カンパニュラの花言葉によせて

 そのメールが届いたときメノリは驚かなかった。気の置けない仲間の中でも、彼からのメールは一番届く頻度が高い。派手な職業に就いた彼は自身のプロモーションにも熱心で、新しい仕事をやるたびにその宣伝を兼ねた近況報告を寄越すからだ。いや、むしろ近況報告を兼ねた宣伝という表現の方が的確かもしれない。
 今回もきっとそうした内容なのだろうといつものようにメールを開いたのだが、画面に映し出された相手の様子はメノリにとって少々意外なものだった。
 彼はいつだってその派手な外見と職業に見合うような、少なくとも彼自身はそう思っているのであろうが、メノリから見ればふざけたとしか思えないような服装で登場する。けばけばしい色や形の衣装を着崩して、さらにはスターの必需品だとかでサングラスをかけ、胸には彼のイニシャルを象ったペンダントがきらめくというそんなあきれた出で立ちで。
 しかし今回はそうではなかった。胸の開いた軽薄なシャツから一転、首元まできちんとボタンを留めた白いシャツに落ち着いた風合いのセーターを着ている。サングラスもペンダントも見あたらない。ソファに座った姿勢もきれいだった。いつもならば間違いなく足を組むか大きく開くかして、ソファの背に悠然と(見られたいのだろうがだらしないだけだ)もたれているのに、今日は違う。さすがに直立不動というわけではないが、軽く開いた足の上で両手を組み、やや前に体を倒してこちらを見つめてくるその姿は、元々顔立ちは整っているだけに、上品とさえ形容できそうなものだった。
 何ごとだろうかと驚くメノリの前で、普段の数倍上品な彼が口を開いた。

