欲しいもの (金色のコルダ 土浦)

 女の子というのはイベントが好きだ。特に誕生日というのは最重要イベントの一つだ。「最」重要なのに一つとは限らないってのはどういうことだ?と、彼のような高校生男子には理解しがたいところはあったが、ともかくそれらは重要で、忘れたりおろそかにするようなことがあればとんでもないことになるのだ、ということは理解していた。
 だからおろそかにするつもりは最初からなかったのだが、尊重しようと決めたら決めたで頭の痛いことがある。

 誕生日イベントの必須アイテム「バースデープレゼント」。

 いったい何を贈ればいいのか皆目見当がつかなかったのだ。
 女の子の欲しがるようなものなんて、男の自分にわかるわけがないと、半ば以上開き直りに近いあきらめが広がる。そこを頑張って選ぶから女の子は感激する、のかもしれないが、それだって最終的に素敵なプレゼントがもらえたからこその感激なのではないだろうか。
 男がどれほど苦労しようが、くだらないものはくだらないと見向きもしないのが女という生き物だ。
 その強面で女の子に敬遠されることもある彼は、「女子」というものにあまりいい思い出がなく、偏見だと自分でも半ば悟りながらもそんなふうに考えていた。
 自分の彼女だけは別だと思いたい気持ちは彼にもあったが、彼はそれなりにリアリストで安易な楽観論にはしることはできなかった。
 もし自分が選んだプレゼントが彼女の気に入らないものだったとしても(自分が選べばおそらくそうなると彼は考えている)、彼女は彼の努力をくんで、あからさまにがっかりした顔を見せることはないかもしれない。でもそれじゃあ意味がない。
 表情はどうあれ、内心でがっかりさせてしまうのなら、贈り物をする意味がないじゃないかと彼は思う。第一、誕生日なのに気を遣わせてどうするのか。
 誕生日が女の子にとって重要なイベントなら、ちゃんと喜ばせてやりたいし、どうせなら本物の笑顔が見たい。
 そう結論付けた彼は、贈る相手に欲しいものを事前に聞くという、ある意味禁じ手を使うことにためらいはなかった。選んでくれないのかという不満は生じるかもしれないが、いらないものを押し付けるよりはマシだろうというのが彼の言い分だった。

 

「誕生日に何か欲しいものはあるか?」
 単刀直入に尋ねると、香穂子はきょとんと目を丸くし、次いで苦笑した。「それ、訊いちゃうの?」と口には出さなくてもその目が言っている。
 しかし香穂子は怒り出したりはしなかった。すぐに苦笑を収めると、彼も驚く熱心さで考え込んだ。
「なんでもいいの?」
「……俺にできることならな」
 彼女の様子があんまり真剣なのでいったい何を言い出すのかと彼は一瞬身構えた。しかし自分から尋ねておきながら条件をつけるのは卑怯だと思ったので、太っ腹に請け負う。
 すると香穂子は至極満足そうに、にんまりと笑った。してやったりとでもいうようなその笑みに、若干不安が増しつつも、黙って香穂子の言葉を待つ。
 香穂子は彼の怯んだのに気づいたらしく、いたずらっぽく笑いながら上目遣いで彼の目を覗き込むと、ぴんと右手の人差し指を立てて自分の「欲しいもの」を口にした。

「ピアノ、がいいな」
「は?」

 買えっていうのか?
 そんな無茶なと彼はごく真っ当にそう思ったのだが、彼がそう口にする前に香穂子は彼の誤解を解いた。
「ピアノを弾いてほしいの」
 眉間にしわを寄せたままの彼の前で、香穂子は彼女の「欲しいもの」の説明を続ける。
「一日中私の好きな曲を好きなだけ弾いてほしいな。私がもういいって言うまでずーっと」
 あなたのピアノが聞きたいわ、と歌うように香穂子は続けた。

 狙い通り彼女の「欲しいもの」は聞き出せたが、彼はどうもすっきりしなかった。そんなものでいいのか?と首をひねる。あんなに一生懸命考えているから、いったい何を言い出すのかと思ったのに、そんな簡単なものでいいのだろうか。
 そんなもので女の子にとっての最重要イベントをクリアしたことになるのだろうかと、それが腑に落ちなくて、容易くかなえられる願いにもかかわらず彼はすんなり承諾できなかった。

「そんなの別に誕生日じゃなくてもできるだろ」
「ほんとに? いつでもいいの?」
「あ? ああ」
 納得がいかなくてこぼした言葉に、どういうわけか香穂子は勢いこんで尋ねかえしてきた。その勢いにたじろぎながらも彼がうなずくと、彼女はぽんと両手を打ち鳴らして「じゃあ、それ」と言った。
「それ?」
「うん。いつでも好きなときにピアノを弾いてもらえる権。それが欲しいな」
「は?」
「私が聞きたいって言ったら、いつでも弾いてくれるの。誕生日じゃなくてもいいんでしょ?」

 あくまでプレゼントはそれがいいのだと繰り返す。
 いいって言ったよねと無邪気に自分を見上げてくる笑顔を、彼は呆れて見下ろした。

 好きな時にピアノを弾いてもらえる権?
 そんなものとっくに彼女のものだ。
 自分の音楽は誰よりも彼女のためにあるのに。

 このとき彼の心にわきあがったのはそうした思いだったが、悲しいかな、彼は口に出してそう言えるような性格ではなかったので、彼はただ彼女の要求を受け入れた。

「じゃあその権利は無期限有効にしといてやるよ」

 そう付け加えるのが彼にとっての精一杯だった。

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