再会と教訓

 その再会は意図したものではなく偶然がもたらした思いがけないものだったが、カオルはそれを心から歓迎し、久しぶりだと笑顔で差し出された手を、同じように笑顔で握り返した。

 宇宙を飛び回る仕事についた自分。同じく移動の多い仕事をしている仲間も多いのだから、懐かしい顔に出会う機会はもっと頻繁にあってもよさそうなものなのだが、そうは言ってもやはり宇宙は広いようだ。約束なしで知人に出会う経験はこれが初めてだった。
 その初めての再会の相手となった彼女も、カオルと同じようなことを考えていたらしい。
「仕事柄出張する機会は多いのだが、こんなふうに誰かと会うことができたのは初めてだ」
 せっかくだから座って話そうと立ち寄った店で二人してコーヒーを待ちながら、出張の多い仕事すなわち連邦議員秘書についたメノリが最初に口にしたのはそんな言葉だった。
 運ばれてきたコーヒーを手にとって、オレも初めてだとカオルが答え、それからは互いに近況の報告と、他の仲間についての情報の交換が始まった。

 ――大変な仕事だということはわかっていたつもりだが、実際にやり始めるとそれがつもりでしかなかったことがよくわかる。日々自分の至らなさを痛感するばかりでまだ何もできずにいるのだ。
 と、そんなことを言いながらも、充実した日々を送っているのだろう。力強い輝きに満ちたまなざしで語るメノリに相づちをうちながら、カオルは少しばかり奇妙な気分を感じていた。
 奇妙といっても居心地が悪かったわけではない。不愉快なわけでも、もちろんなかった。むしろカオルはこの再会を喜び、今の会話を楽しんでいた。ただ、自分が今楽しんでいるというそのことが、カオルには不思議なことのように思えたのだ。
 同じ学園に通い、同じクラスに在籍していた仲ではあったが、カオルは当初メノリに良い感情は抱いていなかった。というよりも興味も関心もなかったというほうが正確だろうか。自分には関わりのない相手だ、というそんな認識すら抱かぬほどに、メノリはカオルの視界から遠かった。もっとも当時カオルの視界に入っていた人間などいなかったのだが。
 それが今ではどうだろうか。メノリを相手に、思いがけない出会いとたわいのない会話を、今自分は楽しいと感じている。そのことがカオルに新鮮な驚きと共に、奇妙な、どこかむずがゆいような不思議な気分をもたらしていたのだった。
 メノリを相手にこんな穏やかな会話ができるようになるとは、あの頃の自分からは想像もつかないことだ。
 メノリがカオルの視界に入ってくるきっかけとなったあの遭難事件。メノリと嫌でも関わりを持たなければならなくなったその始めの頃に、カオルがメノリに抱いた印象を思えば、これは奇跡に近いことなのではないだろうか。
「……んだ」
「ん?」
 あの日々が自分達にもたらした影響の大きさとその価値について改めて思いをはせ、しばし追憶にひたっていたので、カオルはメノリの話題がいつのまにか変わっていたことに気づかず、メノリの言葉をいくつか聞き逃してしまった。
 一対一の会話の途中で自分だけの考えに浸ってしまったのだ。それはとがめられても仕方のない失態ではあったが、時間にすればわずか数秒にすぎない。重大な落ち度だなどとそこまで言えばカオルが気の毒ではあろう。メノリもカオルが自分の話を聞いていなかったことに気づかなかったようだ。
 しかし、誰にとがめられずとも、カオル自身が自分のうかつさを呪った。カオルを批難することなく続いたメノリの言葉を正しく理解することが出来なかったからだ。

