第十五話 何もかも大きな森

 カオルはあまり眠らない。
 食料探しから戻ってきて夕飯をとっても、その後採ってきた獲物の処理や道具の手入れをするので、ベッドに入るのはいつも誰よりも遅くなる。朝は朝で誰よりも早く起きて行動する。朝の方が採りやすいものもあるし、そうでなくとも仕事は多い。
 しかしカオルは別に無理をしているわけではなかった。誰よりも短い睡眠時間、それでもカオルには充分なのだ。
 かつて受けた訓練の中には短時間でも疲労がとれるような睡眠方法というものもあった。緊急事態には不眠不休で活動しなければならないこともある宇宙飛行士には、それも必要な技術の一つにすぎない。
 今のカオルには不要な技術となったはずだったのに、こんな形で役に立つとは人生は「意外」と「皮肉」に満ちている。
 その日もカオルが目を覚ましたのはまだ夜明け前のことだった。部屋に差し込む明かりは月の冷ややかな光だけ。しかし湿度が高いこの島では、この時間でも冷えるということはない。
 眠さも気だるさも残すことなく目を開けたカオルはいつものように体を起こしかけて、それをやめた。ベッドに転がった体勢のまま眉をひそめる。鋭敏なカオルの耳に、届いた音があったのだ。
「お父さん、お母さん……」
 葉ずれの音にまぎれてしまいそうなど小さな声は、それでもカオルに届いた。
 続けて聞こえてたのはやはり誰かの名前を呼ぶ声。カオルはその声の主とまともに話をしたことがないので、誰を呼んでいるのかわからない。ただ、おそらく、それも彼の家族の名前なのだろう。
 いつから呼んでいたのだろうか。何度もそれをくり返して、やがてそれはすすり泣きにかわった。
 同じ部屋で寝ている自分たちのことを気遣ってか、押し殺した嗚咽がとぎれとぎれに夜明け前のうす暗い部屋に流れる。
 ハンモックに揺られるハワードの寝言やいびきがいつもと同じく響き渡っているのに、うるさいはずのそれが全く気にならない。ただ消え入りそうなほどかすかな嗚咽の、その悲痛な響きだけがカオルに届く。
 一緒に遭難した仲間のなかで最年少の彼のことも、カオルはよく知らない。ただ遭難してからずっと彼は気丈に振る舞っていた。生活に必要なものをいくつも提案して、仕事も積極的にこなし、泣き顔はおろか弱音を吐く姿も見たことがない。
 けれどここでの生活もずいぶんと長くなった。まだ幼い彼にはそろそろ限界なのだろうか。それとも以前からずっと、そうした気持ちを抱いていたのに隠し続けていたのだろうか。
 泣き声と家族を呼ぶ声は交互に流れ、止まる気配を見せない。それをずっと拾い続けながらカオルは動かなかった。――動けなかった。
 なぐさめ方など知らない。家族を慕う気持ちもわからない。
 わかるのは、今自分が起きる気配を見せれば彼はきっと泣くのを止めるのだろうと、ただそれだけだった。
 そうすれば泣きやませることはできるのだろうと、それはわかっていた。けれどそうすることが彼にとっていいことなのかどうか、その判断はやはりつかなかった。

 その日、カオルは他の仲間と同じ時刻に起きた。寝坊したのかというハワードの声を聞き流してカオルは彼を見る。頬に涙の跡を残したその冴えない顔色に、カオルは眉を寄せた。

終わり

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