第四十三話 一緒にコロニーに帰るんだ

 ごうごうと鳴り響く砂の音では目が覚めなかった。
「ハワード。ハワード」
 自分を呼ぶ声と体をゆする手の感触には気が付いていたが、ハワードはそれどころではなかった。
 なぜなら今まさに目玉焼きの載ったハンバーグを口に入れるところだったからだ。
 ハンバーグにかけるソースを選ぶのがまた難問だった。肉のうまみをぐっと引き立てるオニオンソースか、それともキノコの風味を加えたまろやかに香るデミグラスソースか。それともさっぱりと大根おろしのソースで味わうべきか。
 散々迷った挙げ句にハワードはハンバーグを三つに分けた。そして目玉焼きの黄味のあるところにデミグラスソースをそれ以外の二つに残りをそれぞれかけることにした。
 それで、やっぱりまずは黄味の載ったところからだろうとフォークを突き刺し、熱々のそれを口元まで持ってきたところなのだ。自分を呼んでいるのが誰であろうと、目の前の味覚より優先すべきものとは思えない。
 とはいえ。
「ハワード! ハワードったら!!」
 その声は次第にいらだちを帯びて高くなってきた。それに伴って体を揺さぶる手も乱暴になっていく。
「ねえ、ハワード!」
「なんだよ! うるっさいなぁ!!!」
 無視しきれず、うるさいその声をはねのけるようにして起きあがった瞬間、肉汁たっぷりの香しいハンバーグは跡形もなく消え去った。
「あ、あれ?」
 きょろきょろと辺りを見渡すと、胸に片手をあててほっと息をついているクラスメートの少女が目に入った。眼鏡の奥の緑の瞳が優しく笑ってこちらを見ている。
「シャアラ?」
「よかった、目が覚めて。ハワードったら全然起きないんだもの。どこか悪くしたのかと思ったわ」
「どこか、悪く?」
 どうしてそんな心配をされなければならないのか。首をひねってハワードは気づいた。自分の回りをとりまく轟音に。その音を立てている原因となるものに。さらにハンバーグに相対する前に自分が直面していた事態に。
「ハワード!?」
 シャアラが驚いて後ずさるほど勢いよくハワードは立ち上がった。そして今度はせわしなく辺りを見渡す。
「どこだ……。ここ……」
 ずっと耳を叩くようにして聞こえてきた音は、高い天井から滝のように流れ落ちる砂がたてるものだった。次から次へと落ちてくるそれは、オリオン号と一緒に自分たちを飲み込んだ砂に間違いない。実際少し離れたところにオリオン号も横倒しになって半分以上埋まっている。
 砂とオリオン号と一緒に落ちたのだから、それらがここにあるのはいい。シャアラもいてくれてよかった。けれど、それ以外のものはなんなのか。
 見上げれば高い高い天井。薄明るいのはどこからか光が漏れているのか天井自体が光っているのだろうか。そして視線を横に走らせれば、その高い天井を支える壁。
 それらが土や岩で出来ているのなら、これほど驚いたりはしない。けれどハワードとシャアラを閉じこめるように広がるそれらは、どうみても自然のものではなかった。
「なんだよこれ、いったいどうなってるんだよ!」
 叫んだハワードの声がそびえる壁に反響してわんわんと鳴った。
「ハワード、落ち着いて」
「これが落ち着いていられるか! どうやってみんなのところに戻るんだよ」
 自分たちが落ちてきたと思われる砂の滝を見上げる。滝の勢いもその高さも、そこを登るのは不可能だと告げていた。
「どうすればいいんだよ……」
 ほとんど涙目になってつぶやいたハワードだったが、自分の声に重なるようにして聞こえてきたシャアラの言葉に慌てて目をこすった。
「ごめんなさい」
 シャアラがそう言ったのだ。
「ごめんなさい、ハワード。わたしを助けてくれたばっかりに」
「な、何言ってるんだよ」
 うわずった声ではあったが、ハワードは全力でシャアラの言葉を否定にかかった。確かに余計なことをしなければよかったと、ほんのちょっぴりそう思わないでもなかったのだが、ここでシャアラを謝らせるのは男らしくない。いや、男じゃなくてもいいことではない。そのくらいはハワードにだってわかるのだ。
