麗日

「……何をやっているんだ?」
「へ?」
 みっともなく口を開けてほけーっと何かを見ている旅のつれ。みかねて声をかけてみれば、開きっぱなしだったその口から返ってきたのはなんとも間の抜けた音で、ラクウェルは思わず眉間を押さえた。

 うららかな昼下がり。旅の必要品の買い出しに出てきたはずが、暖かな日差しに誘われて散歩になってしまった。この街は大きくはなかったが、街並みがきれいだった。そんな大げさなものではないが、あちこちに植えられた緑と家の窓辺に並ぶ花咲く鉢が目に楽しい。
 そんななかのんびり歩いて、今二人がいるのは、街の中心にほど近い公園だ。
 公園といっても特に何があるというわけではない。ただ、家が2、3軒入りそうな空き地に芝と花と木があるというだけのささやかな空間。それでも、そこを包む空気は優しく澄んでいて心地よかった。
 それでラクウェルが口元がほころぶのを自覚しながら隣に目をやれば、アルノーはほころぶというよりしまりのない顔をしていたので、軽い頭痛を覚えたというわけだった。

「何か言ったか? ラクウェル」
 相変わらずほやほやした口調を直そうとしないアルノーに頭痛が増すのを感じながらも、ラクウェルは辛抱強く問い直した。
「何をしているんだと訊いたんだ。何か見つけたのか?」
 するとアルノーはああと小さくうなずいて、あごでさっきまで自分の目が向いていた方を差した。
「いや、あれ、いいなーって思って」
 何が、とアルノーのあごの先をたどって、それを見つけたラクウェルの顔がひきつった。
 芝生の上に桃色のシートをしいて、そこに座る一組の男女。その膝の上にはカラフルなランチボックス。一般的な昼ご飯の時間には少し遅いのだが、見るからに幸せそうな二人とってそんなことは問題ではないらしい。男があーんと大きく開けた口に女がいそいそと箸を差し入れたのを確認して、ラクウェルは目をそらした。
「いいのか? あれが?」
 固い調子で尋ねてみれば返ってくるのはどこまでものんきな笑顔。
「いいだろ? 男のロマンだよなあ」
 何がロマンだとあきれて言葉にならない。これ以上つきあうのは馬鹿馬鹿しいと歩き出すと、アルノーが後ろからついてきて、気楽に気軽にとんでもないことを言い出した。
「なあなあ、今晩あれ、やってくれよ」
「な!?」
 勢いよく振り返ると、にやにやという表現がぴったりの笑顔が目の前にあった。
「馬鹿を言うな」
 さっきからゆるみっぱなしのその顔がにくらしくて、ラクウェルはことさらにきつい表情を作ってやったのだが、半分以上わかっていたことだが効果はなかった。
「いいじゃないか。あれくらい」
 射るようなラクウェルの視線の先で、平然と口をとがらせすねてみせる。
 二十歳も近い男のすることじゃない。ラクウェルはこめかみに怒りの印が浮かぶのを感じながら、目の前のお調子者をなぐりたおしたくなる衝動をかろうじて抑えこんだ。
 わざとだ。わざとなのだ。この男はいつもこうだ。
 何かと過剰に反応する自分のことがおもしろくてからかっているのだ。
 いちいちつきあっていたら馬鹿をみる。
 ラクウェルはまだすねた演技をしているアルノーの正面に立った。そして胸をそらして腕組みをし、余裕の笑顔を作り上げ、目の前の軽薄男を悠然と見下ろした。
「そうだな、そんなに言うならしてやってもいい」
「へ?」
 案の定アルノーは意表をつかれたらしい。さっきまでとは違ったしまりのなさで口が開く。
 やっぱりからかっていただけなのだと腹をたてながら、ラクウェルは笑顔のまま続けた。
「お前があれをやってくれるっていうならな」
「あれ?」
 今度はアルノーがラクウェルの視線の先をたどって、それを見つけたアルノーの顔が輝いた。
「いいぜ」
 即答。
「何!?」
 ラクウェルの余裕の笑顔が崩れる。
「だから、いいって。何なら今すぐやるか?」
 アルノーの方は満面の笑み。
「あそこなんか、いいんじゃないか?」
 そう言ってさっさとラクウェルの手をとって歩き出す。
「ま、待て。ほんとにいいのか?」
 思わぬ展開にラクウェルは体勢を立て直すことができない。されるがままにアルノーに連れて行かれてしまう。
「なんだよ。お前がしろって言ったんだろ?」
 アルノーは鼻歌でも飛び出しそうな上機嫌だ。さっきアタリをつけた場所までくると、腰を下ろし、自分の膝を軽く二回たたいた。
「さ、どうぞ」
 どうぞと言われても、ラクウェルは立ちすくむことしかできない。
 からかわるだけなのがくやしくて、こちらからも何かしてやろうと思ったのが間違いだったようだ。
 さっき仲睦まじく昼食をとっていた二人のすぐ隣。そこにも一組の男女がいた。
 木にもたれて座っている女は本を読んでいた。そして男の方は昼寝をしていた。
 女の膝の上に頭を載せて。
 それをしろと、ラクウェルは言ってしまったのだ。
 さすがにそれはできなかろうと思ったのだが、それが大いに間違いだったようだ。
 致命的なまでに間違いだったようだ。
 ラクウェルが自分のうかつさを呪っていると、アルノーが楽しげに手招きをしてきた。
「いいから来いって。ここ、風が気持ちいいぜ」
 言われてみれば確かに、さっきから髪が風にゆれていた。寒くも暑くもないそれが、血の上ったラクウェルの体を冷ましてくれる。さわさわと木の葉がゆれる音も聞こえてラクウェルの表情が柔らかくなった。
「な?」
 アルノーが笑う。それがさっきまでのからかいの混じったものではなかったので、ラクウェルも自然に微笑むことができた。
「アルノー、ちょっとそこをどけ」
「え? なんで」
「いいから」
 そう言うラクウェルの声が軽く弾んでいることに気がついたのか、アルノーはそれ以上何も言わず大人しく立ち上がり、場所を空けた。
 どうするのかと顔だけで問いかけてくるアルノーに、さっきのような余裕の笑顔で答えておいて、ラクウェルはそこに腰を下ろした。そうしてアルノーがしたように自分の膝を二回たたく。
「さ、どうぞ?」
 アルノーの目が大きくなった。きょとんとして立ったままラクウェルを見下ろしてくる。
 何を言われたのか分からないとでもいうかのように、その瞳が何度か瞬いた。
 どうやら一矢むくいることができたらしい。そのことにどこまでも気分がよくなって、ラクウェルは今までよりさらに余裕を追加した笑顔で言った。
「どうした? 風が気持ちいいのだろう?」

 うららかな昼下がり。適度に整えられた緑と花が目に楽しい。髪をゆらす風が心地よい。
 そして膝に感じる重みとぬくもりが愛おしい。

 宿に戻るのは、風が冷たくなってからでいいだろう。

終わり

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