第二十一話 冬がやってくる

 一人残った背中から風が吹いてきた。
 昨日より確実に冷たさの増したその風に、ベルは首をすくめて身震いをした。
 冬に備えて家を作るべきだという自分の訴えは聞き入れられず、仲間達はみなベルをここに残して帰ってしまったが、残されたベルの中には腹立ちも苛立ちもなかった。
 季節の変化のないコロニー育ちの彼らに、冬がやってくるというその意味を、脅威をわかれというのは難しいことだ。説得できなかった自分をふがいなく思う気持ちこそあれ、仲間に対する怒りはなかった。
 冬が来る前に、みんなを守る場所を作らなければならない。ベルの中にあったのはただそのことだけ。そしてそれは、冬を知る自分がやらなければならないのだと、ベルは洞窟に向き直った。

 洞窟に入ると、ベルは床に数多く転がっている岩を取り除き始めた。快適に暮らすために、また今後の作業スペースを確保するためにも、それは最初に必要な作業だった。
 しかし、それは覚悟していた以上に大変な作業でもあった。人の手の入ったことのない洞窟の中で、岩も石も長い間、もしかしたら何千年以上も同じ位置にずっとあったのだろう。深く土に埋まっているものもあったし、それほど深く埋まっていないものでも、地面にはりついたようになっていて、はがすだけでも骨が折れた。
 ベルは他の仲間よりも年上ということもあって、一番恵まれた体格と体力を持っていた。それに仲間内で一番の力持ちだという自負もあったし、またそれは事実でもあったのだが、それでも、いくつかの岩を洞窟の外に運び出したころには相当息があがっていた。
 汗ばんだ体が吹き付ける風で冷える。ベルは空を見上げた。厚い雲に覆われた空では太陽の光はもとより見えないが、それでも夜が近づいていることはわかった。
 岩を取り除いたら、かまどを作って、火を炊き、洞窟内を乾燥させなければならない。そして換気口を作って、入り口をふさいで、生活に必要なものを整えて。この洞窟がみんなを守る場所となるには、まだまだ必要な作業が山とある。しかも、時間はあまりない。
 まだ洞窟内に残っている岩の数を思い浮かべてベルの顔がかげった。完全に暗くなってしまう前に、もっと進めておかなければ。
 ふと、こちらに近づいてくる足音に気づいた。ベルはその方向に顔を向け、そして足音の主を確認すると笑みをこぼした。
「カオル」
 呼ばれたカオルは黙って歩いてきた。右手に石槍を、左手に今日の収獲だったらしい魚をさげている。
 カオルはベルの前までくると、左手に下げた魚のうち、一匹をベルに向かって差し出した。
「後で食べるといい」
「え、でも」
 それを受け取ることをベルはためらった。カオルの手に残る魚はとても充分な量とはいえない。それを持って帰ってもみんな満足はしないだろうに、自分がもらってしまってもいいものだろうか。
 しかし、カオルはそれを引っ込めようとはしなかった。ベルがためらっているのを見てとると、さっさと魚を洞窟の脇に置きに行く。
「これから食料を探すつもりなのか?」
 ベルに背を向けたままそう言ったカオルに、ベルは返す言葉がなかった。とにかく作業を進めなければとそればかり考えて、自分の食事のことなどすっかり頭から抜けていた。しかしいくら家の完成を急ぐためとはいえ、ずっと食べずにいられるはずはなく、だからといって食料を探しに行くような時間の余裕がないこともまた確かで。
「ありがとう。カオル」
 だから魚を置いて戻ってきたカオルに、ベルは礼を言った。
 カオルはそれに黙ってうなずくと、視線を動かして辺りの様子を一通り確認し、口を開いた。
「岩をどければいいのか?」 
「え? ああ、うん。まず床を整えて、その後かまどを作ろうと思って」
 魚から急にとんだカオルの言葉にベルは戸惑って、答えが少しだけ遅れてしまった。カオルの方はベルの戸惑いを気にした様子もなく、そうかと軽く答えると洞窟の中に向かった。
「カオル?」
「二人の方が早い」
 それだけ言うとカオルはさっきベルがやっていたように、岩を転がして洞窟の外に出す作業を始めた。


 雲は確実に昨日より厚くなっているようだ。それでも朝が来るとやはり明るい。短い眠りから覚めたベルは、だいぶ広くなった洞窟の床の平らな部分を、朝の光の中に見て目を細めた。
 作業人数は一人から二人と倍になっただけだったが、作業効率、速度の高まりはそれ以上だった。本格的に暗くなる前にカオルには帰ってもらったが、それでも作業の進み具合は充分満足のいくもので、昨日一人でこれだけはやっておきたいと考えていた、その段階をはるかに超えることができた。
 やっぱりカオルはすごいな。
 ベルは一つ伸びをすると、今日の作業を開始した。
 まだ残っていた岩を外に運び出す。そう時間がかかる前に床はすっかりきれいになった。次に火を炊くためのかまどを作ろうと、ベルが適当な石を選んで組み始めたころ、昨日のように足音がして、カオルが姿を見せた。
「カオル、今日も来てくれたんだね」
 迎えたベルの前でカオルは抱えていた荷物を下ろした。
「これは?」
「今日からの作業には必要だ」
 そのうちの一つを拾い上げると、しばらく前に自分が作った石斧だった。それ以外にも黒曜石のナイフや、木のシャベルなどいろいろな道具がそろっていた。そのうちのいくつかは見覚えのあるもので、きっとみんなの家から適当に持ってきてくれたのだろう。しかし、残りは見覚えのない、作ったばかりの真新しいものだった。昨日みんなの家に帰ってから作ってくれたのだろうか。もしそうなら、カオルもほとんど寝てないんじゃないだろうか。
 石斧に落としていた視線を戻すと、カオルはもう洞窟の中に入ろうとしていた。
「カオル」
 呼びかけると振り向いて視線を向けてくれたカオルに、昨日訊きそびれていた問いをむける。
「どうして、カオルは手伝ってくれるんだい?」
 ベルの足元で真新しい道具たちが、吹き付けてきた強い風にゆれて小さく音をたてた。
 カオルは何も言わず洞窟に入っていった。そうして中を確認している様子が、暗い中でも見て取れた。
 答えがなかったことはそう意外でもなかった。ベルはひとつ息をついて、手元の石斧と足元の道具を交互に見やった。そしてかまど作りに戻ろうと顔をあげると、いつのまにかカオルが側に戻ってきていた。
「ベル、オレは薪を探してくる」
 洞窟内を確認して、かまど作りはベルにまかせることにしたらしい。ベルは笑ってうなずいた。
「うん、じゃあ頼むよ。俺はかまどを仕上げておく」
 カオルもうなずいた。そしてベルの脇を通って森の方へ歩いていく。肩越しにその背中を見送って、ベルも洞窟に足をむけた。

「お前は正しいと思う」
 
 風に乗って背中から届いたさっきの問いの答えに思わず振り向く。黒い背中はもう森の木の中に見えなくなっていた。
 ただ一言の回答。後でもう一度尋ねても、もうそれ以上は返ってこないだろう。しかし、それでもう充分だった。
 かまどができたら、火を炊き、洞窟内を乾燥させ、そして換気口を作って、入り口をふさいで、寝床を作ったり、食料などを保管する場所を整えたり。この洞窟がみんなを守る場所となるには、まだまだ必要な作業が山とある。風はまた冷たくなっていた。しかし、それはもうそれほど遠い道のりには思えなかった。

終わり

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