メノリはバレンタインデーが苦手だ。
生徒会長兼風紀委員として面倒――頭の痛いことがあるのだ。
ソリア学園は名門という看板にふさわしいのかどうか、細かい規則がそれなりに多い。細かいものになればそれこそ、廊下は走ってはいけませんというようなものまである。当然、学習に不必要なものの持ち込みは禁止で、菓子類などはもちろん「不必要なもの」とされている。
だがしかし、どういうわけかバレンタインデーに限ってはその持ち込みが許されている。その結果好意の対象となる人にチョコを配り歩くという酔狂な(注:メノリ視点)行事に学園中が浮かれることになり、風紀上あまり好ましくない。
ないのだが、メノリを悩ませるのはそんなことではない。バレンタインデーの行事自体は、メノリは別に問題だとは思っていなかった。
たいして仲がよいわけでもない相手にまでチョコをばらまくなんて物好きなとは思うが、お祭に浮かれる人をバカだとは思わない。むしろお祭なのだから、楽しめる事はおおいに楽しんだ方がいいというのが今のメノリの考えだ。だから学園内が甘い匂いに包まれ、チョコの数をめぐって小競り合いが起こったとしても、そんなことはたいした問題ではない。
問題なのは、菓子類の持ち込みが全面的に解禁されるわけではないということだった。
バレンタインデーに限って菓子類の持ち込みが許されている理由を、実はメノリは知っている。学園へ多額の寄付をしている人物のリストに、お菓子を扱う会社の重役も載っているという至極単純な理由だ。
そんな理由で規則を曲げておきながら往生際の悪いことに、学園側はバレンタインデーに持ち込める菓子類を「学業を妨げない程度の」量で「学生にふさわしい」中味で「華美になりすぎない」包装をほどこしたものに限ると定めているのだ。
この曖昧な基準こそがメノリを悩ませている大きな問題であった。
どんなものでもOKということではないので、バレンタインデーの朝には風紀委員が校門前チェックを行わなければいけないのだ。それだけでもわずらわしいのに、こんな曖昧な基準でどう取り締まればいいというのか。禁止なら禁止、解禁なら解禁ではっきりしてくれればいいものを、無意味なチェックをやらされる不満も相まって、メノリに限らず風紀委員の士気は低かった。
今日はバレンタインデーの前日だ。不満が大きくとも明日のチェックに備えて風紀委員で打ち合わせをしなければならない。校門前に委員全員で集まって、誰がどこに立つのか分担を決めていく。
「それで会長、どんなものなら注意してもいいんでしょうか」
注意しなければならないではなく、注意してもいいのかと尋ねる、それだけでも明日のチェックに臨む風紀委員の心境が思いやられるというものだ。しかしメノリは質問の主を咎める気にはなれなかった。苦笑を一つだけこぼして口を開いた。
「そうだな……」
気が進まないのはメノリも同じ。肩をすくめるのはこらえて、一応の基準をひねり出す。
「自分一人で運べないようなものは駄目だ」
トラックだのヘリコプターだのに満載してくるようなのがいれば、さすがに注意が必要だろう。いないだろうが大八車のような人力の運搬車であっても不可。学生としてアルコールがメインになるようなものはもちろん禁止。
「そのくらいでいいだろう」
すると、集まった風紀委員はみな怪訝そうな顔でメノリの様子をうかがっていた。
「それだけ、ですか?」
「あまり細かくしても取り締まるのが大変なだけだ。それに、せっかくのバレンタインデーだ。あまりうるさいことを言うのも無粋だろう」
メノリがそう答えると、質問の主もそれ以外の者も、納得したような納得できないような顔になった。意外だとその顔達が言っている。
メノリはまた一つ苦笑をこぼした。
そんな顔をされるのも無理はないと思う。以前の自分なら微に入り細を穿つ指示を出したろうし、基準はずっと厳格だったろう。チョコの持ち込みは一人につき一つだけ、くらいのことは言ったかもしれない。少なくともこんな全面解禁に近いような内容ではなかったはずだ。
この変化を、しかし堕落だとは思わなかった。
「みんなご苦労だが朝だけ頼む」
