第三十四話 大陸へ行く?!

 静かな暗い部屋でベルはゆっくり寝返りをうった。。
 ベルが寝ているのが男子部屋の床の上なのは、ポルトさんにベッドを譲ったからだ。
 ポルトさんは横になるとすぐに寝入ってしまった。けがをしているし、これまでの疲れがたまっているということもあるだろう。
 そのポルトさんのも含めて、今部屋に響いている寝息は三人分。あとの二つはいつも通り寝つきのよかったハワードと、それからシンゴのものだ。
 ただしシンゴはなかなか寝つけなかったようだった。無理もないとベルは思う。遺跡の宇宙船を直すためにずっとがんばっていたのだ。遺跡を脱獄囚に明渡すと聞いて真っ先に反対したのもシンゴだった。それがあんなことになって、気落ちしないはずがない。今日一日ずっとみんなで調べていたのだが、輸送船も遺跡も、もうどうしようもないほどに壊れてしまっていた。
 それでもやはり疲れていたのだろう。何度も寝返りとため息を繰り返していたけれど、いつしか聞こえてくるのは規則正しい寝息だけとなった。明日からまた大変だろうから、今夜はゆっくり眠ってほしい。
 アダムとカオルはここにいない。アダムはルナと一緒に寝ている。遺跡を失って一番ショックを受けているのはアダムだろう。単に自分の家が無くなったというだけではなくて、両親とのつながりと、その手がかりを失ってしまったのだから。ルナは大陸に行けば何かがあるかもしれないと言っていたけれど、今のところ本当に行く事になるのか、そもそも大陸に行く方法があるのか、わからない。アダムが一人で寝る気になれないのは当然だろう。
 カオルはどこかへ出かけたようだ。カオルはベッドに入ろうともしなかった。床で寝ようとしたベルに、自分のベッドを使えばいいと言ってくれたぐらいだから、今夜は戻るつもりがないのかもしれない。
 こんな夜中に一人で出歩くなんて、心配と言えば心配だが、ベルはそれほど深刻には心配していなかった。カオルはむやみに危険な場所へ行ったりするほど無鉄砲でも考えなしでもないし、それに一番危険な存在だった脱獄囚は、もう、いないのだ。彼らがいなくなった今、カオルの道行きにそう大きな危険があるとは思えない。
 ベルはもう一つ寝返りをうった。
 ふう、と深い息をもらす。
 眠れないのだ。寝ているのが固い床の上だからというのはこの際関係がない。最近まで遺跡の床で寝ていたのだし、この不自由な惑星での生活も相当長くなった今、その程度のことで眠れないはずはない。それに、ベルも疲れていた。
 けれど眠気は全く訪れてくれる気配がなかった。この数日で色々なことがありすぎて、状況がすっかり変わってしまった。これからのことを思うと、具体的にどうすればいいのかということは浮かばないくせに、何かをしなければと焦りばかりが先に立って、目は冴えるばかりだった。
 寝ている人と呼吸を合わせると眠くなるというのはどこで仕入れた知識だったろうか。部屋に響く三人分の寝息に自分のそれを重ねてみたのだが、結局それも無駄な努力にしかならず、とうとうベルは体を起こし、立ち上がって部屋を出た。
 外の空気を吸えば気分も変わるかもしれない。
 ベルには少々小さめの扉をくぐって空を見上げると、大きな丸い月が出ていた。もう真夜中だが、その明かりのおかげで辺りを見わたすのに不自由はしなかった。
 と、湖のほとりに座り込む人影に気づいて、ベルは目を細めた。
 一瞬カオルが帰ってきたのかと思ったが、人影は小柄な少女のものだった。ひざをたてた形でフェアリーレイクのほとりにちょこんと座っている。
 あまり大きな足音を立てないように気をつけながら歩み寄り、ベルはその背中にそっと声をかけた。
「シャアラ? まだ起きていたのかい?」
 驚かさないようにと思って、小声で呼びかけたのだが、シャアラは勢いよく振り返った。 
 どうしてこんな夜中にとベルが驚いたように、シャアラも驚いたのかもしれない。眼鏡の奥で緑色の瞳が大きくなった。けれどシャアラはすぐに肩の力を抜いて笑った。
「きれいなお月様ね」
「そうだね」
 答えて、ベルはシャアラの隣に腰を下ろした。
