彼女の真意

 手にした丸くて深い缶の中からクッキーを一つつまみ出すと、ハワードはそれを天井に向かって放り投げた。そして器用に口で受ける。サクサクと小気味いい音をたててそれを飲み込む。そしてハワードは親指で唇についたくずを払いながらうなずいた。
「うん、うまい」
 その一連の動作は歩きながら行われた。ものを食べながら歩く。ハワードは銀河中でも指折りの大財閥の一人息子で、つまりは正真正銘の「おぼっちゃま」なのだが、そんな庶民的なというよりお行儀の悪い所作が似合ってしまうので、整った顔立ちのわりにあまりそんなふうには見えない。
 缶の中につまっているのは手作りのクッキー。バター生地にチョコチップをふんだんにまぶしたそれは、今日のお祭にふさわしいもの。さっきからハワードはそれをいくつも口に放り込んできたわけだが、そのクッキーは味という面でもこのお祭の贈り物として申し分ない出来映えだった。
 これを作ったのは惑星サヴァイヴで共に過ごした仲間の中でも一番料理上手な女の子で、彼女は他の仲間にも配るらしく同じ袋をたくさんさげた姿でハワードの元へやってきて、そのうちの一つをハワードにくれたのだった。
 次々とクッキーを放り上げては口で受ける。そうやって忙しく動いていた手がふと止まった。今つまみあげたクッキーがそれまで平らげてきたものとは少し違ったからだ。
 今ハワードがつまみあげたそれにはチョコチップがついてなかった。さらに言えばバター生地でもなかった。いや、バターが入ってないということはないだろうが、少なくともこの黒に近い深い茶色の生地は、バターがメインではないだろう。見た目からいっても香りからいっても、多分ココアを混ぜた生地でできている。
 まるで迷子のように一枚だけ混ざっていたそのチョコレート色のクッキーは、けれど他の明るい色のクッキーの中で堂々とその存在を主張していた。なぜなら他のクッキーよりも二回りも大きく、しかも少し分厚かったからだ。それに他のクッキーは普通の丸い形なのに、そのクッキーだけ心臓をかたどったという由来のわりにファンシーな、今日のお祭の中ではそこら中にあふれる記号の形をしていた。
 だから迷子というよりは特別といった風で紛れ込んでいた、そのクッキーを手の中でもてあそびながら、ハワードは首を傾げた。
「間違えたのか?」
 そうだとしても特に問題はない。チョコチップだろうと、ココアクッキーだろうと食べ物には違いないし、ハワードはどちらも好きだった。
 深く考えることはせず、次の瞬間にはそれも高く放り上げて他のクッキー同様直接口で受け止めた。
 さく、とかみしめたその中からとろりとさらに甘いものが流れ出てきたのを感じ、ハワードの顔もとろける。口の中一杯に広がったチョコレートソースに、ハワードはうなずきを繰り返した。
「うん、うまい」
 さっきからハワードが食べ歩きをしているここは、実はソリア学園校舎内の廊下である。学校内でお菓子を食べるなど本来なら言語道断なのだが、すでに下校時刻となっているので、生徒であふれた騒がしい廊下ではそんな行為も目立たない。しかも今日は女子も男子もお菓子の入った包みを、数の多少に差こそあれ、みんなそれなりに抱えているのだからなおのことだ。それでも風紀委員の例えばメノリあたりがハワードの行為をみつければ、お説教の一つや二つでは済まないのだろうが、ハワードがみつけたのはもっと気安い仲間二人だった。
「よう」
 クッキーを放り投げるのを一時中断してハワードが片手をあげると、たまたま帰りが同じになったのか、もっとも身長差が大きい組み合わせとなる二人が振り返った。一人は眼鏡に手をかけながら、一人は目尻を下げながら、ハワードの手に応えてくれた。
「ハワード」
「ハワードも今帰りかい?」
「まあな」
 ハワードは返事をしながら歩みより、二人が下げている紙袋に気づいた。白地にピンクのハートやリボンがプリントされた小ぶりのそれは、ハワードが今食べているクッキーの缶が入っていたのと同じものだった。
「よかったな。おまえ達もなんとか1個はもらえたみたいだな」
 ま、この僕がもらった数には遠く及ばないけどなとハワードが得意げに前髪をかきあげると、シンゴが眉間にしわを寄せた。
「1個じゃないよ」
「でも10個はないだろ?」
「それはないけど」
 シンゴはますますしわを深くして口をとがらせたが、ベルはただ微笑んだ。そうしてベルはハワードが待ちうけている問いを投げてくれた。
「ハワードはたくさんもらったみたいだね」
「まあな」
 さっきと同じ答えを、けれどさっきとは比べものにならないほど胸をはってハワードは返した。上を向いた鼻が天井に届きそうだ。
 わざわざ期待通りの話題を提供してやる必要はないのにと、そんなハワードを見たシンゴが肩をすくめる。
「それにしちゃあ一つしか持ってないじゃないか」
「持ちきれないから、家の者に持って帰らせたよ。放課後になってから渡そうと思っている子もいるだろうから、僕はもう少し残るつもりだけどな」
 ずうずうしいという表現ですら足りそうにないハワードの言葉にシンゴとベルは顔を見合わせた。その口元はどちらも妙な形にひきつっている。
「ほとんど全部お返し目当ての義理チョコだと思うけど」
 脱力しながらもぶつけた精一杯の皮肉は、しかしハワードに少しの痛手も負わせることができなかった。
「お返しを期待されるって言うのも度量のうちさ」
「はいはい。せいぜい奮発してあげるんだね」
 これ以上はつきあいきれないとシンゴは話題を変え、ハワードが家の者に渡さずに抱えている唯一のプレゼントを指差した。
「それ、シャアラのプレゼントだよね」
「ああ」
「何が入ってた?」
「見ての通りだ」
 蓋の開いた缶の口を二人の方へ向けてハワードは答えた。
「僕のと同じだね。ベルは?」
「俺も同じクッキーだったよ」
 同じ紙袋に入っていたのだし、まあそうだろうなと思いながら、ハワードはさっき飲み込んだばかりの迷子のクッキーのことを思い出した。中味も包装も同じなら、迷子が入っていたのも同じだろうか。
「なあ、お前らの缶にココアクッキーって入ってたか?」
 するとふたりはきょとんとして首を傾げた。
「ココアクッキー?」
 ベルが記憶をたどるように眉を寄せると、シンゴは不思議そうにハワードの缶をのぞき込んだ。
「ハワードのはそれが入ってるの?」
「え? いや、それがなんでかわかんないけど一枚だけ……」
 やけに大きいのが紛れ込んでいたんだ、と続けようとしたハワードの頭で何かがひらめいた。
 てっきりシャアラが詰めるときに間違えたのかと思ったのだが、もしくはわざと全員にしこんだのかと思ったのだが、ひょっとしたらそれは違うのかもしれない。

