「じゃあ、チャコ。私カオルを送ってくるわね」
「ああ、なんなら帰ってこんでもええでー」
三日月の目で手を振ってくるチャコに笑って手を振り返し、ルナはカオルと並んで部屋を出た。
地球はまだ環境を整えている途中で、人が住める状況ではなく、観光する場所も娯楽施設もないから、訪れる人はごく限られている。だから当然ホテルなどはないので、カオルのように地球で働く技術者を訪ねてくる人達は、研究者用宿舎の空き部屋を借りることになっていた。それでカオルから連絡があると、いつもルナは部屋を借りる手配をしていた。
「いつも、すまないな」
今回も律儀に礼を述べるカオルに、ルナは軽く頭をさげた。
「どういたしまして。でも、いつも言ってるけど、気にしないで。どうせ、タダってわけじゃないんだし」
「そうか?」
そして二人で顔を見合わせて笑う。
カオルのために借りた部屋は、ルナのところからそう遠くはない。短い道行きは、それでも二人にとって楽しいひとときだった。
たいていルナが話して、カオルが聞く。他の仲間達より頻繁に会っているとはいえ、それでも何ヶ月の単位での再会。話すことも話してほしいことも色々あった。
しかし、この日、ルナの口数は少なかった。礼を言う必要はないと言ったっきり、あとは黙っている。機嫌の悪い様子は見えないので、さっき笑いすぎたせいで疲れたのかと、カオルが気にしていると、ルナが右腕をカオルの左腕にからめてきた。
「ルナ?」
少しだけ重くなった左腕の方を見やると、ルナはそれでもうつむきかげんに前を向いたまま、カオルの顔を見ようとはしない。
気の利かない自分が、何かルナの気に障ることをしてしまったのかと、カオルがややうろたえたのに気づいたからかどうか、ルナが口を開いた。
「あのね、私、さっき、ちょっとやきもち、やいちゃった」
ゆっくりと小さくつむがれた言葉は、ちゃんとカオルの耳に届いた。
しかし、その意味は届かない。さっきとはいつで、いったい何にやきもちなどやくのかと、余計に困惑したカオルの方を見ないまま、ルナは続ける。
「カオル、ハワードの映画を見に行ったことがあるって、言ってたでしょ? ……女の人と」
「いや、あれは」
一瞬冷水を浴びたかのように、カオルの心臓が跳ねた。カオルが何を言えばいいのかと慌てる様を、やはり見ないままルナはさらに続ける。
「ううん、いいの。やきもちなんてやくような事じゃないって、ちゃんとわかっているから。別にチャコが心配していたように、二人で見に行ったわけじゃないもんね」
あれは、心配していたのか?
あのときのチャコの声色を思い返しながら、カオルは次にルナが何を言うのかと、息をつめて彼女を見下ろした。
「だけどね、やっぱり少しくやしくなっちゃって。私達、一緒に映画なんて見に行ったことないじゃない?」
そういえば、そうだ。惑星サヴァイヴから戻った自分達はしばらく時の人だったし、それが落ち着いてからも、自分はパイロット、ルナは環境開発技師を目指しての勉強が忙しく、いわゆるデートらしいデートというのは確かにカオルの記憶にもなかった。
「だから、ね、ハワードからもらった映画は絶対一緒に見たくなっちゃって」
そしてようやくルナは顔をあげて、カオルを見た。
「最後はあんなになっちゃったけど、カオルと一緒に見れて嬉しかったな。ハワードに感謝しなくちゃね」
少し赤い顔をして花のように笑ったルナに、カオルも微笑む。そして組んだ腕の下でルナの手のひらをしっかり握る。
「これから…」
「これから?」
自分を見上げて小さく首をかしげるルナを見下ろして、カオルはその続きを言った。
「これから、たくさんやっていこう。色々と……一緒に」
ルナは、しっかりカオルに寄り添って、その手を握り返した。
ちょうどカオルの部屋の前。
そうして二人は並んで部屋に入った。