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 無限に広がる大宇宙。
 その広大なフロンティアに人類が飛び出して200年足らず、主な通信手段はメールあるいは古風に手紙である。
 宇宙全体から見れば、人類の活動域はほんの米粒のようなものだが、それでも人間一人一人にとっては充分広い。人間の生活圏全てをリアルタイムでつなぐ通信技術はいまだ確立されておらず、同一のコロニー内等、相手がごく近い位置にいない限り、電話のようなタイムラグのない通信手段は使えない。
 だから、その機会は相当な幸運に恵まれない限り得られないものなのだ。
 彼女のいる惑星の側を通る航路の担当になること。また通信が可能な位置を船が通過する際に私的に時間を使えるようなシフトが組まれていること。最低でもこの二つはクリアしなければ、まず電話をかけるということができない。
 他人に自分の希望を伝え、その上自分の要求――それも私的なわがままをきいてもらうということが性格上困難な彼にとって、それはまさに運任せの神頼みでしかクリアできない難関であった。
 とはいえ、彼は日頃の行いの賜かはたまた念の強さゆえか、その幸運にはしばしば恵まれていた。そして彼はものを大切にするタチであり、何ごとであれ無駄にするということができない性分であったため、もちろん巡ってきたチャンスも有効に活用した。
 要するに、電話をかけられるときは必ずかけた。
 ところが彼がそのチャンスを有効に活用しきったことはほとんどなかった。
 彼がどれほどの幸運に恵まれ電話をかけるチャンスを手にしたのだとしても、彼が乗り越えるべき関門はもう一つ残っている。
 そう、相手の都合というものが。


「ルナ、今、会議中やで」
「今晩は、技術者連中と飲み会や」
「さっきまでおったんやけどな、ちょうど野外調査に出たところやねん」

 なんて間の悪い男なのだろう。まめに連絡を寄越すわりにそのほとんどが空振りだ。日頃の行いが悪いとは思えないから、よほど悪い星の巡りのもとに生まれたのだろうか。
 チャコは今日も主人不在という状況での電話応対をこなしていた。
 せっかくやし呼び戻そか?と言ってみたのだが、相手はモニターの向こうで首を振った。
「いや、元気にやっているならいいんだ。よろしく伝えておいてくれ」
 そう言って笑顔であっさり引き下がる。だが、涼しげな態度とはうらはらに、内心しょげかえっているのがチャコには筒抜けだった。知り合ったばかりの頃は、その固い表情からわかりにくいタイプのように見えたものだが、慣れてしまえば、存外彼はわかりやすい男だった。

 なんや、主人に置いていかれた犬みたいやな……。

 大の男がしょんぼりと肩を落としている風情は、毎度の事ながら同情を禁じ得ない。
 禁じ得ないのだが、チャコがこらえているのは涙ではなく笑いだった。
 置いてきぼりの子犬みたいな有様に、同情を覚えていたのは初めのうちだけだ。本当は、彼は彼女の不在時を狙い澄ましているのではないかと勘ぐりたくなるほどに、こう何度も同じ状況がくり返されると、まるで出来の悪いコントを見せられているような気分になる。
「また、近いうちに連絡する」
 肩を落としたままそう言って通信を終わろうとする彼に、教えてやれば少しは気分を持ち直すだろうか。

『なんで呼んでくれなかったのよー!!』
 彼から連絡があったと伝えるたびに、ルナが地団駄を踏んで大騒ぎをしていることを教えてやれば。
 悔しいと思っているのは自分だけではないのだとわかれば、少しは彼も立ち直れるだろうか。

「ああ、ルナによう言っとくわ。ほななー」
 しかしチャコはそんなことはおくびにも出さずに、ただ別れの挨拶を交わした。
 別に意地悪をしようというわけではない。
 こういうことはやっぱり本人の口から伝えなければ意味がないと思えばこそだ。

 ま、次の連絡もそう間は空かんやろ。盛り上がるのは次のときでええよな。

 チャコはそうひとりごちると、帰ってきてまた大騒ぎをするに違いないルナの機嫌を、何でとってやろうかと考えた。

 

 そして次のときが訪れるのは、案の定早かったのだが。

「ルナ、今風呂に入っとんねん。今呼んできたるわ」
 
 その時の彼の反応に、チャコは今度こそ笑いをこらえることができなかったそうだ。

 筆など誰も持ち歩いていない今でも「ふでばこ」って言ったりするし、
まだ「レコード大賞」だし、きっと未来も「電話」って言うんじゃないかな……。

他にいい言葉を思いつかず、新語を造り出すのも無理でした。

 

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