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 島の暮らしの朝は早い。
 何しろ仕事が山積みなのだ。何かを欲しいと思えば、それがなんであれ自力で調達してこなければならない。みんなのいえに越してから水だけは楽に手に入るようになったが、人は水のみにて生きるにあらず。それだけではどうにもならない。特に勤勉な気性でなくても、働き者にならざるを得ない環境なのだ。
 個人差はあれど、部屋に朝日が差し込んでくれば起床時間だ。朝ご飯だって自動で出てくるわけじゃない。寝ぼける暇もなく目が覚めたその瞬間から忙しく立ち働かなければならない。
 とはいえ、早起きに限っていえば、実はそう辛いことではなかった。
 寝るのも早いからだ。
 日が落ちてしまえばここは暗い。コロニーのようにスイッチ一つで明るくなるというわけにはいかないのだ。たき火や小さな灯火そして星と月がもたらす明かりだけでは、できる仕事は少ない。夕飯をとりその後始末が済めば、すぐに床に入り明日に備える。朝日と共に起き、夕陽と共に寝てしまう。基本的にそれがここでの生活スタイルだった。


 もちろん、例外はあるが。


「ハワード、もうすぐ朝ご飯ができるよ。起きないのかい?」
「ねえ、ハワードったら。そろそろ起きてよ」
「いいかげんに起きなよ、ハワード。ハワードってば!」
「ちょっと、ハワード!? もうみんな朝ご飯食べちゃうわよ?」
「いつまで寝とんねん!! 働かざるもの食うべからずって言っとったんはお前やろ!!」
「ハワード!!!!!! さっさと起きろ!!!!!!!!」

 寝付きは人一倍いいくせに、寝起きは人の百倍以上悪いというのはどういうわけか。メノリに言わせれば怠惰なだけだということになるが、ハワードは起きるのにいつも他人の手を必要としていた。

「もう、うるっさいなあ。昨日はいっぱい働いたんだから、好きなだけ寝かせてくれたっていいじゃないか」

 だからといって悪びれるようなそぶりは全く見せない。

「あぁ! ちょっと待てよ! ぼくのスープの方がシンゴのより具が少ないじゃないか。ちゃんと平等に分けてくれよな!」

 その上、起きたら起きたでまたうるさい。働きもせずに上がりの要求だけはしっかりしているのだから、厚かましさもここに極まれり、である。
 ハワードだからしょうがない。
 半ば以上悟りにも近いそんな感覚で、仲間達もハワードのしつけをあきらめていたのだが、それでもあきらめを知らない者もいた。
 メノリだ。
「ルナ、話がある」
 そんなセリフで始まったメノリからの提案に、ルナは最初目を丸くした。けれどその内容を理解するにつれその表情は笑顔になり、最後には大きくうなずいた。
「いいかもしれないわね」
「でも、ちょっと可愛そうじゃない?」
 心配そうに首を傾げたのはシャアラだが、チャコはかけらも同情を示さなかった。
「かまへん。いいかげんあいつにもお灸が必要や」
「お灸はいいけど、効果あるのかなあ?」
 シンゴが示した懸念には、ベルが口を開いた。
「ある、と思うよ」
 可愛そうだとは俺も思うけどと付け加えられたものの、ハワードを一番よく知るベルが請け負ったことで、全員の意志が固まった。
「よし、じゃあ早速明日決行ってことで。カオルもいいわね?」
 まとめたリーダーの声に、カオルはうなずきを返した。

