第三十話 どうすればいいの

 細く長いものが、高く鋭い音をたてながら辺りをなぎはらった。
 何だろうと目を細めた彼は、答えを求めて悩む前に腰をぬかしてすくみあがった。
 細く長い、光る何かが横切った。ただそれだけのように見えたのに、彼の首よりも太い木が上下に両断されていた。
 大地とのつながりを失った木の幹が倒れ、伝わってきた振動に心臓を絞りあげられながら、彼は悟った。
 何かはわからない。けれど、これはとても恐ろしいものだと。
 すくんだ足を懸命に励ましながら、彼は走り、仲間を探した。普段は誰かと一緒に行動するようなことはしないのだが、これは自分の手に余る。
 木立の向こうに仲間の背を見つけたとき、彼は安堵でへたりこみそうになった。が、続いて現れた光景が意外なものだったので、驚いた彼の足は止まることなく仲間「たち」のところにたどりついた。
 そう、意外なことに仲間は大勢集まっていた。通常、狩りでも何でも個別に行う彼らにとって、争うでもなくこうして集まるというのは、単に珍しいというよりむしろありえないほどの珍事であった。
 しかし、今の彼は、その珍事をいぶかしむより、ちょうどいいと歓迎する気分のほうが強かった。早く伝えなければと逸る気持ちのままに口を開く。
「恐ろしいものを見た」
 すると、仲間たちは顔を見合わせ、深くうなずきあった。そうして彼に確認を求めた。
「新しい二本足のいきものだろう?」
「見たのか?」
 彼が質問の形で肯定を返すと、仲間たちも青ざめた顔で同じものを返してきた。

 この島に二本足の奇妙ないきものが現れたのは、そう昔のことではない。忽然と現れたそれらがどこからどうやってここまで来たのか、彼らにはわからなかったが、ともかくそのいきものは島に住みつき今もここにいる。
 それらはとかく奇妙ないきものだった。数が少ないし、増える様子もない。ひょろひょろと細長い体でふらふらと歩き、なんでも食べる。彼らの食料を奪われたことも一度や二度ではないため、彼らはみなそのいきものの存在を苦々しく思っていた。力が強そうにも見えないので、いっそそのいきものを食ってやろうと試みたものもいるのだが、今のところ成功した仲間はいない。
 とはいえ、奇妙で目障りなそのいきものは、彼らの仲間内でそれほど重要視されていたわけではなかった。食料が奪われるといっても、やつらの数が少ないだけに問題にするほどの量ではない。数が少ないので、食料として真剣に追いかけまわす気にもなれない。そのいきもののほうでも彼らとの接触を避けているようであったので、多少気に障ることはあっても、この小さな島でまずまず平穏に住み分けてきたのだ。
 これまでは。
 増えるでも減るでもなかった二本足の奇妙ないきものの数が、つい先日いきなり増えた。そして突然増えたそれらは、これまでの奴らとは、同じようで随分と違った。我が物顔で森を荒らしまわり、またその力が尋常ではなかった。

「長くて光る腕を振り回すと、木でも石でもまっぷたつになっていた」
「おれの体より大きな岩を投げ飛ばすのを見た」
「近づいただけで死んでしまったやつもいる」
「何もされていないのにか?」
「そうだ。噛みつかれても殴られてもいないのに、ただ近づいただけでやられちまったんだ」

 次々に上がってくる目撃証言に、彼らは震える体を寄せあい、知恵を出しあった。この予期せぬ災厄にどう対応すべきなのか。
 結論が出るまでに時間はかからなかった。
 即ち、三十六計逃げるにしかず。
 やつらが振り回している力がどういうものなのか、その正体もわからないのに、対抗策がわかるはずがなかった。まともに相対したりすれば、何もできないうちにやられてしまうだけだろう。逃げるしかない。
 いきなり現れた新しい二本足のいきものは、ひどく凶暴ではあったが、彼らの仲間を特定して襲うというようなことはなかった。こちらのほうから近付かずにいれば、向こうからわざわざ探しに来るようなことはないだろう。
 新参者相手に弱腰に過ぎるとかふがいないとか、そんな異論はどこからも出なかった。自分の命を守りぬくこと以上に、重要なことなどあるだろうか。

 触らぬ神に祟りなし。
 雉も鳴かずば撃たれまい。

 彼らの方針は定まった。
 定まってしまえば、恐怖も薄れた。何しろ、やつらの数は少ない。いかにここが小さな島でも、そうそう出くわすことはないはずだ。
 気をつけろと互いに言い交して、集会は解散となった。今からまた、彼らは個々の生活に戻るのだ。
 彼もまた森へ戻った。道連れはいない。けれど来た時よりずっと落ち着いていた。係わらなければいいのだと決めてしまえば、あの恐ろしい光景もそれほどの脅威ではないように思えた。

 茂みを抜けたところで、彼はまたあの光る腕が森を切り裂くのを見た。
 そして彼は当然、先ほど決定した方針通りに行動したのである。

終わり

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