第二十八話 これもみんなのため

 ハワード財団が、修学旅行で行方不明になった息子の情報に莫大な懸賞金をかけたとき、世間はその額の大きさに驚き、ついで息子を案じる親心に同情を寄せた。しかし、実際に財団が出した告知を――TVCMや街頭ポスターなどその手段は様々だったが、それら直接目にした人たちの場合、驚きも同情も長くは続かなかった。
 なぜなら。

 

 彼女が落としたため息は重いものだった。息子の行方は杳として知れず、一縷の望みをかけた懸賞金も効果はなかった。
 彼女の回りには多くの人が集まり、彼らは皆親切で、彼女に対して労りをもって接してくれていたが、彼女にはわかっていた。彼らの誰一人として、息子の生存を信じてはいないのだと。息子が生きていると信じているのは、信じたいのは、彼女と同じ立場にある親達だけであった。
 部屋に入ると、夫が机に向かっていた。その顔は彼女と同じくらい重く暗いものだった。
 日頃から激務と大きな責任の中に身を置いている夫だが、そんな表情は結婚する前もした後も、ほとんど見たことがなかった。それが最近ではいつ見てもひどく沈鬱な顔をしている。けれど、それは自分だって同じなのだと、彼女にはわかっていた。
「あなた」
 小さく呼びかけると夫は顔を上げた。眉間にしわがよっている。以前は年の割になめらかな額をしていたのに、そのうち癖がついてしまうだろうと、彼女はぼんやりと思った。
「ねえ、あなた。どうしてあの写真をお使いになったの」
 夫のもとへ歩み寄りながら、彼女はここ数日、懸賞金を出してからずっと気になっていたことを尋ねた。
 問われた夫は眉間をつまみあげて、何かに耐えるようにぎゅっと目を閉じた。そうして彼女を見ないままに答えた。
「一番いいと思ったからだ」
「でも……」
 夫の言葉に賛同できず、彼女はうつむいた。
 懸賞金の告知には、当然息子の写真を使った。幼い頃から折にふれ撮り続けてきた写真は、たくさんある。もっとも、ほとんどは彼女たちが撮ったものではないのだけれど、それでもいくらでもあった。
 その中から夫が選んだのは、ずいぶんとお気楽な雰囲気のものだった。
 ひょうきんな表情とポーズで写ったその写真は、見るものの笑いを誘い、深刻な内容とはうらはらによく冗談の種にされた。
 ハワード財団は大金を使ってバカ息子を捜している。口さがない連中はそう言ったし、彼女の友人達ですら多かれ少なかれそうした見方をしているようだった。それがわからない彼女ではなかった。実際、彼女が親の欲目やひいき目を総動員してみたとしても、それは充分頭の悪そうな写真だった。
とても本気で捜しているとは思えないような。
 結婚以来夫の意向に逆らったことなどなかった。だから彼女は自分の中にわだかまる気持ちをどう口に出せばいいのかわからなかった。
 彼女がうつむいたまま口ごもっていると、夫は机の引き出しから数枚の書類を取り出した。無言で彼女に差し出す。
「これは?」
「報告書だ」
 言われて彼女は書類に目を落とした。そうして読み進める彼女の顔色が変わる。
 妻の表情を夫は確認しなかった。そうして夫は淡々と話を進めた。
「あの避難シャトルは、切り離しスイッチを母船かシャトルのどちらかで押さない限り、絶対に飛び出さないようになっている。母船側では押した形跡がない。無論、故障していたということも有り得る。だが」
 夫が言葉を切った箇所を、彼女も読んでいた。彼女の手と唇が細かく震える。
 宇宙船には事故があったとき、その原因を究明するための記録装置が備えられている。それには計器類や機器の作動データ、及び船内の音声と画像が記録される。そして息子の乗っていた避難シャトルの場合、その記録は母船の方にも残ることになっている。今回のように、シャトル側の記録を調べることができないこともあるからだ。
 今回の場合、母船がワープしたため、それ以後のことはわからない。だが、そこまでの記録だけでも、何があったのか推測するのは可能だった。
「まさか、あの子が……」
 読み終えた彼女は完全に色を失っていた。夫の顔は数分前よりずっと厳しいものになっている。
「これは……他の方には……」
 行方不明になったのは息子だけではなかった。このことは他の保護者達にも伝わっているのかという彼女の問いに、夫は首を振った。
「重力嵐の影響で、全てのデータが消えていたということになっている」
 彼女は両手を口に当てて声を上げようとした。けれど何も音にはならず、彼女は書類を取り落とし夫の机に手をついた。
「私たちはあの子を甘やかしすぎたのかも知れないな」
 苦すぎる夫の言葉に、彼女は嗚咽を漏らした。

終わり

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