第十六話 僕だって帰りたいんだ

 誰もいないと思った暗い部屋に妻が一人ただ立っているのをみつけて彼は驚いた。明かりをつけて妻に歩み寄る。
「どうしたんだ? 明かりもつけないで」
 声をかけられると彼女は一瞬視線をあげて夫を見たが、またすぐにその瞳を伏せてしまった。
「自動調理器がね、壊れてしまったの」
 その手元を見ると、壊れたという調理器の形をなぞるようにして、何度も何度も手を往復させている。
「修理を依頼しなければと、思ったのだけど……」
 そこまで言って言葉をつまらせた妻の肩を抱きよせる。言えなかった言葉の続きは彼にもよくわかった。
 彼らの家では壊れた機械の修理を外に頼むことなどもう何年もなかった。たいていのものなら長男が直してくれていたからだ。
 彼らの長男は幼いころより機械いじりに興味を示し、「好きこそものの上手なれ」という言葉通りにその才能を発揮していった。つい先頃は数学と物理の成績が認められ、名門ソリア学園で二年の飛び級が認められた彼らの自慢の息子だ。
 しかし、今その息子がいない。
 ソリア学園の修学旅行でシャトルの事故にあい、現在行方がわからないのだ。大規模な捜索にもかかわらず手かがりはゼロ。近頃ではその生存は絶望とすら言われていた。
「ねえ、あなた」
 夫の腕の中で声をふるわせて不安をもらす。
「あの子、珍しい機械を見ると喜んでさわっていたでしょ。まさか事故の原因があの子だなんてことは」
「まさか」
 彼は妻を抱く手に力をこめた。
「確かに機械に夢中になりすぎるところはあるけれど、あの子はちゃんと分別のある子だ。……きっと今ごろはみんなで助かるために一所懸命がんばっているさ」
「そうね、そうよね」
 眼鏡をあげて涙をぬぐう妻に彼は笑ってみせた。
「だから、調理器は修理に出さなくていいよ。シンゴが帰ってきたら直してもらおう」
「でもそれまで私の料理でがまんしてもらわないといけないわ」
 かすかではあったが、笑顔をみせた妻に彼は片目をつぶった。
「なに、そう長いことではないさ」

終わり

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