第二十九話 ぼくにもやっと

 放課後は必ずどこかに寄り道をする。迎えに来た車には鞄だけを放り込んで、仲間を引き連れ繁華街へ。それがハワードの日常だった。早く帰ったところでやることなどない。
 今日の行き先はゲームセンターだった。あれがやりたいこれがやりたいという仲間達に適当に小遣いをやって、ハワードも適当なゲームの前に座った。時間がつぶせるという意味で、ここは申し分のない寄り道場所だった。
「ハワード、もう少しもらえないかな」
「あたしも」
 にやにやしながら手を出してくる遊び仲間に、ハワードは無造作にコインを投げてやった。ゲームをするためにはゲームセンター専用のコインがいるのだ。
 ハワードが放ったコインを受け止めると、仲間はすぐさまゲーム機の方へ駆けていった。ゲーム機とハワードの間を行き来する彼らが身軽なのは、荷物を全部ベルに持たせているからだ。何をやらせてもとろくさい奴だが、体が大きいので荷物持ちとして使う分には役に立つ。ふと顔をあげた拍子に隅の方で荷物を抱えて立っているベルが目に入り、ハワードは鼻を鳴らした。
「ハワード、コイン欲しいんだけど」
「俺も、俺も」
「はあ? またかあ?」
 ゲームを一つ終えたところで肩をつつかれて、ハワードは不機嫌に振り返った。
「もう無くなっちゃったんだよ」
 顔の前で両手を合わせ、へこへこと頭をさげる仲間の様子にハワードはまた鼻を鳴らした。
「お前、下手なんじゃないのか?」
「そりゃないよ、ハワード」
 言葉は抗議するときのものだが、表情にその色はない。当たり前だ。ここでハワードに逆らうような奴はいないのだから。
 億劫そうに眉を寄せながらだが、ハワードは立ち上がった。仲間がひっきりなしに取りに来るので、ハワードも手持ちのコインが無くなってしまった。面倒だがコインの販売機の所まで行かなければならない。
 販売機を操作していると、ハワードの後ろでコインを待つ仲間達の会話が耳に入ってきた。
「お前、今日の夕飯何食べるんだ?」
「え? さあ。母さんが適当に用意してると思うけど。お前はどうなんだよ」
「俺はシチュー。昨日ママに作ってくれって頼んだんだ」
 聞こえてきたその声はずいぶんと浮かれていて、ハワードは販売機のボタンを押そうとしていた手を思わず握りしめた。
「ああ、お前の母さんって料理するんだったな」
「まあな。特にシチューはうまいんだぜ」
「なんだよ、いきなり夕飯のこと言い出したのは自慢するためかよ」
「まあな」
 聞いていられたのはそこまでだった。販売機の操作を中止してハワードは勢いよく振り返った。
「帰る!」
「え!?」
 コインを待っていた二人の目が丸くなった。
「帰るって、なんで?」
「まだ早い……」
「帰ると言ったら帰るんだ。それともぼくに逆らうのか!?」
 そう言ってじろりとにらんでやれば引き下がる。まだ遊び足りないのにという不満は漂うが、ハワードの知ったことではない。ハワードが遊びたいときに遊んで、遊びたくないときには帰る。それが当たり前だ。
「じゃあね、ハワード」
「ハワード、また明日」
 仲間達が様子をうかがうようにかけてくる言葉にも応えず、ハワードはエアタクシーに乗り込んだ。いつもは仲間達とぶらぶら歩きながら帰るのだが、今日はそんな気分ではなかった。
 そうして屋敷に戻ったハワードを迎えてくれた夕食は、よりによってシチューだった。むろんシチューだけではない。ハワードの体の何倍も広くて長いテーブルに、ハワードの体にはどう頑張っても入らないほどの料理が所狭しと並んでいる。
 しかし、ハワードの視線はその中のシチューの所で止まっていた。
 今日はママのシチューだと言った仲間の、やたら弾んだ声が耳に残っている。
 ……ママが作ってくれるシチューだからってそれがなんだというのだ。
 ハワードは整然と並べられたスプーンにもフォークにも手を伸ばさないまま、ただ唇をかみしめた。
 きっとそいつが食べるシチューは、ただのインスタント食品だ。ママの手料理だとか自慢していたが、今時一から十まで手作りのシチューが中流以下の家庭に登場するとは思えない。どこのママが作ったって同じような味になるシチューの元を使って、安っぽい肉や野菜の入った適当な品に決まっている。
 けれどハワードの目の前で湯気を立てているこれは違う。100%一流シェフの手作りだ。ホワイトソースは小麦粉から作り、さらに様々なスパイスや高級ワインなどが隠し味としてふんだんに加えられたシェフオリジナルのものだし、あふれんばかりに浮かんでいる具だって、野菜一切れ肉一欠片に至るまでそこらのスーパーで買えるようなものとは違うのだ。中には、あいつらが名前も知らないようなものだって入っている。こちらの方が一万倍高級で、それ以上にうまいシチューなのだ。
 そんなふうに考えながら、けれどハワードはそれに手をつけずに立ち上がった。
「もう、よろしいのですか?」
 そう尋ねてきた使用人に手だけで下げろと命令して部屋に戻る。確か、この間買ったポテトチップスがまだ残っていたはずだ。今夜の食事はそれでいい。
 そんななげやりな気分で、ハワードは一人部屋に戻った。

「ハワード、ハワード?」
 自分を呼ぶ声に顔をあげると、温かそうな湯気の上がった器を差し出したシャアラが、怪訝そうにこちらをのぞき込んでいた。
「ハワード? 食べないの?」
「え?」
 ぼんやりと尋ね返すと、あきれたようなチャコの声が横合いから聞こえた。
「なんや、寝とったんか? 目ぇ開けて夢見られるなんて、器用なやっちゃ」
「まだ、具合悪いんじゃないの?」
 心配そうに声をかけてくれたのはルナだ。考え深げにあごに手をあて、首を傾げる。
「まだ毒の影響が残っているのかもしれないわね」
「今日は食べない方がいいかもしれないな」
 続けて聞こえてきたメノリの声に、ようやくハワードの意識がはっきりした。慌ててシャアラの手から器を受け取る。
「食べる! 食べるに決まってるだろ!」
 そうして勢いよくスプーンを器の中に突っ込むと、ベルがそっと口をはさんだ。
「無理、しない方がいいと思うけど」
 自分を気遣ってくれるその言葉が終わる前に、ハワードは一口目を豪快に飲み込んだ。そうして順調に器の中味を減らしながら、不安げな仲間達を安心させるべく口を開く。
「無理じゃない。たくさん食べて早く元気にならないといけないからな。あいつらをぎゃふんと言わせてやるんだ」
 勇ましいハワードに冷静な言葉を投げてきたのはカオルだった。
「無理もだが、無茶もするなよ」
「うるさい!」
 カオルの嫌みに一言吼えてお返しすると、ハワードはシャアラに器を差し出した。おかわりの要求だ。
 さっきまで熱を出してうなっていたハワードの、その旺盛な食欲に仲間達はみんなしばらく圧倒されていたが、やがて、一人また一人と苦笑をこぼしていった。
「まあ、それだけ元気があれば大丈夫だよね」
 シンゴが肩をすくめると、アダムは素直に喜びの声を上げた。
「ハワードが元気になって良かった」

 今日の夕食はシチュー。といっても小麦粉も牛乳もない、しかも具は魚といもだけ、味付けは塩だけという粗末なもの。けれどハワードはそれをきれいに平らげた。

終わり

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