草を踏むかすかな音に気づいて、メノリは体を固くした。
風の音に混じるその音は、確かにこちらに近づいてきている。
メノリは弓をかまえて暗い森に向かって目を凝らし、やがて、見えてきた人影にほっと息をついた。
「カオル、奴らの様子は?」
矢を弓からはずして尋ねると、カオルは軽く首を振った。
「とりあえず、動きはない」
「そうか。まだしばらくは時間がかせげるだろうか」
メノリはあごに手を当てて考え込んだが、カオルが不審そうに眉をひそめたのに気づいてすぐにその手をはずした。
メノリも眉を寄せ、カオルの視線をたどる。そうしてカオルが何を見ているのか分かった瞬間、メノリはさっきはずした手を今度は口にあてた。
吹き出しそうになったからだ。
そこには、宇宙船の壁に背中を預けて座り込み、すやすや平和な顔をして眠り込んでいるハワードの姿があった。
僕がお前を守ってやるよと、胸を張ったのはついさっきのことではなかったか。
もちろんがんばるさと自信満々で宣言したその口から、今、漏れているのは規則正しい寝息。
まあ彼がこうなるであろうことは、予想というより確信していたことではあったが、ここまで想像通りの結果を見せられるともう笑いしかこみ上げてこない。
口を押さえて肩を震わせていると、カオルがどういうことかと視線で問いかけてきたので、メノリは残った笑いをかみ殺して口を開いた。
「お前が戻ってくるまで、私の護衛をしてくれるつもりだったらしい」
するとカオルは目を見開いた。
その表情にメノリはまた吹き出しそうになった。音を立てて息が漏れるようなことはなかったが、口元はどうしようもなくゆるむ。カオルから見ればずいぶん奇妙な表情となっているに違いない。
ハワードがそんな殊勝なことを言ったのか?
ハワードに護衛なんてつとまるのか?
お前に護衛なんて必要あるのか?
今カオルの胸を行き交っているのはそのうちどの考えなのか、あるいはもっと別のことを考えているのか、それはメノリにはわからなかったが、とりあえずカオルが驚いていて、しかもあきれかえっているということは伝わってきた。
とてつもなく無表情だと思っていたこの男は、実はそう無表情でもないのだと、そのことにずいぶんと愉快な気分がこみ上げてくる。表情があまり動かないということでは、自分もあまり人のことは言えないのだが、その自分も今こうして笑っている。
ハワードが叱ることを催促したことといい、自分たちは皆それぞれに、ここにきてからずいぶんと変わってきたようだ。そしてその変化はけっして悪いものではない、と思う。
肩を震わせているメノリを前に、カオルはしばらくどう動けばいいのか決めあぐねていたようだったが、やがてハワードに歩み寄り、その肩をつかむと軽くゆすった。
「ハワード、ハワード。起きろ」
「んー。もちろん、がんばるさぁ」
低いカオルの呼びかけに答えたハワードの寝ぼけ声に、メノリは今度こそ高く音をたてて吹き出してしまった。
カオルを見れば、眉こそよせて仏頂面を作っているが、口元と肩は下がっていて、どうしようもないなというつぶやきが聞こえてきそうな風情だった。
「カオル、すまないが、ハワードを中まで連れて行ってやってくれないか」
なおも残る笑いのせいで震える声をなんとかなだめながらメノリがそう言うと、カオルはうなずきもせずにハワードの腕を取りながらかがみこみ、器用にハワードを自分の背に乗せて立ち上がった。
扉を開けて通路の奥へ入っていく二人の背を見送って、メノリは森に向き直った。
カオルのことだすぐに帰ってくるだろう。そうすれば見張りは交代。メノリもまた眠ることができる。
再び視線をむけた森はまだ暗かった。自分たちのこれからも、脱獄囚などを相手にしてどうなるかわからない。それでも、きっと皆で協力すれば何とかなるに違いない。いや、なんとかしてみせよう。
未来を見すえるメノリの瞳は、今夜の月や星よりもずっと明るく輝いていた。