きっと同じように

 最後の客を送り出し、店内を片づけ、明日の仕込みを終えてからようやく自分の所へきてくれたマスターを、ジュードは笑顔で迎えた。
「お疲れ様、アルノー」
「悪いな、せっかく来てくれたのにほったらかしになっちまって」
 すまなそうに詫びるアルノーにジュードは首を振った。
「ううん。急に来た僕も悪いんだし」
 だから気にしないで欲しいと言ったのだが、アルノーもまた首を振った。
「いや、呼んだのは俺の方だからな」
 その言葉を聞くと、ジュードは顔を曇らせた。
「もっと早く来たかったんだけど……」
 四人の旅の終わりから数年。ファルガイアは未だ戦後であった。良かれ悪しかれファルガイア全土に影響力のあった組織が崩壊し、寸断した交通と通信が未だろくに整備されていない。各地域の生活は少しずつ良くなっているのだが、その点と点をつなぐ線が弱かった。
 ジュードはアルノーからの知らせを受け取ってから、あらゆる手を使って可能な限り早く駆けつけたのだが、それでも、ジュードが知らせを受け取ったその時には、もう全てが終わっていたのだ。
 目を伏せたジュードの前に、アルノーは手に提げてきた酒瓶を置き、ジュードの向かいの席に腰を下ろした。並べた二つのグラスに音を立てて酒をつぐ。
「こいつは俺の店でもとびきりのやつだ。久々の再会を祝して乾杯といこうぜ」
 僕はいいよと言いかけてジュードはやめた。差し出されたグラスを受け取り、軽く掲げてグラスを合わせ、澄んだ音と共に口を合わせて乾杯と言う。
 飲みたいのは、きっとアルノーの方だ。
「あーやっぱりうまい。商売物だから、客でもないと自分じゃ飲めないんだよなー」
 あっという間に一杯目を空にして、しみじみとうなずきながらそんなことを言うアルノーに、ジュードはグラスに少しだけ口をつけて笑った。
「お店、結構忙しいみたいだね」
 今日一日店の隅でずっとアルノーを待っていたのだが、心配していたよりもずっと客の入りは良かった。満員御礼というような時間帯はないものの、それなりに常連らしい人の姿もあった。
「この俺がマスターなんだぞ? 流行らないわけないだろ? おいしい料理と巧みな話術でお迎えしますってな」
 そのおいしい料理とやらを、ジュードはずいぶん心配していたのだが、今日振る舞われた料理を勇気を出して食べてみたところ、全然まずくはなくて驚いた。とびきりおいしいというわけでもないが、ちゃんと食べられる。良くも悪くも教科書通りというか、普通の味だった。
 アルノーは桁外れの味音痴ではあるが、それはどんなものでもおいしく食べられるという種類のもので、おいしいものをまずく感じるというわけではないようだ。だから教科書通りに作れば、小器用な彼のこと、教科書通りの味ができあがるということなのだろう。
 けれどそれでは結局、とびきりおいしいものにはならない。実際店の客は決して多くはなかった。それなのに今日一日ジュードがほとんど放っておかれる事態になったのは、客がマスターを放さなかったからだ。どの客も料理を食べるより、飲むか、アルノーとの会話を楽しんでいるように見えた。料理はともかく、巧みな話術の方は本物のようだ。
 かみそりのように鋭くと言いながら、その実彼のまとう雰囲気は真綿のように温かく柔らかいもので、ジュードも慕った彼のそんなところは、ここでも慕われているらしい。
 裏を返せば、頭の回転の良さの割に、どこか抜けているということなのだが。
 旅の中で困らされたりあきれたりした、あれやこれやを思い出して、ジュードの口がゆるんだ。
「何笑ってるんだ? 言いたいことがあるなら言えよ。久しぶりに会ったんだからな」
 手酌で酒をつぎながら、アルノーが眉をあげたのに気づいて、ジュードは慌てて手を振った。
「いや、変わらないなって思って」
「そうか? お前は変わったよな。もうすっかり大人だ」
 ぶかぶかのジャケット引きずっていたおこちゃまがこんなになるとはねえと、にやにやしているアルノーに、ジュードは頬をふくらませる。
「もう、おこちゃまはやめてよ」
「はは。そうだな」
 軽く笑って悪い悪いと言いながら、アルノーはまた酒瓶に手を伸ばした。彼が意外にあっさりと引いたことに拍子抜けしながら、ジュードは会話を続ける。
「でも、やっぱり、少し変わったかな」
「俺か? どこが」
「そうだね、前よりもっと頼もしく見えるよ」
 さっきも考えていた、彼の今日一日の仕事ぶりを再度思い浮かべながらそんな感想を述べる。アルノーはそうだろう、とひざをうった。
「そりゃあそうさ。俺ももう、一児の父だぞ」
 胸を張ってグラスを空ける。
 ジュードは着いて早々に紹介された彼の愛娘を思い出す。彼女が小さい小さい手で自分の指を握ってくれたとき、その温かさに思わず涙がにじんでしまっだのだが、アルノーには気づかれただろうか。娘を抱いた彼のどこまでもゆるんだ顔を見て、すぐに乾いてしまったものだけど。
「本当に可愛いよね」
「当たり前だろう。俺とラクウェルの子供だぞ?」
 一杯目の時より盛大な音で酒をつぎながら、アルノーの声が大きくなる。
「目元はラクウェルに似てると思うんだが、鼻筋なんかは俺だと思う。まあどっちに似ても美人になるのは保証されているけどな」