 本当は月と呼んでいいのかわからないのだが、この惑星の夜空で一際明るい丸い光を二人で黙って見上げる。その青白い輝きをベルはなぜか冷たいものだとは思わなかった。
「ベルも眠れないの?」
 しばらくしてシャアラがふと口を開いた。
「シャアラも?」
 ベルが質問の形で肯定の答えを返すとシャアラはうなずいた。
「昨日からいろんなことがあったから」
 そこで言葉を切ったシャアラは、視線をフェアリーレイクに向けたが、やがてその肩が震えだした。どうしたのかと慌てるベルの前で、シャアラは口に手を当ててくすくすと、耐えきれなくなったように笑いをこぼした。
「シャアラ?」
 とまどったベルが名を呼ぶと、シャアラは笑いをにじませたままごめんなさいと言った。
「ごめんなさい。突然笑ったりして」
「いや、いいけど、どうしたの?」
 ベルが問うと、シャアラは立てたひざを抱き込むようにして両腕を脚にまわした。
「うん。ちょっと思い出して」
 抱えたひざのうえに横向きに顔を載せ、その体勢でベルの顔を見上げてくる。その口元にはどこか愉快そうな微笑があった。
「あの輸送船にあの人達が乗り込んできたときにね」
 シャアラが思い出したのがいつのときのことなのかわかって、ベルは顔をくもらせた。足止め班として残ったはずの自分たちが全く役に立たず、輸送船に脱獄囚が乗り込むのを許してしまった。その中で何があったかベルは知らない。ただ、結果としてあの船は墜落した。きっとずいぶん怖い目にあったに違いない。
 シャアラの微笑とその怖い出来事との間にどのようなつながりがあるのかはわからないが、とにかくシャアラの話をちゃんと聞かなければと、息をつめて見守るベルの前でシャアラは体を起こし、今度は大きく両手を広げた。
「わたし、あの人たちと戦ったのよ!」
「ええ!?」
 予想外のシャアラの言葉に、ベルの肩が大きく跳ねた。信じられる? と顔をのぞきこまれて思わず首を振ってしまう。
「そうでしょう? わたしも信じられないわ。わたしにあんなことができたなんて」
 胸の前でぎゅっと両手を握りしめて、シャアラは夜空を見上げた。
「カオルとチャコがあの人達の相手をしていたとき、わたし、恐くて恐くて震えていたのよ。それなのに、みんなが危ないって思ったときに、なんとかしなくちゃって思って」
 上を向くシャアラの瞳が明るい。今夜の月と星の光を受けてきらきらと光っている。シャアラがその顔をベルの方へ向けたとき、その輝きにベルは目を見張った。
「わたしが相手よ、なんて言ったりもしたの!」
 シャアラの声も明るい。楽しげに、嬉しそうに、そして何より誇らしげに語るシャアラに、ベルの口元もほころんだ。
「けがとか、しなかったかい? 大丈夫?」
 自分でそう口にしてから、ベルは他にもっと言いようがあるんじゃないだろうかとあせったが、シャアラは特に気にしたふうもなく、笑ってうなずいてくれた。
「大丈夫。わたしは元気よ。だから、明日からもがんばれるわ」
 その笑顔にベルははっとした。本当にそうだな、と思ったのだ。ベルも元気だ。だから明日からもがんばれる。なにしろこの惑星では仕事はいつだって山積みなのだ。悩んでいる暇などない。
 だからベルも笑ってうなずいた。
「うん、俺もがんばるよ」
「ええ、またみんなでがんばっていきましょうね」
 二人で顔を見合わせてうなずきあう。そうしてベルは立ち上がった。
「じゃあ、そろそろ寝ようか。いつまでも起きていると体に悪いしね」
「そうね。寝不足じゃがんばれないわね」
 続いてシャアラも立ち上がり、ぱたぱたと体についた草を払ってベルに同意した。
「おやすみなさい。ベル」
「おやすみ。シャアラ」
 みんなのいえへ入っていくシャアラの背を少しの間見送って、ベルは月を見上げた。その光に目を細めながらベルも歩き出す。シャアラに続いてみんなのいえの扉をくぐったベルの顔には穏やかな微笑が浮かんでいた。
 今度はベルもよく眠れそうだった。

終わり

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