乏しいお金とため息と

 さっきから耳をなぐりつけるように聞こえてくる波の音は厳しく冷たい。
 その波を越えて吹き付けてくる風も情け容赦なく体を切りつけてくる。
「わっぷ」
 風にまかれた首のマフラーに背後から顔をふさがれて、アルノーは舌打ちをしながらそれをはずすとため息をつきながら肩を落とした。
 ああ、いったいなんだってこんなことになってしまったのだろう。
 知らぬ土地だからとりあえず必要だろうと考えた、見回りの役目に自分がつくことになったのは、同行者とのじゃんけんに負けたせいだ。その見知らぬ土地にいるのは潮に流された結果だ。潮に流されるような状況になったのは、空の上に浮かんだ村から脱出ポットで飛び出して海の上に落ちたからだ。
 そして脱出ポットなんぞに乗らなければならなくなったのは。
「軍の仕事なんて引き受けるんじゃなかった」
 うめくような声がアルノーの口からもれた。
 駆け出しの渡り鳥であるアルノーは、そうそう仕事を選んでいられる状況にはなかった。それでも、持ち前の良く回る頭と要領の良さでこれまでは結構うまくやっていた。労力は最小限に成果は最大限に。アルノー1人がそれなりに楽しく生きていくのに、必要なだけの金はそこそこ稼げていた。
 それがここ数ヶ月あまりうまくいかなくなってきた。目立ったものはなにもないが、世界のあちこちでなんとなくきな臭い動きが出てきているから、らしい。らしいというのは、この前仕事を一緒にした熟練の渡り鳥から聞いた話だからだが、実際ちょっとした仕事というのを見つけるのがなんとなく難しくなってきたのだ。たまに仕事があっても、それは一目で危険度か手間の大きそうなものばかり。そんな中、ふらりと舞い込んできた仕事が、今のアルノーの状況を作った原因となってしまったというわけだ。
 とある民間人を目立たないように連れてきてほしいというそれは、今考えてみれば充分怪しいものだ。いつものアルノーなら、それこそきな臭い匂いに気づいて引き受けなかったかもしれない。だが、そのときは危険も手間も少なそうに見える仕事に飛びついてしまった。
 懐が、どうしようもなく寂しかったのだ。
 軍の仕事なら支払いが滞ることはないだろうと考えてしまったのがまずかった。多少やばくても、支払いがきちんと行われればいいと、そのときはそう考えてしまったのだ。
 いつもなら多少なりともやばそうなら、近づかないのだが。
 重い足をひきずりながら、それでも一応見回りの役目を果たしながら、アルノーはさっきからこぼしっぱなしのため息をさらに一つついた。
 財布の中身がどうにも心許なかったのだ。今すぐ食い詰めるというほどではないが、その先の仕事の予定が皆無だったので、報酬の良さに食いついてしまった。自慢のかみそりのように鋭い思考も、腹が減っては切れ味も鈍るというもの。
 最悪なのは、結局報酬をまだもらっていないということだ。余計な口出しをしたために物置に放り込まれ、その後続いたごたごたのために報酬を請求し損ねたアルノーの財布はちっともふくらんでいない。その上、食い扶持が二つも増えているのだから、頭が痛むどころではない。
 見渡す限り寂しい風景。人の姿はない。しかし、足元には踏み固められた道らしきものがあり、それなりに歩きやすい。所々に転がっているかつて荷車だったらしきものなどと考え合わせれば、ここは以前街道として多くの人と荷物が行き交ったのだろう。道をたどればどこかの町にでられるかもしれない。この道が賑わったのがずいぶん昔の話のように見えるのが心細いが、大きくなくても人の集落には出られるだろう、たぶん。
 アルノーは回れ右をして、自分をじゃんけんで負かした同行者二人の元へ歩き出した。とりあえず人のいるところへ二人を連れて行って、食事と休息を与えてやらなければ。
 同行者は自分より年下の少年と少女。二人とも特大のワケアリで、軍に追われている。そんな二人を連れ歩けば、今後さらなる面倒にぶちあたるのは確実だ。このまま二人のいるところへは戻らずに、自分一人で街道をたどり人里へ出る方が賢い選択だということは、かみそりのような思考を用いるまでもなくわかりきったこと。
 しかしアルノーは足をひきずりながらも、その方向を変えようとはしなかった。
 面倒が待っているのは確実。しかしもっと確実なのは、ここで二人を放り出せば明日の自分の寝覚めがとてつもなく悪いと言うこと。
「まあしょうがないよなあ」
 首をふって姿勢を正す。もうすぐで二人の所まで帰れる。背中を丸めていては二枚目が台無しだ。
 しょうがない。なんといっても自分がいまこの状況にいるのは二人のせいではない。アルノーは巻き込まれた立場だが、巻き込まれる状況に足を突っ込んだのはアルノー自身なのだから。
 人里に出たらとにかく金を稼ぐ方法を考えないとな、とアルノーは財布の残金を頭の中で数えながら足を進めた。

終わり

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