約束の物語

 久しぶりに会った彼女はとてもきれいになっていた。

 惑星アルビオンは未だ開発途上だが、訪れる人がまったくいないわけではない。開発・調査に携わる人はもちろん、滞在する技術者の家族や知人の訪問はそれなりに多く、そういった人達のための宿泊施設もある。
 自分に女性の面会者があると、仲間に冷やかし半分に聞かされたとき、ベルには思い当たる人がいた。次いで聞き出した名前はやはりその心当たりの女性のもので、ベルは仲間に礼を言いながら歩き出した。
 約束なしの訪問にベルは驚きはしなかったのだが、ほんの少し困ってはいた。

 さて、彼女には何と言えばいいのだろうか。

 レストランとも喫茶店とも言い難いその場所は、しかしここで唯一、食事とお茶のできる歓談場所だった。たぶん職員食堂という名前が一番ふさわしいのだろうが、味気のないそれを使う人はあまりいない。それに食堂と言いきってしまうのがもったいない程度には、洗練されても落ち着いてもいたので、外部からの訪問者との待ち合わせに使うには充分だった。
 先に席についていたその人は、歩み寄るベルに気づくと立ちあがり、大きく手を振った。
 学生時代より伸びた手足はすらりとして、やはり伸びて背中に流してある髪と一緒に見ると、ずいぶん大人びた感じがした。
 充分大人といえる年齢にお互い達しているのに、そんな感想はおかしいのかもしれないが、ベルにとって彼女はずっと小さくて可愛い妹のような存在だったので、大人っぽいというそのことが新鮮な驚きだった。メールで顔を見る機会がなかったわけではないが、やはり直に会うと印象が違う。
「突然ごめんなさい。お仕事の邪魔をしてしまったかしら」
 テーブルまでたどり着いたベルに彼女はまずそう言って、申し訳なさそうに首をかしげた。ベルはそんな彼女に座るよう促しながら、笑って首を振った。
「いや、大丈夫。久しぶりだね、会えてうれしいよ、シャアラ」
「わたしも会えてうれしいわ」
 同じようにベルに席をすすめたシャアラも、ふわりと笑った。
 シャアラからベル宛に小さな荷物が届いたのは数日前のことだ。中味は一枚の記録用ディスク。添えられた手紙には短く「やっと書きあがりました。読んで下さい」とあった。
 その一言だけで、ベルにはディスクの内容がわかった。
 いつの頃からか、本にして出版したいとシャアラが言うようになった、サヴァイヴでの物語だ。
 昔から本を読むことも、物語を作ることも好きだったシャアラが、作品を仕上げるのを仲間達はみんな楽しみにしていた。もちろんベルも例外ではなく、胸を躍らせてそのファイルを開いたのだ。
「読んでくれた?」
 二人で席につくや否や口を開いたシャアラが持ち出した話題は、もちろんその作品のことだった。
「もちろん、すぐに読んだよ」
「どうだった?」
 ベルがうなずくと、シャアラはテーブルに身を乗り出すようにして尋ねた。不安そうな表情で真剣にベルの顔を見上げてくる。
「面白かったよ」
 短くけれど力強く答えた言葉は嘘じゃない。
 あの星での7人――途中から8人と一匹の生活と冒険は、シャアラの筆によってとても活き活きと描かれていた。前に出て主張するようなことは少なかったシャアラだが、その分みんなのことをよく見ていてくれたのだろう。あの星での驚きと苦労となにより喜びと楽しかったことが、読んでいるベルの胸いっぱいに蘇ってきた。シャアラの作品は、正確な記録ではなく、彼女の創作も加えた物語として構成されていたのだが、それも気になるどころか、反って物語の中に引きこまれてしまい、一晩で一気に長いお話の終わりまで読んでしまった。
 読み終わってベルが顔を上げた頃には、いつもの起床時間が間近に迫っていて、結局徹夜となってしまったベルは、その日の仕事中あくびをかみ殺すのに苦労したものだった。
「ずっと楽しみにしていた甲斐があったよ。読んでいて本当に楽しかった」
 そうベルが続けて誉めると、シャアラはほっとしたように息をついて、テーブルの上に載っていた体を起こした。
「よかった。実はね、まだ出版社に持っていってないの。読んでもらったのはベルが最初なのよ。やっぱり本になる前に読んでもらった方がいいかと思って。どう? おかしなところ、なかった?」
 微笑んで軽く首を傾げたシャアラにそう言われて、ベルは言葉につまった。実はおかしなというか、気になったところはあるのだ。ただそれをどう切り出したものか、迷う。けれどシャアラがベルの言葉を待っているので、ベルは眉を下げながら言いにくそうに口を開いた。
「うーん、俺のことなんだけど、ちょっとかっこよすぎるんじゃないかな」
 作品の中ではベルという名前ではもちろんないのだが、仲間の中で一番年上で大柄だと書かれている少年は、モデルより随分男前すぎるのではないか、とベルは思ったのだ。
 物語の中で彼は、控えめだが、常に仲間のことを思いやって行動していた。面倒な仕事も進んで引きうけ、危険な役目も買って出る。穏やかにあたたかく仲間を見守る彼の視線と行動は、仲間達を支え、大いに助けていた。
 いくらこれはフィクションだと言っても、モデルとしては少々、いやかなり面映いものがあった。
「そんなことないわ。ベルはいつだってみんなのことを守ってくれたもの。わたし、そんな大げさに書いたつもりはないのよ」
「う、ん。そう、かな」
 シャアラの口調ははっきりとした迷いのないものだったが、ベルの歯切れは悪い。視線をテーブルに落として片手で頭をかく。もう一つ気になることがあるのだ。
 物語の主人公は、気弱で臆病で少々鈍くさいところもある眼鏡の女の子となっている。彼女の語りでお話は進んでいくのだが、物語の中で、彼女はある少年を好きになる。
 その、相手というのが。
「ベルはかっこよかったわ」
 シャアラの口調が改まったので、ベルは、はっとして顔を上げた。まっすぐベルを見上げていたシャアラと視線がぶつかる。
 近くで見るシャアラは、薄くお化粧をしていた。ベルにはどれだけの手がかかっているのかわからないが、淡い色でまとめられたそれは彼女によく似合っていた。
 シャアラはきれいになったな、と自然にそんな考えが浮かんだ。昔からかわいらしい顔立ちをしていたし、今もそれはあまり変わらないのだけれど、でも今はかわいらしいという表現より、きれいだという方が似合う。
 多分それは、年齢やお化粧よりも、あの星での生活から今までの月日の中で成長してきた、彼女の自信によるものなのだろう。今ベルの目の前で微笑んでいるシャアラは本当にきれいだった。
「ベルは、かっこよかったわ」
 少しの間、黙って微笑んでいたシャアラは、一つまばたきした後でもう一度そう言った。そして、大げさに書いたつもりはないって言ってるでしょうと続けたその目に、いたずらっぽい光が宿る。
「わたし、ベルのこと、好きだったのよ」
 あのお話の中で書いた通りにね。ゆっくりとそう告げたシャアラは、ふわりと、きれいに笑った。

終わり

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