きっかけ (ヒカルの碁) 

息子に恋人ができたことに、母親が気づくきっかけというのはどういうものがあるだろうか。

 彼女はなかなか気づくことができなかった。
 急におしゃれになったとか、そわそわ携帯電話の着信を気にするようになったとか、休日の外出が増えたとか、そうしたある種微笑ましい変化は、彼女の息子の場合一切なかった。それに、見知らぬ女の子と歩いているところを見かけるというような決定的な瞬間も、またなかったからだ。

 彼女のきっかけは、結局ごくささいなことになった。

「あかりちゃんの誕生日、もうすぐじゃないの?」
「そうだな」

 カレンダーを眺めて目についた日付について、息子に声をかける。
 それは特に意図があってのことではなかったが、なんとなく毎年続いていることだった。息子と二言三言、言い交わしてそれで終わる何気ない日常のひとこま。

 ところが、その年に限って彼女は息子の返答に驚愕した。実に穏やかにさりげなくなされた短い返答に。
 去年までは、母親のおせっかいとも言える問いかけに息子は機嫌を悪くした。「それがどーした」となげやりに吐き捨てるか、「俺には関係ないだろ!」と激しく反発するか。母としても特に何かをさせようと思ってのことではなかったので、息子の幼い反応に肩をすくめ続けてきたというのに、この変わりようはいったいどういうことだろう。

 しかし最初の衝撃が収まってくれば、どういうことなのか彼女にも思いつく事柄はあった。だが、それを思いついたら思いついたで、彼女は二度目の驚愕に目を見開いた。

 あらまあ、と彼女は思わず大声をあげた。

 ただし胸の中だけで。ここで自分が大騒ぎすれば、結局毎年のように息子がすねてしまうことになる。そうなれば今度は問題が家庭内にとどまらず「彼女」に迷惑がかかってしまう。
 そう考えた彼女は賢明にも沈黙を守り、それ以上詮索と追及をすることを避けた。ただし、そうなればいいのにと思い続けてきたことが実現するかもしれないと思うと、顔がゆるむのは止められず、息子にたいそう気味悪がられてしまったが。

 さて、この日息子は家で夕飯をとるのだろうか。

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