雨の日で10題...2  01. 雨の日の待ち合わせ (コルダ)

 雨の日の待ち合わせが、香穂子はあまり好きではなかった。
 待ち合わせをしている日に雨が降ると、香穂子は落ち着いてはいられない。待ち合わせの場所まで急ぐときもそうだし、今みたいに先に着いて相手を待っているようなときは本当に気が気でない。
 待ち合わせの場所にしたお店の前には、厚いビニール製のひさしが張り出していた。夏の雨は粒が大きい。ひさしに降り注ぐ大粒の雨はやたら景気の良い響きを奏でていたのだが、香穂子の表情は冴えなかった。
 香穂子は腕にさげた袋を見下ろして、そこに乾いたタオルがちゃんと入っていることを確かめると、再度雨の向こうへ目を凝らし、待ち合わせの相手を探した。
 そして待ち合わせの時間より幾分早くその人が姿を見せるや否や、香穂子は相手が到着するまで待っていられなくなり傘を開いて雨の中を飛び出した。

「志水くん!」
 相手の名前を呼びながら、香穂子の手はすでに持参の袋からタオルを取り出している。
「どうして傘持ってないの?」
 尋ねるのとタオルを彼の頭にかけるのは同時だ。
「ありがとうございます」
 志水の言葉は、しかし、香穂子の問いに対する答えではなく、香穂子の行為に対する謝礼だった。テンポのずれた志水の返答に香穂子は戸惑ったりはしなかった。今さらそんなことに戸惑うような仲じゃない。
 香穂子は志水の髪を拭きながら自分の話題を続けた。

「いくら夏だからって、濡れるのは体に良くないよ。どうしていつも傘を持ってこないの?」

 そう。これが初めてではないのだ。志水と待ち合わせをするようになってから、雨の降った日はそう多くはないが、その少ない雨の日の待ち合わせに、志水は何故かいつも傘を持ってこなかった。今では香穂子も心得ていて、濡れそぼる彼のためにこうしてタオルを用意したりしているのだが、もうそろそろ夏も終わる。濡れても拭けばいいなんてのんきなことを言ってはいられない。
 今度からはタオルでなくて傘も持ってこよう、それよりもいっそ迎えに行った方がいいのかもしれないと、香穂子が考えをまとめていると、髪を香穂子に預けたままの状態で志水が口を開いた。

「先輩に早く会いたくて」

「え?」
「玄関を出て、傘を持って出るのを忘れたって気づいたんです。でも取りに戻ると先輩に会うのが遅れてしまうから」
 今度はちゃんと問いに答えてもらえたのだが、その内容に納得すべきかどうか判断のつかなかったので香穂子の答えはやや遅れた。
「……傘を取ってくるくらい、すぐでしょ?」
「すぐですけど、でも遅れます」
 やけにきっぱりと言いきった志水の口調に香穂子がとっさに言葉を返せずにいると、志水は香穂子の手から傘を取り香穂子にさしかけた。

「それに、この方が先輩の近くにいられますから」

 別々に傘を差しているとその分距離が開いてしまうからこの方がいいと、志水はさらに詳細な解説を加えたのだが、香穂子は志水の顔を見ていられなくなり、両手が空いたのを幸いにうつむいて自分の顔を隠した。
「先輩?」
 どうしたんですかと普段の口調で問いかけてくる志水に首を振りながら、やっぱり次は家まで迎えに行こうと香穂子は心に決めた。

 傘を一本だけ握りしめて。

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