第十話  家をつくろう

 住む場所を変えるべきだとは思っていた。

 寝返りもうてないシャトルの座席でみながろくに熟睡できないでいるのは、船内に響く呼吸音を聞くまでもなくわかっていた。日に日に疲労がたまり、仕事の効率が落ちている。
 睡眠以外のことを考えてもこの場所は生活の便が悪い。水も、魚を除けば食料も、遠くまで行かなければ手に入らない。いずれ天候が荒れるようなことがあればシャトル暮らしの唯一の利点である安全性ですら危うい。
 ここで暮らし続けなければならない理由は何もないと思っていた。
 しかしカオルはそれを口に出したりはしなかった。
 カオルには何の支障もなかったからだ。
 寝るのがどのような場所であっても、たとえ短時間でも、しっかり疲労がとれるように訓練を受けている。無論、快適に過ごしているわけではないし、食料集めや水くみが面倒なのは同じだが、そもそも持っている体力が違うのでさして問題にならない。
 問題があるのは「彼ら」の生活であってカオルの生活ではない。
 協力はしている。必要ならば手も貸そう。しかしカオルは「彼ら」の暮らしに口を出すつもりはなかった。今の状態に不満や不都合があるのならば、改善は「彼ら」の手によって行われるべきだと、カオルはそう思っている。
 自分のことは自分でやれというのは、かつてカオルがシンゴに向けて言った言葉だが、カオルの考えはあの頃と基本的に変わらない。ただ、今の状況は特殊過ぎて、カオルも他人の知識や技術にしばしば助けられている。だから借りた分は返そうと思う。
 だが、それだけだ。
 カオルが他人と一緒に行動する理由があるとすれば、ただそれだけだった。
 ゆえに結局、いえをつくるという提案と決定にカオルは何も関わらなかった。しかし作業が始まれば骨惜しみはしなかった。シャトルが正体不明の獣に破壊され、いえがカオルにとっても必要なものとなってからはなおのことだ。
 協力はするし必要な手も貸そう。しかしそれはやるべきことをただこなしているだけだ。カオルはそう思っていたのだが。

「私達の9番目の仲間ね」

 いえづくりのさなか、ルナがこぼした言葉に、カオルは眉を寄せた。
 難航していたいえづくりが一気に進んだのは、シャトルを破壊した当の獣の協力が得られるようになったからだった。皮肉といえば皮肉な状況だったが、一時はあきらめかけたいえづくりのめどがたったことをみな素直に喜び、気質が穏やかだとわかったその獣を歓迎した。
 ルナの言葉はみなのそんな気分を代表したものだったが、カオルの心には添わなかったのだ。
 パグゥと名づけられたその獣を忌避したわけではない。獣に対する好意という点ではむしろ、カオルのそれもみなと変わりはしなかった。
 ただ、仲間という言葉がカオルにはひどく遠かった。9番目という言い方にしてもルナの口調からも、そこにカオルが含まれていることは明白だったが、それでもそこに自分の立つ場所があるようには思えなかった。

「仲間、か」

 つられるようにして口にのせた言葉は随分と軽く転がった。そうしてそれはカオルの中に響くことなくどこかに消えた。残ったのはかさりと乾いた余韻だけ。
 それほどにその言葉はカオルにとって手触りのない言葉だった。誰かに言われても、自分が口にしても、何の感慨もわかない。
 それでもたった一つだけ、例外があった。

『僕たちはライバルだけど、同じ夢を持つ仲間じゃないか』

 乾いた余韻の中を、浮かび上がってきた声。
 昔聞いたその言葉だけが、痛いほどの感触を伴ってカオルの内に響く。
 同じ目的に向かう人間を仲間と呼ぶのなら、この場所で生き抜くこの7人は仲間だというのだろうか。
 仲間という言葉と共に、誰にでも惜しみなく向けられた笑顔、差し出された手。そのどれをもあの時カオルは受けとらなかったのに?

 夕暮れ時。湖面を渡る風は涼しく、そして少し強かった。
 その風に逆らうように、カオルは首を振った。
 協力はする。必要なら手も貸そう。しかし俺は……。
 風に鳴りだした木を見上げた。
 その上には今しがたみなの力で運び上げたシャトルの翼が載っている。沈む夕陽を受けて光るそれが目に痛かった。

終わり

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