後は他の生徒と一緒にバレンタインデーを楽しむといい。
そう締めくくって解散にした。それぞれ帰って行く風紀委員達を見送っていると、見知った姿が校門をくぐろうとするのをみつけ、メノリは声をかけた。
「カオル、今帰りか」
当たり前のことを聞くなと以前なら無視されたのだろうか。しかしカオルはそうはせず、メノリの方へ歩いてくるとメノリに質問を返してきた。
「何をしているんだ?」
「ああ、明日はバレンタインだからな。風紀委員の打ち合わせだ」
それでわかるだろうとメノリは最小限の説明で済ませたのだが、カオルは眉を寄せて首をかしげた。
「バレンタイン?」
知らないのか?と尋ねようとしてメノリはやめた。バレンタインデーにチョコを配るという風習は、銀河中に均一に広まっているものではない。メノリもここに来るまでは知らなかった。それに、この風習はチョコをあげる側ともらう側の両方がいなければなりたたないものだ。カオルはきっともらったことがないのだ。無口無表情無愛想と三拍子そろった彼は、近寄りがたいという意味では学園でも三指に入る存在だろう。カオルは回りの状況に左右される方でないし、一日限りのお祭り騒ぎも気にしなければ気づかないというのもたいして不思議はないのかもしれない。メノリ自身、風紀委員という立場になければ縁のない行事だ。
わからなければわからないままでもいいだろう。実際詳しく説明するのも面倒だ。大まじめにうんちくをたれる意欲にかられるような内容でも、また相手でもなかった。きっと教えてやったところでたいして彼の興味を惹きはしないだろう。
「たいしたことじゃない。ただ風紀委員の仕事が増えるんだ」
答えにならない答えだが、案の定彼は重ねて尋ねてくるようなことはせず、そうかと短くうなずいただけだった。
じゃあと別れの挨拶をしようとして、ふとした考えが浮かんだ。数瞬迷ったがメノリはそれを口にした。
「カオル、明日は鞄を持ってきた方がいいぞ」
合理的なのか無精なだけなのか、カオルの荷物は情報端末一つきりだ。今までは縁のない行事だったとしても、明日もそうとは限らない。もし縁が出来たりすれば、それではきっと困るだろう。
「どういうことだ?」
純粋に親切心からの忠告だったが、バレンタインと言われてもなんのことだかわからなかったカオルに、それが通じるわけもなく、カオルの眉間のしわが深くなった。
やはりちゃんと説明しようと思ったメノリだったが、次の瞬間には気が変わった。
「いや、そんな気がしただけだ」
気にしないでくれと首を振ると、カオルは今度もそうかと短くうなずくだけで、やはり追及するそぶりはみせなかった。
そのまま校門を出て行ったカオルはずいぶんと妙な顔をしていた。おかしな奴だと言いたかったのかもしれない。面白そうだという考えが顔に出てしまっていたのだろうか。
親切心からの忠告をメノリが途中で取り下げたのは、明日贈り物を持って帰る手段にカオルが困ったとすれば、それはそれで見物だという気がしたからだ。なんとなく、明日カオルが困るような事態になるのではないかと思ったのだ。
あのカオルが途方にくれる姿。
それは、ぜひ見てみたいと。
ところが事態は思わぬ方向に転んだ。
「これは……いったい」
大量のチョコを前に困惑することになったのはメノリの方だった。
近寄りがたいと思われていた風向きが変わったのは、何もカオルに限ったことではなかった。強面厳格冷徹その他諸々何拍子もそろった孤高の生徒会長から、美形で話のわかるみんなの生徒会長に。
朝の校門前チェックに立つが早いか、同じ風紀委員から、また登校してくる生徒達からぞくぞくと贈られてくる好意の証に、メノリは早くも埋まってしまいそうだった。
かばんが必要なのは自分の方だったかと、メノリはもはや風紀委員の仕事をするどころではなくなっている。最初から使命に燃えていたわけではないので、それはたいして構わないのだが。
しかし、女の自分がこうなら、男のカオルはもっと面白いことになっているかもしれない。
あとで様子を見に行こうと、見かねた風紀委員の一人から差し入れられた紙袋をありがたくいただきながら、メノリはこみ上げてくる笑いをこらえはしなかった。 |