「……やはり好きなんだ。あきらめきれない」

 メノリが自分のことを好きだったなんて!
 ――などと考えて舞いあがるほどカオルはおろかではなかった。自分がメノリに抱いている、そしてメノリが自分に向けてくれている好意は、そのどちらも仲間としての親愛と尊敬のレベルを超えるものではないということくらい、カオルはわきまえていた。どこかのお調子者なら早合点して妄想をたくましくするのかもしれないが、その点ではカオルは冷静だった。
 だがしかし。ならばメノリのあきらめられないほどの想いとは、いったい誰に向いたものなのか。
 何も聞かずにその答えを測れるほど、カオルは人の感情に通じてもいなかった。 
 見ればメノリはテーブルの上で両手を組み、自分の両手に視線を落とすような形でうつむいている。その伏せた目元も、寄せた眉根も、メノリの悩みの深刻さと、その想いの深さを示している。だが、その強い想いがどこに向いているのか、カオルにはやはり見当がつかなかった。
 わからないなら尋ねればいい。
 しかし今度はメノリが自分の感情に夢中になっているらしく、一方的に話は続き、困惑しているカオルが口をはさむ隙がない。
「お父様は何もおっしゃらない。やめた方がいいと反対されたことはない。だが、私は迷っているんだ」
 いったいメノリはどういう状況にあるのだろう。その相手との関係は父親の意向を心配しなければならないような難しいものなのだろうか。それでも表立って反対されていないのならば、メノリの想いを通してもいいのではないだろうか。
 そういった推測はできるが、会話の前提となる情報を聞き漏らすという最初にしでかした痛恨のミスがいつまでも響き、カオルに結論は出せない。
 ――大変申し訳ありませんが、もう一度最初から話してはいただけないでしょうか。
 丁重にお願いを申し上げるべくカオルは何度もタイミングを計ったのだが、メノリの話は途切れない。カオルが半ばあきらめかけてきたころ、メノリはうつむいていた顔を元に戻した。そうして再びカオルに向けられた真摯な瞳の力に、結局カオルはメノリの話を聞き続ける体勢を崩せなかった。
「今私がするべきことは、全力で与えられた仕事にとりくむことであり、先に掲げた目標に近づく道を探し出して形にすることだ。それなのに目先の仕事ですら満足にこなせない自分が、好きだからといって他のことに目を向けたりしていいものだろうか」
 テーブルの上で握られたメノリのこぶしが小さく震えていることに、カオルは気づいた。
「……わかっているんだ。いいはずがない。二兎を追うものは一兎をも得ずという言葉もある。成すべき事があるのなら、私はそれに集中すべきだと思う」
 だが。
 こぶしの震えを止めぬままに、だが、とメノリは言った。
「好きなんだ。どうしても手放すことはできない」
 言葉と共に吐き出された深い吐息。そして自分に向けられた瞳に、先ほどまでとは違うすがるような光を見てカオルは思わず息を呑んだ。
「カオルは、どう思う。夢の実現はまだ遠いのだ。やはりただ好きだというだけの想いは捨てるべきだろうか」
 ようやく途切れたメノリの言葉。そうして流れた短い沈黙の後、カオルは口を開くより先にゆっくりと首を横に振った。
 かなわないかもしれない夢。
 届かないかもしれない想い。
 そのどちらにもカオルには覚えがあった。幸い今のカオルにとってその夢はもう夢ではない。現実としてすでに手が届いている。けれど今もまだ夢の途中だ。今の位置で満足しているわけではない。まだ進みたい道があるという意味で、カオルの立場はメノリと同じだ。
 そしてただ好きだというだけの想い。それは今もこの胸にある。メノリのように夢を追う自分。それならばこれは、夢を極めるために手放すべきものだろうか。
 あの懐かしい惑星で見た陽の光と海の色。まぶしいそれらを映したような明るい髪と澄んだ瞳がカオルの胸に浮かび、カオルはもう一度首を振った。
 果てしない夢。届かない想い。それでも、自分は。
 
「回りの状況がどうあれ、それが自分にとって大切なものならば、捨てるべきではないとオレは思う」
 
 ゆっくりと、そして力強く言いきったカオルの言葉に、メノリが最初に返したのは微笑だった。その微笑が柔らかいものだったので、カオルは自分の答えが間違っていなかったことを知った。
「そうだろうか」
 続いて出てきた言葉は疑問の形をとっていたが、カオルの答えを疑うような響きはやはりなかった。だからカオル自分の答えに力を加えるように微笑みながらうなずいた。
「お前なら、できるだろう」
 好きな想いと大切な夢とその両方を共に追いかけることが。
 きっとメノリも最初からあきらめるつもりなどなかったのだ。ただ少し迷っただけ。きっとカオルが言わなくても、いつかは同じ結論を出していただろう。
 だから音にしなかった言葉の続きも、確かにメノリに届いた。その証拠に。
「ありがとう。カオル」
 謝礼と共に向けられた微笑には、凛とした威厳と美しさが戻っていた。


 それからはまた、たわいのない会話に戻り、今後の予定などを話していたのだが、ふとこぼれたメノリの言葉に、カオルの動きが止まった。
「……バイオリン?」
 湧き出した嫌な予感を抑えて、なんとか平静に尋ね返すことができた。カオルの努力の甲斐あってか、メノリも特に気にしたふうもなく、快活に答えが返ってきた。

「ああ。演奏会に出ないかと誘われていてな。同じ先生についた仲間同士で組むんだが、多忙を理由に楽器に触る時間が短くなっている私が出てもいいのかどうか、悩んでいたんだが、おかげでふっきれた。日程が決まればカオルにも連絡する。仕事の都合がついたら、ぜひ来てくれ」

 心晴れ晴れ、さわやかな笑顔で差し出されたその申し出に、楽しみにしているとか何とか、どうにか無難な答えを返してはいたが、カオルの思考は一瞬で空白となっていた。
『悩んでいたが、おかげでふっきれた』
 その言葉が何度もカオルの脳裏に響く。
 ということは、つまり、さっきまでメノリが延々訴えていた迷いの元というのは、好きだからあきらめられないというその対象というのは、要するにそれは。
 ――愛しい『彼女』のことを思い浮かべたりした自分はいったい何だったのだろう。
 これではまるで道化だ……。
 徒労感にうちひしがれるカオルの思考が、聡明なメノリの慧眼をもってしても見とおすことができなかったのは、カオルにとって幸運なことであったろう。もし伝わっていれば、メノリからの信頼と尊敬を失ってしまっていたかもしれない。

『人の話はちゃんと聞きましょう』

 偶然の再会がカオルにもたらした教訓は、随分と苦いものだった。

終わり

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