第五十話  この星が好きだから

「ハワード、待って、待ってよ」
 息をきらせながら後を追ってくる声にハワードは立ち止まった。進んでのことではない。自分の名を呼ぶその声が、どんどん苦しそうになっていくから仕方なくのことだ。と、ハワード自身は思っている。
「何しに来たんだよ」
 追いついてきたシャアラは、肩を大きく上下させて息を整えている。ハワードはそんな彼女へ不機嫌を隠そうともせずにそう言い捨てた。
「何って、それは」
「説得に来たなら無駄だぞ。僕は帰る。誰が何と言おうと帰るんだ」
 荒い息を飲み込みながら口を開きかけたシャアラに、ハワードは先手とばかりにぴしゃりと言葉をたたき付けた。そうして肩をいからせながら、ふんと鼻を鳴らしてそっぽを向く。
「ハワード……」
 シャアラはハワードの名を呼んだきり、目を伏せ肩を落とした。
 そのまま何もシャアラは何も言わずにただ立っている。結局先にしびれをきらしたのはハワードの方だった。
「なんだよ! シャアラは帰りたくないのか!? 一生こんな星で過ごそうっていうのか!? やっと、やっと帰る手段が手に入ったんだぞ? 今帰らなくてどうするんだよ!」
 大きく両手を振りながら、ハワードは賛同を求めた。
 この惑星を襲う重力嵐をどうにかするのに、宇宙船をあきらめなければならないとわかったとき、ハワードはコロニーに帰ることを優先すべきだと思った。いや、思うとか考えるとか言う前に、それは当然すぎるほど当然の選択のはずだった。
「コロニーに帰るのはあきらめるしかなさそうね」
 ルナがそう言い出したとき、ハワードは驚愕した。まさか、と思った。その上、積極的にハワード側の意見に賛成したのはメノリしかいなかったのだ。
 コロニーに帰りたいのは自分だけではないはずなのに、この状況はいったいどういう事か。
 不条理だ。どう考えても納得がいかない。
 腹立たしいことこの上なく、不可解でどうにもやりきれなくて、ハワードの胸の中はぐちゃぐちゃだった。
 シャアラなら、ハワードの気持ちに近いはずだ。みんなの前ではベルの意見に共感したようだったが、コロニーに帰りたいと言って泣いたこともあるシャアラなら、一緒にコロニーに帰ろうねと言い合ったこともあるシャアラなら、ルナの選択がおかしいというハワードの気持ちもわかってくれるはずだ。
 何より、シャアラだけがハワードを追ってきてくれたのだから。
 しかし、ようやく口を開いたシャアラの言葉は、ハワードを否定もしなかったが、完全な肯定もしなかった。
「そりゃあ、わたしだって帰りたいわ。でも、パグゥ達が死んじゃうなんてかわいそうよ」
「またそれか! トビハネのときと全然変わってないんだな」
 期待はずれの結果にハワードは声を荒げた。トビハネがかわいそうだから殺すなと言ったシャアラを、あのときも心底うっとうしいと思ったものだったが、そこから全く進歩していないとは思わなかった。
「かわいそうとか、そんな綺麗事だけじゃ生きていけないって、わかったんじゃないのか! かわいそうなら僕たちは犠牲になってもいいっていうのかよ!」
「それは違うわ!」
 ハワードの批難にシャアラの声も高くなった。さっきまで伏せていた顔をあげてハワードの顔を正面から見据える。
「何が違うっていうんだ」
「絶対に帰れないって決まったわけじゃないじゃない」
 シャアラは胸の前で両手を握りしめてそう言った。その口調の確かさに、ハワードも思わず口をつぐむ。
「今までだって、何度も死んじゃいそうな目にあったりもしたけど、みんなでがんばって乗り越えてきたわ。ここで宇宙船をあきらめたからって、一生帰れなくなるとは限らないんじゃない?」
「そんなこと」
 今までが大丈夫だから今後も大丈夫だとは、それこそ限らないんじゃないのか。
 何度も帰れそうだと思っては裏切られてきた。この先もまた帰れそうだと思うたびに駄目になったりするんじゃないのか。
 シャアラの論拠の不確かさをついてやろうと思うのだが、彼女の視線の強さに言葉はハワードののど元に引っかかってうまく出てきてくれなかった。
「それに、帰るって言っても、ハワード、宇宙船の操縦できるの?」
「そ、それは」
 全く違う角度で飛んできたシャアラの説得に、ハワードは完全に言葉に詰まった。
「チャコだって、どっちに行けばいいのかわからないって言ってたわ。今この惑星を見捨てたって、コロニーに絶対帰れるわけじゃないのよ」
 ハワードは無言でこぶしを握った。ハワード一人で帰るとわめいたところで、帰ることはできない。そんなことはハワードにだってとっくにわかっているのだ。
「ねえ、ハワード。今確実にできることをやった方がいいんじゃないかしら」
 シャアラの口調はいくぶん柔らかくなっていた。握りしめたハワードの手をとって、うつむいたハワードの顔をのぞきこんでくる。
「それは……」
 何かをハワードが言いかけたとき、低く重い音が足元から響いてきた。
「何?」
 シャアラが辺りを見ながら口元に手をあてる。
「地震だ!!」
 ハワードが叫ぶより速く、足元が揺れ始め、それはすぐに立っていられないほど激しいものになった。 
 懸命に姿勢を保とうとする二人のすぐそばで木が倒れた。ハワードは腰を抜かして倒れ込む。
 と、視線の先で地面が割れた。その割れ目が二人をめがけて走ってくる。
「きゃあぁぁ!」
「うわぁぁあ!」
 重なった悲鳴ごと二人は大きく裂けた谷の底に飲み込まれていった。

終わり

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