 
 揺れる木漏れ日にまぶたを、そよぐ風に髪を、それぞれくすぐられながら、ハワードは心ゆくまで眠りをむさぼっていた。今日はいつものような雑音がなく、ハワードの眠りを妨げるものがなかったのだ。
 しかし、寝続けるのにも限界はある。
 まず、この島は蒸し暑い。いくら大いなる木が日差しを遮ってくれても、湖面を渡る風が涼やかでも、それでも寝ていられないほど温湿度が高くなる時間帯はやってくる。
 次に、自分の腹が鳴る。夕飯を腹一杯かきこめる日なんてないのだ。ここにきて空腹という状態を知り、悲しいかな、それにも多少慣れてしまったのだが、それでも寝ていられないほど腹の虫の音が大きくなる時間帯はやってくる。
 まだまだ寝足りない気分ではあったのだが、主に後者の理由でどうにも寝ていられなくなり、ハワードはしぶしぶ重たいまぶたを押し上げた。
 まぶしい。
 暑くて目が覚めたのだからわかっていたのだが、もう随分と日は登り切って真上に来ているようだ。首筋に浮いた汗が気持ち悪く、ハワードは襟元を何度か引っ張り風をいれた。そうして部屋の中を見渡すと、当然のことながら仲間の姿はなかった。この時間帯なら当然だ。とっくに起き出して仕事に出ているのだろう。
 ただ、いつもなら出て行く前にハワードのことまで起こしに来るのだが、今日はどうしたのだろう。今日は誰も起こしに来なかった……来たような気もするがはっきりしない。
 ほんの数秒首をひねって、きっと、とハワードは結論を出した。きっと、他の者達と同じようにハワードを働かせるのは申し訳ないことだと、ようやく彼らも気づいたのだろうと。
 気づくのが遅すぎるけれど、ずっと気づかないよりはいい。心を入れ替えたなら褒めてやってもいいなとにやにやしながらハンモックを下りかけたハワードの腹の虫がまた盛大に鳴いた。
 音を聞いたハワードは、せっかく浮かんだ笑みを即座に消して眉をひそめた。
 仕事に駆り出そうとしないのはいい。けれど、朝ご飯にまで呼ばないというのはどういうわけか。
 まさかぼくの分まで食べてしまったんじゃないだろうな。
 人の気配のない部屋を飛び出してリビングに出ると、ハワードは柵から身を乗り出して下を見た。視線を向けたのはもちろんテーブルの上だ。目を細めて見れば、何かが載っているように見える。
「ぼくのだな!」
 飛び上がり、次の瞬間には駆けだしていた。
 しんと静まりかえったみんなのいえを飛び出してテーブルに駆け寄ると、はたしてそこには一人分の食事きちんと整えられていた。椀に入ったスープと、いくつかの木の実と果物。コロニーの食事とは比べものにならないくらい貧しく少ないものだが、ここではこれでもいい方だ。ハワードは椅子に飛び乗ると、勢いよくスプーンを手に取りスープをかき込んだ。そして、顔をしかめた。
「ぬる……」
 冷めたスープはひどくまずかった。他の者が食べたその時間からここに置かれていたのなら、いくらここが暑いといっても冷めて当然だ。ただでさえ味などついてないに等しいのに、こうまで冷めてしまってはとても食べられない。冷たいとまではいかなかったが、その生ぬるい半端な温度がかえって良くない。
 ハワードは舌打ちを漏らした。
 こんなの食べられないじゃないか。さっさと温めろ。
 そう突っ返してやろうとして、その相手が居ないことに気づく。いつもなら何人かはいえの近くでできる仕事をしているのに、今日は誰もいなかった。遠出をする用事があるなんて聞いていない。みんなどこへ行ったというのだろうか。
 仕方なくハワードはそのぬるいスープを流し込んだ。お腹は空いているのだし、他に食べるものはないのだからしょうがない。スープの後で木の実と果物を食べると、なんとか口の中の具合はよくなった。
「ぼくはもう寝るからな!」
 誰も聞いていないことは承知で、それでもハワードは大声を上げていえに戻った。自分が何かをしないと人の気配が感じられないというのは、どうにも何かの収まりが悪かった。
 それでもハンモックに揺れられているうちに、少しは眠れたらしい。再び目を開けたときには日の角度はまた変わっていた。眩しいだけではなく、少しずつ赤い色味を帯びだした陽光に、ハワードは少し身震いをした。まだ夕方には早かったが、なんとなく背筋の方が薄ら寒くなったのだ。
 部屋を出てまた下を覗いてみたが、まだ誰も帰っていなかった。風にゆれる枝の音がざわざわとやたら響く。ハワードはうるさいその音から離れようと家を出た。そうしてかまどの側に座った。
 火はきちんと始末されていた。火のないかまどは白い灰がやたら浮いて見える。それがまた寒々しく、ハワードの癇にさわる。ハワードはまた舌打ちをすると、そこから目を背けた。
 ひざの上に頬杖をついていると、日はどんどん傾いていった。もうすっかり空も赤い。湖面は夕陽の輝きを受けてにぎやかでも華やかでもあったが、湖畔は静かなままだった。いつもなら、そろそろ夕食の支度が始まり、出かけていた者も戻ってくる時間帯なのだが、今ここにいるのはハワード一人で、ハワード一人では何もすることがないのだった。
 何をしていいのかもわからない。
 ハワードは大きくかぶりを振った。
 違う。ぼくは何をする必要もないはずだ。何もしなくてもいいはずなんだ。
 だから今日は誰もハワードを起こさなかったのだ。
 ハワードに何かをして欲しいとは思っていないから。
 そこまで考えたハワードはもう一度かぶりを降るとひざを抱え込んだ。
 何もしないでいると、時間の流れが遅い。寝てしまいたかったが、さすがにあれだけ寝ればもう眠気はかけらもなく、ハワードはただそのまま座りこんでいた。
 夕陽すら消え去った空に星がいくつか見えだしたころ、声が聞こえてハワードは弾かれたように顔を上げた。
 森の方から明かりがこちらに向かっているのが見える。目を凝らすとルナ達が手を振っていた。
「ハワード、ただいまー」
 そんな声も届いて、さっき耳にしたのも間違いでないことを知る。
「おーい! おーい!」
 ハワードも跳び上がって大きく両手を振り返した。

