第四十三話 一緒にコロニーに帰るんだ

 ごうごうと鳴り響く砂の音で目が覚めた。
 その次に認識したのは腕の中のぬくもり。
 やわらかな感触に誘われるように目を落として、軽くくせのついた明るい茶色の髪をみとめた瞬間ハワードは勢いよく飛び起きた。
「おい、シャアラ。シャアラ、起きろ。大丈夫か?」
 軽く肩をゆさぶって呼びかけると、睫毛が細かく揺れた。
 こんなに長い睫毛をしていたのかと、場にふさわしいとは思えない感想をハワードが胸の内でこぼしたのとほぼ同時にその瞳が開いた。
「シャアラ。大丈夫か?」
 ほっと息をつきながらもう一度そう呼びかけると、ぼんやりしていた緑色の瞳の焦点がハワードの顔で定まった。
「ハワード」
 こぼれた声はまだどこか不確かな響きではあったが、何かを確かめるかのような不安定なそれに、ハワードは力強くうなずいてみせた。
 体を起こすシャアラに手を貸しながら辺りを見る。轟くような音の元が滝のように流れ落ちる砂であることは確認するまでもなくわかっていた。自分たちが転がっていたのがその砂の上であることも。少し離れたところにはオリオン号の翼が見える。
 けれどその向こうにそびえていたものに、二人の目が大きくなった。
 そこには金属のような輝きをもつ壁があったのだ。
「なんだ、これ」
 近寄って手を這わせると、感触もまた金属のように固くひやりとしていた。
 落ちてきた砂はその壁にぶつかって一度止まっている。ハワード達もそれで流されずに済んだようだ。けれど止まった砂はそこにとどまるわけではなく、壁に沿って横に広がって流れていた。その流れを目で追うと、またも意外なものがそこにあった。
「水……?」
 そんなこと見ればわかる。
 シャアラのつぶやきにそう言い返すことを、ハワードはしなかった。確かに水以外の何ものにも見えないのに、わざわざ口に出して確かめるなんてことは無駄な行為なのかもしれないが、そうせずにはいられなかったシャアラの気持ちはハワードにもよくわかったからだ。
 単に水というより、それは水路と呼ぶべきもののようだった。
 壁に挟まれた溝の中を砂を抱いた水が流れている。
 次々に落ちてくる砂に埋まってしまわないところを見ると、その溝はそれなりに深く、また水の流れも速いようだった。
 水路自体にはとりたてて特徴はない。壁もただの壁。凹凸や模様があるわけでもないただの壁にただの水路。天井がおそろしく高いということを除けば本当になんの変哲もない水路。
 だが、呆然と立ちつくす二人にとっては、ただの水路がそこに存在しているということ自体が驚きだった。
 自分たちがついさっきまでいたのはどこまでも続く乾いた砂漠ではなかったか。
 水も食料も尽きそうなのに、船が壊れたらどうするのかと、ハワードが騒いでから一日と経ってはいないはず。
 シャアラなどはみんなのために水を飲まずに我慢したというのに。
 目の前のこの豊富な水は何なのだろうか。
 目眩がしそうな額を押さえながら、とりあえず砂にも水にも流されるようなことにならなくてよかったと、そうハワードは思うことにした。オリオン号ですらほとんど埋まってしまっているのに、自分たちがそうならなかったのは奇跡に近い。
 それがどんな奇跡だったのかはわからないが、ともかく自分たちは生きている。今いるここがどれほどわけのわからない場所であっても、生きているのだからとりあえず喜ぶべきなんだろう。
 そう思いながら走らせた視線の先で何かが光った。
 砂の中に埋もれたそれには見覚えがあった。あわてて掘り出し、天井からこぼれる光に透かすようにして状態を確かめる。
「よかった」
 多少砂で傷がついているものの、気になるほどの大きなものはなかった。
 まだついたままの砂粒をそれ以上傷がつかないように慎重に払い落とす。そうしてハワードは不安げに自分を見ているシャアラにそれを振って見せた。
「シャアラ。眼鏡、あったぞ!」
「ほんと?」
 とたんに弾んだシャアラの声に得心する。さっきから何かとシャアラが頼りない様子だったのは、眼鏡がなかったからか、と。
 ここに来たばかりの頃ならともかく、ずいぶんとたくましくなったはずの彼女がどうしたのかと思っていたが、何のことはない。眼鏡がないから回りがよく見えていなかったのだ。
「ちょっと汚れてるけど、まあ大丈夫だよな」
 そう言いながらシャアラの顔に眼鏡をかけてやると、ようやくシャアラが安心したように笑った。
「ありがとう、ハワード」
「お礼を言われるほどのことじゃないさ」
 笑うシャアラの顔が見慣れたものになって、ハワードも少し安心したのだが、ほんの少し残念でもあった。眼鏡のないシャアラはすごく可愛いと思ったところだったのだ。眼鏡が見つかったと知って弾んだ声をあげたシャアラを見て。
 まあ、眼鏡をかけているからって可愛くないわけじゃないけどさ。
 そこまで考えてハワードは勢いよく首を振った。
「ど、どうしたの? ハワード」
「なんでもない!」
 ハワードの突然の行動に当然驚いたシャアラに乱暴に言葉を返す。
 とても説明出来そうになかった。とりあえず頬が熱い。
「とにかく、落ちてきたところを辿って上に上がるのは無理だ。みんなといつ合流できるかわからないけど、水の流れに沿って歩くしかなさそうだな」
 強引に話をすりかえると、シャアラは砂の滝を見上げて半分だけうなずいた。
「そうね。あそこを登るのは無理よね。でも、どっちに行く?」
「どっちに、か……」
 確かにそこが思案のしどころだった。水の流れる先に行くべきか流れてくる元へ遡るべきか。
 ここにチャコがいれば地形から推測して、方向を判断してくれたのだろうが、残念ながらハワードにもシャアラにも地形データを保存する機能はついていない。
「そうだな――」
 そこまで言ってハワードは息を呑んだ。水路の奥から何かがふわふわ飛んできたのだ。
「あれは!」
 シャアラも悲鳴のような声をあげて口元を両手で押さえた。
 名前などはわからないが、アダムの治療のために立ち寄ったテラフォーミングマシンの入り口で、攻撃を仕掛けてきた小さな丸い機械が何体もこちらに向かって来ていた。
 あの時は一体だったし、カオルが片づけてくれたのだが、今ここにいるのは二人だけ。
 どうすれば。
 反射的にシャアラを背中にかばったが、それに意味があったかどうかわからない。
 数メートルのところにまで近づいてきたその機械がまぶしく光ったと思ったのが最後。つぎの瞬間ハワードの視界は暗転した。

終わり

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