 間違えたのではなくて、わざと、「ハワードの缶だけ」に入れたのだとしたら?

「あ〜あ、いや。別の子からのプレゼントの中味と間違えたみたいだ。何しろたくさんもらいすぎて一つ一つ詳しく覚えていられないからさ」
 高い声を上げてハワードは言おうとしていた言葉を入れ替えた。特別なら、こんなところで披露してしまうのはもったいない。
「はいはいわかりました!」
 巧みに自慢を入れ込んだごまかしの成果はあがったようだ。シンゴはそれ以上追及しようとはせずに、冷たい一瞥と共に会話を打ち切ってくれた。
「じゃあ、僕はこれで失礼するぜ。女の子からの呼び出しがあるかもしれないからな」
 くるりと背を向けて、ハワードは廊下を元来た方へ引き返した。背中越しにベルとシンゴにひらひらと手を振って、陽気なリズムとテンポで足を運ぶ。
 ハワードが教室を出てくるとき、たしかまだシャアラの姿があった。改めて礼を言ってやるのもいいかもしれない。なにしろ、とってもうまかったのだから。
 去りゆくハワードを見送りながら、ベルとシンゴは顔を見合わせて、同時に肩をすくめた。

 

 

――――――残された二人の会話

「ハワード、本当にまだ帰らないのかな」
 首を傾げるベルの言葉に、シンゴは心底あきれたというように首を振った。
「まだまだもらえるつもりなんだよ。ほんとに妙な自信だけはあるよね」
「まあ、実際たくさんもらったみたいだし 」
 ベルが苦笑すると、シンゴは皮肉げに口の端を上げた。
「数だけはね」
 そうして僕らは帰ろうかと歩き出しながら、シンゴは口調を変えてベルに尋ねた。
「そういえば、シャアラからのプレゼントだけど、ベルはチョコチップクッキー以外に何が入ってた? 僕は人型のジンジャークッキー。多分、僕の形に作ってくれたんだと思うけど、ちょっとわかりにくかったかな 」
 シャアラからのプレゼントは手作りのチョコチップクッキーのつまった丸い缶。しかしそれだけでは終わらないのがメルヘンちゃんのメルヘンちゃんたる所以である。手作りという以外に、彼女はちゃんとそれぞれに工夫をしてくれていたのだ。
「俺はコイン型のチョコレートが缶の底にしいてあったよ。チョコの表面に絵が描いてあってびっくりしたな」
「一人一人に違う工夫してくれるなんて、やっぱりシャアラはまめだよねー」
 カオルは何をもらったのかなと感心しきりのシンゴの横で、ベルはやや不安げな表情を浮かべつつハワードの退場した廊下の先を見やった。

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