 実際は生まれたばかりで、ジュードにはどっちに似ているかなんてわからなかったのだが、アルノーがそう言うならそうなのだろう。
「俺の子だから頭もいいし、魔術を習わせるのもいいと思うんだが、ラクウェルの料理の腕も引き継いでいるだろうから、店の跡取りとして料理の道へ進ませるってのもいいよな」
 それはどうだろうと、背筋に汗を流しているジュードには気づかず、さらにアルノーは語り続ける。
「でも、ラクウェルに似ているなら、いっそ絵描きにするというのもあるし、迷うんだよ」
 まだ言葉も話せない娘の未来を広げ続けるアルノーの手が酒瓶に伸びた。それに気づいてジュードは軽く眉をよせた。
 彼の口数が多いのは昔からのことなのだが、酒のペースが速いのはどうなのだろう。ジュードは彼の酒量を知らない。そもそも一緒に飲むのはこれが初めてだ。ジュードに至っては酒を飲むことそのものが初めてで、余計に判断がつかない。だけど、彼が持ってきたとっておきの酒瓶は、すでにほとんど空になっている。ジュードは最初についでもらったグラスを少しなめただけで一度も空けていないのだが、アルノーはジュードが気づいただけで五杯は空けている。
 目の前で六杯目が空いたのを見て、さすがにジュードは声をかけた。
「アルノー、大丈夫?」
 言った瞬間にジュードは後悔した。調子よくしゃべり続けていたアルノーの表情が一気に消えたからだ。
 そんなに飲んで大丈夫と言いたかっただけなのだが、意図せぬ意味がそこに乗ってしまったらしい。いや、意図せぬとは言い切れないかもしれない。それは、本当は今日再会してすぐに訊きたかったこと。今日ずっと訊きたくてずっと訊けずにいたことだったから。
 息をつめるジュードの前で、アルノーは大きく息を吐き出した。テーブルの上に載せていた両腕を椅子の脇にだらりとたらし、背もたれに体を預けると、天井を見上げて目を閉じる。
 そうしてもう一度ゆっくりと息を吐くと、ジュードの方へ視線を戻した。
「ああ、大丈夫。大丈夫だ」
 ジュードの目を見て穏やかに笑う。
「あいつにはもう会えないけど、残していってくれたものがたくさんあるからな。一番はもちろんあの子だ。だから、大丈夫」
 心配してくれてありがとうと言いながら、酒瓶を脇に押しやって、アルノーは今度はいたずらっぽく目を光らせた。
「心残りはあるんだけどな」
「何?」
 心残りという言葉の深刻さと、アルノーの表情とがかみ合わなくて、ジュードが目を白黒させながら尋ねると、アルノーは両手を降参の形に上げて、おどけた口調で答えた。
「俺がラクウェルにどれだけ惚れていたか、それを伝えきれなかったってことさ」
「ええ?」
 何と答えていいものやら、ただまばたきを繰り返すしかないジュードに、アルノーは重ねてのろけた。
「いや、もう俺はラクウェルにメロメロで、あいつが結婚してくれたおかげで最高に幸せなんだが、俺はこの通り、口べただろ? 俺がどれほど幸せなのか、それがあいつにちゃんと伝わっていないんじゃないかって、そのことだけが心配でなあ」
 腕を組んで何度もうなずきながらそんなことを言うアルノーを見て、ジュードはしばらく口を開けていたが、やがて苦笑しながら口を開いた。
「ラクウェルも同じことを心配しているかもしれないよ?」
「いや、あいつの気持ちは伝わってるぜ? 俺がどれほど深く愛されてるかちゃーんとわかってるさ。ラクウェルだって俺にべた惚れなんだからな」
 腕を組んだ姿勢のまま、胸を張ってさらにのろけるアルノーに、ジュードも、もう一度言った。今度は苦笑を収めて真顔で。口調も改めて。
「ラクウェルも、同じように思っているよ」
 表情の変わったアルノーと視線を合わせて、うなずく。
「アルノーがどれほどラクウェルのことを好きなのかなんて、そんなことラクウェルはちゃんとわかってるよ」
 こみ上げてきた涙をこらえて、笑顔のまま続ける。自分が先に泣くわけにはいかない。
「だいたい、アルノーはバレバレなんだから、わからないわけないって。絶対」
「そうかな」
 かすかに耳に届いた言葉に、ジュードはもう一度力強くうなずいた。アルノーの声が震えているように聞こえたのは、きっと気のせいじゃない。
 本当は、ラクウェルのことなんて、自分よりアルノーの方が詳しいに決まっている。ジュードもラクウェルのことはよく知っているつもりだけど、アルノーの方がずっとずっとよく知っている。けれど、それでも、ジュードは確信を込めて断言した。
「絶対の、絶対だよ」
 アルノーが片手で顔を覆い、少しの間静かな時が流れた。
 二人だけの店内に、二人の呼吸の音だけが響く。
 目をそらさないジュードの前で、やがてアルノーの口が小さく動いた。
「……そうか、そうだな」
 言葉と共にアルノーの肩が震え、手の隙間からこぼれた光るものが、空のグラスに流れ落ちる。
 ジュードは酒瓶に腕を伸ばすと、静かに二つのグラスに酒をつぎたした。
「ラクウェルには、内緒にしておいてあげるね」
 いつもより多い酒量も、まだ指の間からこぼれているものも。
「それは助かるな」
 ややあって返ってきた震えの小さくなったアルノーの声に、ジュードは静かに微笑んだ。

終わり

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