第五十二話  みんなのところへ

 戻ってきたアダムの仲間達は予想していた以上に大船団だった。
 オレ達が戸惑っている間に、彼らは地上のタコと連絡をとったらしい。オレ達の乗ったシャトルと宇宙に浮かぶルナはそれぞれ別の船に助けられ、星に戻った。
 アダムとタコの待つ部屋に入ったのはオレ達の方が先だった。作戦の成功と皆の無事を喜び、アダムの仲間の帰還を驚きつつも祝い、笑顔と言葉を交わしていく。
 だが、そうしている間もオレは落ち着かなかった。それは多分、皆もそうなんだろう。笑いながら話しながら、全員の視線が泳いで、探している。待っている。
 扉が開き、現れた人影に皆の顔が輝いた。
 全員分の視線の先で、オレンジ色の髪がゆれ、明るい笑顔がこぼれた。
 生きて帰ろうと約束した惑星の上で、オレ達は再会を果たした。

 最初に走り出したのが誰だったのかはわからない。最初にルナの名を呼んだのが誰だったのかも。
 けれど、最初にルナにたどりついたのは――メノリだった。

 パン、と高く乾いた音が響いた。

 ルナが頬を押さえて目を丸くしている。メノリのすぐ後ろにまでたどりついていたシャアラが、息を呑み両手で口を覆ったのが見えた。
 思いがけない光景に皆の足も止まり、室内は一気に静まりかえった。オレもまた、戻ったルナの姿を見たそのままの位置で、ただ立ちつくしていた。
 皆が息をつめて見守る中、メノリもルナもしばらく動かなかったが、やがてメノリが上げたままだった手を――ルナの頬を打ったそれを下ろした。
「勝手な行動は許さないと言ったはずだ」
 低い声だった。静かなそれは、けれど震えていた。こみ上げてくる何かを必死に押し殺してようやく言葉にしているのだろう。小刻みに揺れている唇の奥で、かちかちと歯が鳴っているのが聞こえたような気がした。部屋の隅で突っ立っているオレの所まで、それが届くはずもないのだが。
「自分がしたことがわかっているのか? 助かったのは奇跡だ。ただの結果論だ。お前がしたことは仲間に対する裏切りだ!」
 ルナを弾劾する声は次第に高くなり、終わりの方はほとんど悲鳴のようだった。
 下ろされた拳は白くなるほど強く握りしめられ、メノリの体の横で震えていた。
「お前は、リーダーとして、最低だぞ」
 最後の言葉はかすれてほとんど声にはなっていなかった。
 それでもルナには届いたようだ。青い目がさらに見開かれ、そののどがこくりと音をたてた。
 全てを言い終えたメノリは口を固く引き結び、強い視線でルナを見据えていた。拳の震えはまだ止まらず、それは次第に肩にも伝わった。
 全身を震わせながら、なおも毅然と立つメノリの前で、ルナもまたまばたき一つしなかった。ルナは頬に手を当てたまま黙ってメノリの視線を受け止めていたが、やがてその唇が小さく揺れた。
 唇をわななかせながら、ルナは視線を巡らせた。メノリ、シャアラ、チャコ、アダム……自分へと駆け寄ってくる仲間達の顔を一人一人確認していく。
 オレの所へも流れた視線はメノリへと戻り、ルナはゆるゆると口を開いた。しかし何の音も生まないままそれは閉じた。そんなふうに言葉をつむぎかけてはためらう動作を何度も繰り返し、ようやくルナが口にしたのは。
「ごめんなさい」
 短い謝罪の言葉だった。
 唇からこぼれたそれに合わせるように、ルナは手を頬からはずした。そして、降りていくその手の動きを追いかけるように、今度はルナの瞳から、こぼれたものがあった。
 一筋、二筋。
 頬を伝うそれは後から後からあふれ出し、ルナが瞬くごとに細いあごを伝って落ちていく。大粒のしずくがいくつも、床の上ではじけた。
「ごめんなさい」
 顔中を濡らしたまま、わななく唇から絞り出すようにしてルナが繰り返し詫びると、メノリは表情をゆるめた。
「無事で、良かった」
「メノリ……」
 目を見張ったルナに、メノリは微笑んでうなずいた。いや、微笑と言い切るにはメノリの眉は下がりすぎて、目にも光るものがあったのだが、それでもメノリのその穏やかな顔と言葉が合図になったかのように、皆の時間が動き出した。大きな固まりが転がっていくかのようにルナへ向かっていく。
 シャアラがルナの名を呼びながらルナの首に飛び付いた。その頬もすでに濡れていた。
「ルナ、ルナ、心配したのよ」
「シャアラ……」
 チャコとアダムが同じようにルナにすがりつく。
「ルナ、よかった。ほんまによう帰ってきた」
「ルナぁ。お帰りなさい」
 その傍らでメノリがそっと目頭を押さえ、シンゴとハワードは肩を組んでやはり大声を上げている。
「ただいま。ただいま、みんな。ごめんね。ごめんなさい」
 仲間に応えるルナの声は、涙に濡れてぼろぼろだった。
 滝のような涙をぬぐいもせず、仲間と抱き合って泣いているルナを、オレはただ見ていた。
 ルナが泣くのを見るのは初めてだなとそう思い、そう思ったことで胸の奥で何かが痛んだ。

