分が宇宙に出て何も起きないはずがなかったのだと。自分を嘲笑するように、一瞬口の端が薄く上がったが、それだけだった。別に胸も痛くない。
 どこまでも平静なカオルをよそに、船内は騒然としていた。何が起きたのか、これからどうすればいいのかと慌てたり困惑したり、あるいは今後の対処法を考えたりと、彼らはこの緊急事態にさすがに平静ではいられないようだった。特に見苦しいほど取り乱していたのはハワードだった。どういうことだなんとかしろとわめき散らし、事故の原因はお前のせいかと誰彼かまわず責めたてる。
「相変わらずよく吼える犬だな」
 ヒステリックに騒ぐハワードにカオルはそう口をはさんだ。さすがにうるさかったのだ。よくそれほどの大騒ぎができるものだと、呆れるのを通り越していっそ感心する。
「なにを!」
 カオルの言葉でハワードはさらに激高したのだが、カオルはそれ以上はとりあわなかった。元々うるさいとは思ったが腹がたったわけではない。自分と同じシャトルに乗り合わせたばかりにこの不運と思えば、憐れみこそわくが怒りはない。ただあまりの狼狽ぶりに聞くに堪えないと思っただけだ。
「そんなことよりいいのか? だいぶ惑星が近づいたぞ」
 だからカオルはハワードに応えず、他人事のように言葉を投げた。
 実際カオルにとっては他人事だった。今の事態に何かできることがあったとしても、カオルは何をするつもりもなかった。どうなったところで、別にかまわないのだ。どうなってもいいのだから、事態を変えるために努力する必要など無い。
 惑星に着陸するということになっても、コンピュータがダウンして自動操縦による大気圏突入が不可能だということになっても、やはりカオルは動かなかった。
 できることがあってもやるつもりはないのに、できることなど何もない状況で動けるわけがない。
 カオルにできることなどあるはずもなかった。
 もう、そこは自分の場所ではないのだから。
 状況はカオルを除いたままで進行する。奇妙なロボットペットがしゃしゃり出てきた。やはり自動操縦はできないとそれが断言する。そのロボットペットに促され操縦席に座ったのはもちろんカオルではない。そんなやつに任せられるかとまたもハワードが騒ぎ出し、できるのかと経験と自信を確かめる強い声が操縦席に向かって響く。
 そこに至ってようやくカオルも事態の進行に加わった。ただし、それはたった一言。

「ここはその子に賭けるしかないな」

 座席についてシートベルトを締め、腕を組んでシートに背を預ける。事態はカオルの言葉通りに進んだ。けれどカオルの心にはわずかな波が立っていた。
 不安になったわけではない。大気圏突入と着陸は確かに困難な作業ではあるが、避難シャトルの操作手順自体はそう複雑なものではないし、それに、彼女が失敗したとしてもカオルは別にかまわなかった。そんなことではカオルの心は乱れない。
 ただ、残っているのだ。手動でいくと言われて即座に操縦席に座った彼女の姿が。経験を問われ出来るんだなと念を押されても、ゆらがなかった強いまなざしが。
 前のシートの背もたれだけが映っているはずのカオルの視界に、それが強く焼き付いてカオルの心を揺らしていた。
 指示を飛ばす声と応える声が聞こえてくる。やがて大気圏突入を知らせる揺れが伝わってきた。
 自分の腕をつかんでいるカオルの手に知らず力がこもった。

終わり

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