第二話  回避は不可能!?

 朝食の準備をしていると、娘が起きてきた。
「お母さん、おはよう」
「おはよう」
 返事をしながら振り向いて、その寝ぼけ眼に思わず笑ってしまう。いつもより早い起床時間、まだまだ眠いのだろう。娘は一応はかけてある眼鏡を持ち上げて、何度も目をこすりながらテーブルについた。
「偉いじゃない。ちゃんと一人で起きられたのね」
 いつもは起こしに行ってもなかなか起きないのに流石に今日は違うのねと、からかい半分に褒めてやると、娘はトーストに手を伸ばしかけていた手をわざわざ止めて頬をふくらませた。
「いつもだってちゃんと一人で起きてるわ」
 そうかしら? なんて肩をすくめてみせると、娘は頬をふくらませたまま器用に口までとがらせたので、思わず吹き出してしまった。
「もう!」
「ごめんなさい。ほら、それより早く食べなさい。せっかく早起きしたのに遅刻してしまうわよ」
 笑いながらミルクのコップを手渡す。娘はまだ不満そうだったが、怒ったおかげで眠気は吹き飛んだらしく、受け取ったミルクを一気に飲み干した。
「そりゃあ、ちょっとは起きられない日もあるけど」
 続いてトーストに手を出しながらぶつぶつこぼしているのは聞き流す。朝の主婦は忙しいのだ。
「おはよう」
「お父さん、おはよう」
 娘が朝食を食べ終わる頃、首のネクタイを整えながら夫が入ってきた。娘と挨拶を交わして、夫はこちらを向いた。
「今夜は遅くなるから」
「ええ、行ってらっしゃい」
 そんな言葉を交わしていると、娘が椅子から跳び上がった。
「ええ!? お父さん、もう出かけるの? ステーションまで送ってくれるって言ってたじゃない!」
 駆け寄ってきて腕をひっぱりながら抗議をする娘に、夫はすまなそうに頭を下げた。
「すまない、昨日急に連絡が入ってね。朝から本社の会議に出席しなければならなくなったんだ」
「ええー。じゃあわたしはどうすればいいの?」
 夫は不満げに眉をよせる娘の頭に手を置いた。
「悪いが、シャトルで行ってくれ。タクシーだと時間がよめないし、その方が確実だ。もう中学生なんだから、一人でも行けるだろう?」
「でも、約束したのにー」
 前々からの約束だったこともあり、娘はなかなか納得しなかった。夫の腕をなんども揺すって放そうとしない。娘の気持ちもわかるけれど、夫の立場もある。そろそろ家を出ないと間に合わない。
 娘の肩に手を置いて諭すように言葉をかける。
「もう許してあげなさい。お父さんもいじわるで約束をやぶるわけじゃないのよ?」
「……うん」
 不満そうな表情は変えずにうつむきながらも、娘はしぶしぶ手を放した。夫は娘の頭をなでながらもう一度謝った。
「本当にごめんよ。修学旅行のお土産話、待っているから楽しんでおいで」
「うん」
 修学旅行の話が出て、娘はようやく顔をあげて微笑んだ。
 夫の顔もほころぶ。
「じゃあ、行ってくる」
「行ってらっしゃい」
「ああ。お前も気をつけて行っておいで」
「うん。お父さん、お土産楽しみにしててね」
 娘と手を振って夫を見送ると、パンと一つ手を打って娘に声をかける。
「さあ、あなたも支度なさい。本当に遅刻するわよ?」
「ああ! いっけない」
 ばたばたと自分の部屋にかけていく背中に苦笑がこぼれる。修学旅行の短い間とはいえ、あの子、一人で家を離れて大丈夫なのかしら?
 親の心配をよそに、支度を終えた娘は元気に手を振った。
「じゃあ、お母さん、行ってきます」
「行ってらっしゃい。楽しんでくるのよ、シャアラ」
 時間がないとシャトルの駅まで駆けていく背中が見えなくなるまで、手を振った。

終わり

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