男はまだ信じられなかった。
女は半信半疑だった。
ならば証明すればいいのだ。
二人は同時にその結論に達し、再会の日取りを約束した。
「カオル、大好きv」
唐突なルナの発言にカオルは目を丸くした。
幸い、ルナからその言葉をもらうのは初めてではなかったので、卒倒するようなことはなかったが、いったいどうしたというのだろう。普段のルナはそんな言葉を臆面なく使ったりしないのだが。
「好きよ。好き。だーい好き」
言うのも言われるのも慣れてはいないカオルだったが、最初の戸惑いが収まってしまえばやはり嬉しかった。あふれ続けるルナの愛情表現に、自然とその口元がほころんだ。
パシャリ!
と、眩しい光が目に入ってカオルは思わず目を閉じた。すぐに開いて目を凝らすと、カメラを構えたルナが笑っていた。どうやら今のはフラッシュの光だったらしい。
「どうしたんだ? いったい」
当然の疑問をぶつけると、ルナはへへっといたずらっぽく笑った。
「ちょっとね。カオルの笑顔の写真が欲しかったの」
カオルは少し考え込んだ。
「無かったか?」
そんなに自分は笑っていないだろうか。
少なくともルナが側にいるときは、仏頂面になるはずがないと、それぐらいの自覚はカオルにもあった。
カメラを操作して写真の具合を確かめたルナは満足げにうなずいていた。カオルに見せようとはしなかったが会心の写真が撮れたらしい。そうしてルナはカオルに向かってカメラをひらひらと振った。
「無かったの。第一、私たち写真を撮るってあまりしたことがないじゃない?」
そういえばそうだなとカオルはうなずいた。
「それでね、どうしてもカオルの笑顔を撮りたくて。でも、さあ写真を撮りますよって準備してからだと、カオルのいつもの笑顔は撮れなさそうだなって思って……」
ごめんね、いきなり。怒ってる?
ルナの声はだんだん小さくなっていった。最後は申し訳なさそうに肩を縮めたルナに、カオルは笑って首を振った。
「いや、構わない」
確かにルナの言うとおりだ。写真撮影というのがカオルはどうも苦手だった。あらかじめ向けられたカメラの前で普通に笑えと言われても、ルナの望むような顔を作れる自信はなかった。
それに、愛しい恋人に自分の笑顔の写真が欲しかったのだと言われて、怒れる男がいるだろうか。
「ありがとう、カオル」
ルナが嬉しそうにカメラを抱きしめたので、カオルもそれで満足だった。
「メノリ、愛してる」
藪から棒にそんなことを言い出したハワードに、メノリはうろんげな視線を向けた。この男はついた職業が悪かったのか、そうした言葉に全く抵抗が無いらしい。機会のあるごとに、いや機会が無くともそんなことばかり言っているので、正直なところメノリは食傷気味だった。
「好きだ。世界中で一番メノリのことを愛している」
飽きもせずによくもまあ続くものだ。しかしメノリの方はもう飽き飽きしていたので、ハワードのセリフ全てを黙殺した。
「メノリ、なあメノリ」
それでもハワードはしばらく愛だのなんだのくり返していたのだが、メノリがその全てに反応を示さなかったので、不満げにメノリの名前を呼び出した。
「メノリ、メノリ、メーノーリー」
「いったいなんだ!」
愛だの恋だのは聞き流せても、自分の名前を連呼されるとさすがにうるさい。メノリはいらだたしげに肩をいからせてハワードを振り返った。
ハワードはその辺にあったクッションの一つを抱き込んで、ソファの上で行儀の悪い座り方をしていた。そうして口をとがらせてメノリの方を上目遣いでにらんでいた。
「だからなんなんだ」
若干声を落としてそう尋ねてやると、ハワードはぽつりとつぶやいた。
「笑えよ」
「はぁ?」
「だから、笑えって。ぼくと一緒にいるときくらい、もっと笑ってくれたっていいだろ!」
思いがけない言葉にメノリは絶句した。
そんなに自分は笑っていないだろうか。
……笑っていない気がする。
職業柄そうそう笑顔を振りまいたりする必要がないということもあるが、ハワードといるときは特に小言か叱責あるいは叱咤が先行するので、笑顔は確かに少ないかもしれない。
それは、同じ学園で過ごしていたときも、あの惑星にいたころも、そこから帰ってきたときも、そして二人の関係がそれまでとは違うものになってからも、変わらないような気がする。
「せっかく二人でいるんだから、もっと笑ってくれたっていいだろ」
ハワードは胸のクッションをさらにぎゅうと力を込めて抱きしめた。
大の男がソファの上でクッションと一緒に小さくなっている様子は、非常に滑稽で情けないものだった。だがその姿にさすがのメノリも憐憫の情がわいた。
ハワードの言うことも、もっともだ。
ただでさえお互い忙しく、ゆっくり会える時間が少ないのに、会った相手が険しい顔をしていてはつまらないだろう。ハワードの表情が豊かすぎるほど豊かなので、メノリの方はそんな思いをしたことがなかった。だからハワードがそんなふうに思っていることに気付けなかった。
悪いことをしたと、素直にメノリは反省した。
だが、それにしてもハワードのやり方は上手いとは思えなかった。あのくだらない言葉の数々がメノリを笑わせようとしたものだったとは。
他にもっとやりようがあるだろうに。
知らずメノリの口元がゆるむ。
そんなわけで、反省半分呆れ半分のメノリだったが、とりあえず自分のいたらなかった点は謝るべきだろうと思ったのでメノリはハワードに向き直った。
「ハワード」
パシャリ!