『やあ元気かい? 宇宙一のアクター、ハワード様だぜ』

 いつもならそんな挨拶から始まるはずなのだが、それさえも今回は違った。

「久し振りだな、メノリ。きっと忙しくしているんだろうな」

 普通だ。
 あまりに普通すぎる挨拶に、メノリは思わず眉間にしわを寄せた。こんなまともに始まるメールを彼からもらったのは、よく考えなくてもこれが初めてじゃないだろうか。
 また何かやらかしたんだろうか。
 普段と違いするハワードの様子から、相当な無理難題を持ち込まれそうな予感に襲われ、メノリは厳しい表情でハワードの話の続きを待った。今のところハワードが話しているのは、最近自分が会った他の仲間についての報告で、特に不穏なものはない。
「――ってな調子で、カオルのやつはまだもたもたしてるらしい。まったくあいつはしょうがないよな。……それでさ、」
 お前にしょうがないなどと言われたらカオルも立つ瀬がないだろう。
 みんなの近況はメノリにとって何よりの話題だ。苦笑混じりでそれでも楽しく聞いていたメノリだが、話の変わりそうな雰囲気を感じ取り、気を引き締め背筋を伸ばした。どうやらそろそろ本題らしい。いったい何ごとがあったというのだろう。
「ぼくはまた新しい映画に出たんだ」
 ハワードの口から出たのは、しかしいつもの宣伝と変わらない文句だった。この後どんな内容の映画でいつから公開されてというような情報から、それがどれほど素晴らしいものであるかという絶賛に続くのがいつものパターンだ。
 構えていただけにいささか拍子抜けしたメノリは、怪訝そうに首をかしげた。
 衣装や態度が普段と違うことにたいした意味はなかったのだろうか。それともこれも演出だろうか。趣向を変えて宣伝した方が効果が高いとそういう意図あってのことだったのだろうか。どちらにしても、面倒なことになりそうだというメノリの心配は杞憂だったようで、ハワードは引き続き映画の内容について話している。
 厄介ごとがないのなら、それに越したことはない。メノリは体の力を抜くと、改めてハワードの新作についての話に耳を傾けた。
 ハワードの映画は、メノリが多忙なこともあり、まだ見に行ったことはないのだが、ハワードの仕事に興味がないわけではない。かつての仲間達がそれぞれに活躍しているのはメノリにとっても嬉しいことだ。見に行けない分、話くらいはちゃんと聞いてやるべきだろう。
 ハワードの新作は、宇宙を舞台にした近未来アクション映画で、ハワードはその主役をやるのだそうだ。今回はあまりスタントを使わずに、ほぼ全編自分で演じたのだと言うハワードには、メノリも感心した。辛いことから逃げてばかりいた彼も、随分成長したんだなと感慨深い。本人にそんなことを言ったりすれば、きっとむくれるのだろうが。
「主役のぼくが使う武器はレーザーガンだったんだ」
 銃を構える仕草をしてハワードが言った。
 ハワードとレーザーガン。その取り合わせはメノリにある場面を思い起こさせる。
 避難シャトルの装備品にレーザーガンがあるのをみつけてはしゃいだハワード。狩りの経験があると自信満々でレーザーガンを自分のものにした彼だったが、実際には全く役に立たなかった。海蛇相手に取り乱し、無駄に連射したあげくにエネルギー切れ。そのでたらめな射撃にはメノリも危うく撃ち抜かれるところだった。
 あの時ハワードを張り飛ばした手の感触は、今でも鮮明に思い出せる。
 わけがわからず先も見えない状況で、ハワードの行動はどうしようもなく忌々しいものだった。当時の自分は認めたがらないだろうが、自分も随分余裕が無く張りつめていたのだと、メノリにとってはほろ苦いものを含んだ記憶だ。
 レーザーガンで連想するものはハワードも同じだったらしい。
 あの時は全然当たらなくて、かなりみっともなかったなと彼は屈託無く笑った。
 その笑顔には本当に何の陰りもなかったので、メノリは少なからず驚いた。
 やたら格好をつけたがっていた彼も、こんなふうに昔の自分を笑って話せるようになったのか。
 自分を含めて仲間達がみな、成長を重ねてきたのだということはその成果も含めて知っていたはずなのに、先ほども彼の成長を思って感慨にふけったところだったというのに、こうしてその証を目の前に示されると驚く。それは衝撃と言ってもいいかもしれない。ハワードの落ち着いた話しぶりと笑顔からメノリが受けた驚きはそれほどに大きかった。
 だけど、これほどまでに自分が驚いたのは、きっと相手がハワードだからだ。
 驚きが治まってくると、メノリはそう思って苦笑をこぼした。誰よりも一番ハワードには手を焼かされてきたし、頭の痛いことも多かった。それだけに自分は今でもハワードを困った子供だと認識しているのだろう。彼がいつもと違う服装をしているというだけで、厄介ごとを連想し警戒したのがその証拠だ。
 いいかげん、その認識は改めなければならないのかもしれないな。
 そんなことを思いながら、メノリは画面の中のハワードと視線を合わせた。
 ハワードだってもうちゃんとした大人なのだ。いつまでもそんな扱いをしていては失礼だろう。大人同士の対応を心がけなければならない。
 すると、メノリの考えが落ち着いたのを見計らったかのようなタイミングでハワードが話題を変えた。これは録画された映像で、一方的に話しているハワードにそんな芸当ができるはずがないのだが、それでもこれはメールではなく通信だったかと疑ってしまうような、それほど絶妙なタイミングだった。
「レーザーガンといえば、ぼくはメノリに言わなくちゃいけないことがあるんだ」
 メノリを驚かせた口調のままで、ハワードはそう言った。
「レーザーガンを持ったときに、ぼくが思い出したことがもう一つある。みんなが止めるのも聞かずにぼくが勝手な行動をして捕まってしまったときのことだ」
 それもまた、メノリにとっても鮮明に残る記憶だった。詳しい説明などなくても、ハワードが言うのがどのときのことなのか間違えるわけはない。
「捕まって、縛り上げられて、レーザーガンの銃口を向けられたとき、本当に怖かった。殺されるって思ってちっとも体が動かなかった。海蛇やオオトカゲなんかよりずっとさ、怖かったよ」
 捕まったハワードがどんな扱いを受けたのか、メノリは詳しいことは知らなかった。ただ、奴らとの通信の際に聞こえてきたハワードの声は、恐怖に満ちていた。確かに本能で襲ってきた海蛇などよりも、明確な殺意を持つ相手の方がずっと恐ろしいものであったのだろう。
 しかし、それがメノリにどう関係するのだろう。あの件に関してハワードに言ってもらわなければならないことなど、メノリには何の心当たりもないのだが。
 首をひねるメノリの前でハワードの話は続く。
「でもさ、みんなは助けに来てくれただろ? ぼくは見捨てられても仕方のないことをしたのに、みんな助けに来てくれた」
 それは、当然のことだ。
 あの状況で仲間を見捨てることなどあり得ない。事実、ハワードを助けようとすることにためらいを見せる者はいなかった。捕まったのがハワードではなく、別の誰かでも、きっと自分たちは助けに行ったのだ。
 それなのに今さら何を言い出すのだろう。わざわざこんなメールを送ってきたハワードの真意がわからない。新作映画の宣伝のためではなかったのだろうか。
 これはメールの映像なのだから当たり前だが、メノリの当惑をよそに、ハワードの方は落ち着いていた。そしてさっき昔の自分をみっともなかったと笑ったときのように屈託無く、みんなが来てくれて嬉しかったと言った。そして続けて、メノリはとてもかっこよかったと、笑った。
 あの時、脱獄囚との交渉役を担ったメノリがかっこよかったとハワードが言う。奴らの呼びかけに応じてメノリが出てきてくれたときには心からほっとした。奴らを相手に一人で堂々と渡り合った姿がかっこよかったのだとそうハワードが言うのだ。
「それでさ、それなのに、ぼくはまだちゃんと言ってなかったなって、レーザーガンを見たときにそう思ったんだ」
 これはメールだ。あらかじめ録画された映像のはずなのだ。
 それなのに、どうして画面の向こうのハワードは、正確にメノリの顔を正面から見つめてくるのだろう。
 ハワードの視線の強さにメノリは息を呑んだ。目をそらすことも、まばたきをすることもできない。
 動けないメノリの前でハワードは笑顔を収めると、ゆっくりと口を開いた。

「ありがとう、メノリ」

 メールは唐突に終わった。
 もう何も映さない画面を凝視しながら、メノリの困惑は頂点に達していた。
 これは一体何なんだろう。
 こんな短い言葉だけを放り投げられても困る。
 どうして今こんなことを言うのか。
 どうして最後にあんな顔をしたのか。
 わからない。いきなりメールを終わらせたりしないで、ちゃんと説明してくれなければ自分にはわからない。
 言葉ともにハワードが投げてきたものがある。それが何なのか自分にはわかっていると、メノリはそう思った。けれど同時にわからないと、そうも思えた。やはり自分にはわからない。手渡されたものの、その受け止め方がわからない。

 受け止め方のわからない気持ちが、メノリの胸の真ん中で浮いたままだ。それは着地場所が見つかるまで、ずっとそこに残っていた。
 もうハワードはメノリを見ていないのに、メノリはしばらく動けないでいた。

終わり

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