第五十一話  死ぬために行くんじゃない

 今日のメインディッシュはステーキだった。
 分厚い肉が熱い皿の上でじゅうじゅうと食欲をそそる音を立てている。
 こみあげてくるよだれをごくりと飲み込んで、舌で唇をなめまわして、ハワードは意気揚々とフォークを肉に向かって突きだした。
「あ、あれ?」
 思ったような手応えが得られず、ハワードは間の抜けた声をあげた。具体的に言うと、ステーキが皿ごとハワードのフォークの先から逃げ出したのだ。
「このやろ!」
 再度挑戦と先ほどより勢いをつけてナイフを向けたが、今度もまたステーキはひらりとその切っ先をかわした。
「こいつ!」
 白い頬に血をのぼらせて左右の手をすばやく動かすが、ステーキはそれより速かった。あちらとみればこちら、こちらとみればあちらと、ひらひらふらふら飛び回り、ハワードのフォークとナイフはかすりもしない。
「もう、怒ったぞ!」
 とうとうハワードはフォークもナイフも投げ捨てて、素手で勝負を挑むことにした。
 ステーキまでの距離を測りながらじりじりとその距離を縮めて、1、2の3で飛び付いた。
「それっ、あ、あれ、うわぁってててて、いってー!」

 両手でわしづかみにしたはずのステーキは霞よりも儚く消え、ハワードが手にしたのは全身に走る痛みだった。僕は上だと主張して獲得した二段ベッドから転がり落ちてしまったのだ。
「いって、いたー」
 腰をさすりながら辺りを見れば、まだ部屋は暗かった。
 この惑星全てのテラフォーミングマシンを管理する、コンピュータサヴァイヴが搭載されているこのコントロール宇宙船は、巨大なだけあって施設も充実していた。重力制御ユニットなどの機械設備はもちろん、居住区もしっかり整備され、ハワード達が寝泊まりするのに不自由はなかった。
 いくつもある部屋のうち、適当な部屋を選び、そこを寝室として使っていた。ちなみに個室ではない。みんなで同じ部屋を使っている。みんなといっても男女は別だ。つまり、いくつもある部屋のうち、二部屋ががみんなの寝室となっているという状況なのだ。
 高貴な生まれと育ちの自分が、他に部屋がないならともかく相部屋で寝るなんてと、不満を述べようかとは思ったのだが、ハワードは結局思い直した。これからあの重力嵐を消滅させるという重大な計画を共に進めるチームなのだから、これまで以上に寝食を共にするのもいいかと思ったのだ。
 今までずっと狭いところで人の寝息を聞きながら休んでいたのに、一人で寝るのがさびしかったからだというわけでは決してない。
 しかし、一緒にいるはずの人の気配がなかった。
 寝息どころか、ハワードがベッドから落ちたことに驚いて起きてくる様子もない。
 首をかしげながら一緒にいるはずの連中のベッドをのぞきに行くと、そこはもぬけの殻だった。カオルがいないのはいつものこととして、ベルもシンゴも、おまけにアダムまでいない。
「ど、どこに行ったんだ?」
 見事なまでに無人の部屋は、重要な作戦を明日に控えた身には応えた。足元から何かが登ってきて、ハワードは身震いをした。
「あ、明日のこともあるし、見回りとか確認とかしておいたほうがいいよな、うん」
 聞いている人もいないのに、わざわざ声に出してそう言うと、ハワードは部屋を出た。
 確認と言ったところで、実際ハワードにわかることはほとんどない。というより一人で見ても何もわからない。
 暗くて冷たい船内を一人で歩き回ることには、すぐに耐えられなくなった。月と星が明るいのに誘われて、船の外に出る。
「みんな、どこに行ったんだぁ?」
 きょろきょろと視線を辺りに流しながら、明るい場所を選んで歩いていると、耳が聞き慣れた音を拾った。
「これは」
 この惑星に来てから何度も耳にしてきた、メノリのバイオリンの音色だ。
「あっち、か?」
 流れてくる美しい旋律を頼りに、ハワードは歩き出した。

終わり

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