「生きろ」って言ったんじゃないかしら。

 自分が生きているということに、何の価値も見いだせなくなっていたオレを救ってくれたのは、ルナのあの言葉だった。ルイがオレに何を残してくれたのか、それに気づかせてくれた。あのときからオレは、命とはただ寿命を消費するものではなく、何かのために何かを成すためにあるものなのだと、生きるということの本当の意味を思い出すことができた。
 そしてルナはオレの特別になった。
 守りたいと思った。ルナがオレを救ってくれたように、オレもルナの助けになりたいと。
 ルナのやりたいように、やりやすいように。ルナの目指すものがあるならそこへたどりつけるように。そのためにオレにできることがあるなら何でもしようと思い、実際そうしてきたつもりだった。けれど、オレは本当の意味でルナの助けになっていたのだろうか。
 オレは間違っていたのかもしれない。
 いや、間違っていたとは思いたくないが、少なくとも充分ではなかったのだろう。
 こぼれそうになったため息をかみ殺していると、ふと肩を叩かれた。そちらへ顔を向けると、オレより高い位置にある顔が穏やかに笑っていた。
「よかったよね。本当によかった。みんな無事に戻ってこられて」
 そうしてベルは、まだ抱き合ったままでいるルナ達の方を見やった。その顔に微笑以外のものが混ざっているように見えたのは、オレの気分がそうさせたのだろうか。
 かなわないよね。
 微妙に下がった眉と口元がそう言っているような気がした。
 思わずオレの口から苦笑が漏れた。
 ああ、そうだな。
 苦笑しながらオレも表情だけで同意する。
 それなのに、オレの胸にわきあがってきたのはどこか愉快な気分だった。浮き立つようなそれに誘われてオレはベルの背を一つ叩いた。
「ベル」
「なんだい?」
 振り向いたベルに向かって口の端を上げる。
「がんばろう、な」
 ベルの目が大きくなった。オレには似合わない言葉の内容に驚いたのだろう。自分でもらしくないと少し気恥ずかしいが、取り消す気にはならなかった。
 そのまま黙っていると、そのうちベルからも微笑みと共に同じ言葉が返ってきた。
「そうだね。がんばろう」
 二人して苦笑混じりに肩を少し持ち上げて、そうしてにぎやかな方へ視線を戻す。
 そこにはもう涙はなかった。にぎやかな言葉と笑顔の応酬が繰り広げられ、中には踊っているやつもいる。
 ベルと並んで歩き出しながら、考える。
 最初にどんな言葉をかけようか、と。
 向かう先に見えたルナの明るい笑顔に、オレの口も自然な笑みの形をとった。

終わり

前のページに戻る