 

「ぼくを一人だけ置いてきぼりにして、いったいどこに行ってたんだよ!!!」

 帰ってきた仲間達に、ハワードは盛大に文句を言ったのだが、仲間達の反応はさっぱりしたものだった。

「食料が少なくなってきたから、今日はみんなで今まで行っていなかった所まで探しに行こうってことになったのよ」
「ほれ、見てみい。大収穫やでぇ」
 ニコニコとルナが説明すれば、チャコが誇らしげにみんなで抱えてきた荷物を披露する。
「今まで見たことなかった果物とかもあったんだよね」
「きれいなお花も見られて、楽しかったわぁ」
「罠をしかけるのにいい場所もわかったしね。今度行って作ってくるよ」
 シンゴ達も和気藹々と今日の出来事を語り合っている。
 だが、もちろん今日一人で留守番をしていたハワードには分からない話だ。

「だから! なんでぼくを置いていくんだよ!」
「起こしたぞ。だが、起きなかっただろう」

 さらにぶつけた抗議も、静かな声に受け止められてしまう。

「起こした? お前がか?」
「ああ」

 本当に起こすつもりで声をかけたのかと詰め寄りたかったが、カオルの無表情の前に断念した。起こすつもりだったと言われてしまえばそれまでだ。

「声をかけたのに来なかったのはお前だ。好きなだけ寝ておいて文句を言うな」
「なにぃ!」

 最後にメノリにぴしゃりとやられてハワードの頭に血が上った。冷ややかな視線に何か言い返してやろうと考えを巡らせる。しかし、ハワードが口を開く前にルナが両手をパンと打ち鳴らした。

「はいはい、おしゃべりはそこまで。今日は遅くなっちゃったし、急いで夕飯にしましょう。せっかく今日はごちそうがあるんだから」
 その言葉にみんなが一斉に動き出した。今日食べるものと蓄えにするものをより分けて運びだし、今日食べるものの調理が始まる。
 精力的に動く仲間達を前に、憤りをぶつける先を失ったハワードは頬を膨らませてそっぽを向いた。が、その先にルナの笑顔があった。

「さあ、ハワードも手伝って」

 はりのある声は行動と同時だ。これをいえまで運んでちょうだいと、ハワードの腕に大きな果物を載せ、ルナはぽんとハワードの背中を叩いた。

「ったく、しょうがないなあ」

 口調と声はふてくされてものだったが、口元にゆるんだ笑みを浮かべながらハワードは賑やかな人の気配にあふれたみんなのいえへと足を向けた。

 

 その後ハワードの寝起きは、それなりによくなったらしい。

「兎は寂しいと死んじゃうのよ?」

というわけで、兎っぽいのはハワードでした。

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