オオトカゲとの格闘から一夜明けた朝。私はいつもよりずっと早く目が覚めた。昨日はいろいろ大変だったし、ベッドに入ってすぐ寝入ってしまったからだと思う。それとも興奮冷めやらぬ…ということだろうか。
まだ外は薄暗く、部屋にはシャアラとメノリの寝息が響いている。チャコがなにやら寝言をつぶやきながら寝返りをうった。
今なら湖面に映る朝日の一番最初の光に間に合うかもしれない。
私は三人を起こさないようそっと部屋を出た。
早朝の空気は少し冷たくて、吸い込むと体中にすうっと染み込んでいくようだ。こういうのを新鮮な空気というのだろう。コロニーでは味わえないその清清しい感覚に、私は大きく深呼吸して歩き出した。
あんまり気持ちよくて思わずこぼれた鼻歌に、自分でおかしくなってくすりと笑う。少しずつ明るくなっていく湖に向かうと、湖の前に細い人影が見えた。
誰だろう、と一瞬考えた後にすぐに気づく。
カオルだ。
メノリとシャアラはまだ寝ていたから、男の子のうちの誰か。ベルとシンゴは体格ですぐわかるし、ハワードの金髪もめだつ。
だからカオル。
彼だと判断した理由を分析するとそういうことになるのだろうけど、自分で考えたはずのその理由はなぜだかあんまりしっくりこなかった。
さくさくと草を踏んで湖に近づく。昇り始めた朝日が湖面を照らし、人影の顔が見えた。
それは、やはりカオルで、厳しい顔をして体を動かしている。こぶしを前につきだしたり、体に引き寄せたり。蹴り上げた足を下ろす勢いのまま体を回転させたり。何かの格闘技の型のようだった。
いったいいつからやっていたのか、カオルは汗びっしょりで、彼の体から散るそれが、時々朝日に光った。
私にはそれがどういうものなのか、よくはわからないのだけれど、流れるようなその動きがとてもきれいに見えて、私は声もかけずにしばらく突っ立っていた。
せっかく見に来た朝一番の光をほとんど見ていないことに私が気づいたころ、カオルが動きをとめてこっちを向いた。
「早いな」
私がいることに今気づいたのか、ずっと前から気づいていたのか、その声からも表情からも判断がつかなくて、私は邪魔をしてしまってごめんと謝るべきかどうか少し迷ってしまった。
「おはよう。ちょっと早くに目が覚めたから、散歩でもしようかなって。カオルこそ早いじゃない。いつからここに?」
「眠れなかったのか」
「ううん。昨日は大変だったし、もうぐっすり。早く寝たから早く目が覚めたんだと思う」
「そうか」
私の説明に短くそう答えると、カオルはそれきり私がいることなど忘れたようにきびすを返し、湖の前にひざをついて顔を洗い始めた。
私からの問いには全然答えてくれなかったその態度に、やっぱりなと思いつつ、少しがっかりして小さくため息をつく。そうしてすっかり明るくなってしまった湖と黒い背中を見るともなしに見ているうちに、ふと気づく。
さっきの彼の言葉が私を気遣ってくれているものだったということに。
口調も表情もいつもの固いものだったけれど。
考えてみれば彼はいつもそうだった。何も言わずに、けれど、回りのことをよく見て、必要な手を貸してくれていた。
がっかりなんて、しなくてもよかったのかもしれない。
ふ、と自然に口元から笑いがもれた。
とてもこのまま黙って帰る気になれなくて、カオルが顔を洗い終わったのを見計らって声をかける。
「ねえ、カオル」
無言のまま、それでも一応こちらを向いて立ちあがってくれたカオルに、にっこりと笑ってみせる。
「ありがとう。それからごめんなさい」
そして腰からしっかり体をまげて頭を下げた。
「……なんのことだ」
しばらく流れた沈黙の後でこぼれた低い声に顔を上げると、ほんの少し眉をひそめたカオルの顔があった。半ば予想通りのそんな表情にふきだしそうになってあわててこらえる。
「色々お世話になったのに、あんまりお礼言ってなかったから」
「世話などしていない」
いよいよ不審そうな色が濃くなったカオルに、続けて言う。
「してくれてるわよ。昨日はトカゲから助けてくれたし、いつも食料を一番たくさん見つけて来てくれるし。そうそう、コロニーでも助けてもらったのにお礼言ってなかったし。だから、今までの分まとめてありがとう。それとまとめてになっちゃってごめんなさい」
勢いよくもう一度礼。今度はすぐ顔をあげてカオルの顔をのぞきこむ。
カオルは何も言わずに私を見た。眉間のしわが少し深くなったように見えるけど、これはきっと怒っているのではなくて、困っているのだ。
これ以上困らせるのも悪い気がして、私はくるりと回れ右をした。
もう、すっかり日が昇って、いつもの起床時間も過ぎている。みんなの家も朝日に照らされてきらきらしていた。雲も少なくて、今日も一日よく晴れそうだ。
澄んだ青空に両手をあげて、大きく声を出す。
「いい天気になりそう。今日も頑張ろうね」
そして一つ深呼吸。緑の匂いの濃くなった空気を胸いっぱいに吸い込んで、みんなの家にむかって歩き出す。
大きく手を振って、鼻歌に合わせて、そして小さくこぼれた「ああ」という返事には聞こえなかったふりをして。