大丈夫だと言ってマストを登っていくルナを見送るベルの顔がかげった。
「ルナ、心配だよね」
「ああ」
こぼれた言葉はほとんど一人言だったので、返事があったことにベルは驚いた。それは低く短いものではあったけれど。
思わず自分より少し低い位置にある顔を見下ろすと、カオルもまたベルを見上げていた。
「カオ…」
「ベル」
ベルが口を開きかけたのと同時にカオルがベルの名前を呼んだ。
「なんだい?」
「オレは操縦室へ戻る。ベルはここを頼む」
「うん、わかったよ」
ベルの承諾を聞くとカオルは一つうなずいて操縦室へと下りていった。
その背が扉の向こうに消えるまで見送って、ベルは驚きの収まらない胸を押さえた。
いったい何にこんなに驚いているんだろう。
カオルが見かけよりずっと優しいのだということに気づいたのは、もしかしたら自分が最初なのかもしれないとベルは思う。
口数が少ないので誤解されることも多かったが、カオルはいつもカオルの最善を尽くしていた。出来ないことは出来るようになるまで繰り返し、またやりやすいように工夫を凝らす。黙々と自分の責任を果たしていく姿に何度感心させられたことか。
それにカオルは一人で行動することが多かったが、それは決して自分勝手なものではなく、回りにもちゃんと気を配っていた。
ただそのことを口に出したりしないので、彼の気遣いは回りには伝わりにくかっただけだ。
ああそうか。とベルは嘆息した。
『ルナ、心配だよね』
自分のルナを気遣う言葉に、カオルがはっきりと言葉を返したから驚いたのだ。
今までの彼は、誰かを心配していても、それは態度でしか示さなかった。
言葉に出したことは、――あっただろうか。
そういえば、とベルはついさっきの出来事を思い出した。本当につい先ほどのこと、船室でルナを責めたハワードをカオルは一喝した。弱音を吐くなというあれは、もしかしてルナをかばったのだろうか。
記憶をたどれば思い当たることが他にも出てくる。
そうだ、思えばいつからかカオルの口数が多くなっている。
自分の意見をはっきり言って、誰かを気遣う言葉もあって。
ベルがここに来てから変わったように、カオルも変わってきたということなんだろうか。
だとしたらそれはきっといいことなのだ。カオルがその努力と功績のわりに誤解を受けやすいことに、ベルも少なからず胸を痛めてきたのだから。カオルがみんなに理解されるようになるなら、きっとこれはいいことなのだ。
それなのに、今自分の胸が重いのはなぜなんだろうか。
それは怒りやいらだちなどではもちろんなかったが、ざわめきが続く自分の心にとまどい、ベルは眉をよせた。
重い気分をふりはらうようにして空を見上げると、オレンジ色の髪が風にゆれていた。