と、眩しい光が目に入ってメノリは思わず目を閉じた。すぐに開いて目を凝らすと、カメラを持ったハワードがソファの上で小躍りしていた。どうやら今のはフラッシュの光だったらしい。
「何をしている……」
メノリの機嫌は急降下した。謝ろうと思った気分はふっとび、視線も声も冷たいものになった。
しかしハワードの方は対照的に上機嫌で、カメラを持ったまま万歳し、ふざけた足取りで軽やかにメノリに近づくと、自慢げにカメラの画面をメノリに示した。
「見ろよ、よく撮れているだろ」
目に入った画面にメノリは思わず眉を寄せた。そこにはずいぶんと柔らかな笑みを浮かべた自分がいた。
こんな顔をしていたのか。
一気に顔に血が上る。
「貸せ!」
カメラを取り上げようと手を伸ばしたのだが、ハワードの方が速かった。すかさずカメラをメノリには届かない位置に持ち上げてやだねと舌を出した。
「渡したら、消すつもりだろ。せっかく撮れたのにもったいない」
「いきなり撮るなんて、失礼だぞ」
「だって、撮るって言ったらこんな顔しないだろ?」
それはそうだ。意識して作った顔じゃない。だが、だからこそそれが形に残るというのが気恥ずかしい。メノリはなおもカメラを奪おうと奮闘したのだが、背丈だけは人並み以上に育ったハワードの手からそれを奪うことはできなかった。
息が上がってしまったメノリはハワードを視線だけで批難して、だが、仕方ないかと思い直した。今まで嫌な思いをさせてしまっていたのだ。詫びだと思って我慢しよう。
ハワードの様子があまりに嬉しそうだったので、メノリはカメラを取り上げることを諦めた。
「いいか、せーので一緒に見せるんだぞ」
「OK!」
『せーの』
「うわっ! これ本当にカオルかよ」
「メノリがハワードの前でこんな顔をするなんてねえ」
約束の日に再会したハワードとルナは、申し合わせ通り持ち合った写真を交換し、それぞれに感嘆の声をあげた。
人間変われば変わるものだ。
本当に二人はつきあっているのかと、そしてあの彼(彼女)は恋人の前でいったいどんな顔をするのかと。それぞれが抱いていた疑問はこうして解消され、ハワードとルナはすっきりした顔で笑い合った。
「でもこの写真撮るの大変だったんだぞー」
「そうなの?」
「ルナはすぐ撮れたのか」
「そうよ。簡単だったわ」
目的を果たした達成感から、二人は非常にくつろいで歓談していた。だから二人ともその気配には気づかなかった。
声をかけられるまで。
「ハワード」
「ルナ」
背後から聞き慣れた声に名前を呼ばれ、ハワードとルナはびしっと音をたてて背筋を伸ばした。そうして恐る恐る後ろを振り返ると、二人が持ち寄った写真とは全く違う表情をした恋人がそこにいた。
「メ、メノリ。どうしてここに」
「聞きたいか。そうか、では後でゆっくり話してやろう。ゆっくりな」
ハワードがメノリに首根っこを掴まれて退場した後、ルナは怖々とカオルを見上げた。
「カ、カオル?」
「帰るぞ」
ため息と共に一言そうはき出すと、カオルは先に歩き出した。ルナは慌ててその後を追った。
その後のハワードとルナがどうなったのか。
それは素敵な笑顔を隠し持った二人の恋人達にかかっている。
|