「シャアラのせいじゃないだろ。助けられなかった僕だって、悪い、のかもしれないし」
 自分が悪いとはまったく思わなかったが、シャアラが悪いとも思わなかったので、ハワードはこの話題をここで打ち切った。
「それより! これからどうするか、だろ?」
「そうね。どうしたらいいと思う?」
「え? ど、どうって」
 自分を見上げるシャアラにとっさに答えを返せず、ハワードは口ごもって視線を落とした。
 高い天井。勢いよく落ちる砂。気をつけていないとすぐに足が埋まってしまいそうになるので、こうして話している間にも何度も足を持ち上げては砂を落とさなければならない。先ほども確認したことだが登るのはどう考えても無理だ。どうやればみんなと合流できるのか、うまい考えは浮かんでこなかった。
「壁に沿って歩くしかないんじゃないかしら?」
「え?」
 シャアラにそう提案されて、ハワードは改めて壁の様子を確認した。
 その壁は高いが、二人は四方を囲まれているわけではなかった。部屋というよりは通路といった感じで向かい合ったそれが長く伸びている。狭くはないし、どこかに続いてもいるようだ。
「歩くっていっても、どこに続いてるかわからないじゃないか」
 見える範囲には壁の終わりはない。どこかに続いていそうだとはいっても、そのどこかに着くまでにどれほど歩けばいいのか全然分からない。それに、そもそもどこかとはどこなのか。
 気乗りしない様子のハワードに、シャアラは腹を立てたりはしなかったが、自分の主張を取り下げようともしなかった。
「だって、元の場所に戻るのはどうやったって無理だもの。ここにこのままいてもしょうがないし、歩くしかないでしょう?」
「それはそうだけどさ」
「大丈夫。水の流れをたどれば、どこかに出られるわよ、きっと」
「水ぅ?」
「そうよ。ほら」
 シャアラの指差す方へ目をやれば、壁と壁の間には確かに水が流れていた。しかも相当な水量が見て取れる。ここはアダムの仲間が作った水道なのだろうか。
 下水道だったら嫌だな。
 そんなことが頭をよぎったハワードに、シャアラは力強く続けた。
「水の流れに気をつけていれば、方向を間違うこともないと思うの。ね、行きましょう」
「そうだな」
 しぶしぶハワードはうなずいた。どのみちそれ以外に手はないのだ。選択肢と言えるものはせいぜい水の流れる方へ行くか、流れてくる方へ遡るか、それだけだ。
 ああ、それにしても。
 ハワードは盛大にため息をついた。
 ほんの数時間前まではあれほど水に苦労していたというのに、こんなところにこんな豊富な水があるなんて。これで水の苦労はとうぶんしなくてもよさそうだが、別の苦労の事を思うとひたすら気分が重かった。
「で、どっちに行くんだ?」
「そうねえ」
 首をかしげたシャアラの表情がひきつった。
「どうした?」
 尋ねながらシャアラの視線を追ったハワードの顔はもっとひきつった。
「あ、あれは、あのときの!」
 水路の奥からふわふわ飛んできたものに、二人は悲鳴のような声を上げた。
 名前などはわからないが、アダムの治療のために立ち寄ったテラフォーミングマシンの入り口で、攻撃を仕掛けてきた小さな丸い機械が何体もこちらに向かって来ていた。
 あの時は一体だったし、カオルが片づけてくれたのだが、今ここにいるのは二人だけ。
 どうすれば。
「く、くくく、来るなぁー!!!」
 思わずシャアラの背中に隠れたが、それに意味があったかどうかわからない。
 数メートルのところにまで近づいてきたその機械がまぶしく光ったと思ったのが最後。つぎの瞬間ハワードの視界は暗転した。

終わり

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