似合いの二人

「なあ、メノリ」
「却下だ」
 言下に否定されてさすがのハワードも鼻白んだ。
「なんだよ、まだ何も言ってないだろ」
「どうせまた、何かくだらないことを思いついたんだろう?」
 メノリの推測は半分以上あたっていたのだが、ハワードは素直に引下がる気にはなれなかった。くだらないは余計だし、それに何を言うにしてもハワードの顔くらい見たらどうなのか。ずっと書類から目を離そうとしないメノリの態度がハワードは何より気に食わない。
「だいたいメノリは嫌じゃないのかよ」
「何がだ」
 冷静でゆらがないメノリのいつもの口調が今は腹立たしい。
「だって、僕達の結婚式なんだぞ? それなのに全然僕達の好きにできないじゃないか。招待客だって全部パパ達が選んだだろ?」
 ハワードとメノリの結婚を決めるのは、ちょっとした大仕事だった。
 経済界を代表するハワード財団と政界で大きな影響力を持つヴィスコンティー家がつながりを持つというのは、二人の意図とは離れたところで色々とあるらしいのだ。それでも二人の――主にメノリのたゆまぬ努力の末、こうして結婚にこぎつけたのだが、結婚が決まってからがまた大仕事だった。
 対外的な面子としがらみから、あらゆる面でそれぞれの両親が手を出し口を出し、今のところ式と披露宴のプランにハワードの意向はほとんど反映されていない。
「結婚式とは私達だけのものではない。日頃お世話になっている方々へのご報告とこれからもお願いしますという気持ちを伝える為のものでもある。私達の勝手だけを通して良いものではない」
 メノリの言うことはいつも正しい。けれどそれはいつも納得できるということではない。
「それにしたって、少しくらいは僕の意見もきいてくれたっていいじゃないか」
「きけるような意見ならな」
 そう言いながらメノリはようやくハワードに視線を向けてくれたのだが、それが冷たい一瞥としか言い様のないものだったので、ハワードはとうとう体をうずめていたソファから立ちあがった。
「もういい。全部メノリに任せるから好きにしろよ!」
 そうして足音荒く部屋を出る。もちろんドアを閉める動作を乱暴にすることも忘れない。
 残されたメノリは一度肩をすくめただけで再び書類――二つの披露宴の企画書に目を落とした。


「……そんなくだらないことで呼び出したのか?」
 カオルの声は特大の不機嫌をのせた低いものだったが、ハワードはまるで気にしなかった。
「くだらないことってなんだよ。結婚式は一生に一度の大事なものだぞ? こだわってあたり前だろうが」
 一生に一度とは限らないだろう。
 そんな埒もない考えが浮かんだが、そんな事を言ったりすればその百倍の反駁あるいはのろけが返ってくるのは明らかだったので、カオルはとりあえず何も言わずに出されたコーヒーを口に運んだ。
 一口含んで盛大に顔をしかめる。
 ハワードの好みで淹れられたそれは、激烈なまでに甘かったのだ。
 カオルは救いを求めてテーブルの上に視線を走らせたが、その上に並んだお茶請けは数や種類こそ豊富なものの、やはりハワードの好みでそろえられたそれらの中にカオルの口にあいそうなものはなかった。
 逃げ場を失ったカオルは仕方なく会話を続けた。
「それで一体何が不満なんだ」
 問われたハワードは我が意を得たりとばかりに勢い良く語り出した。
「何って全部に決まっているだろ。まず招待客が知らない人ばかりだ。お前達だって呼べないんだぞ。カオルだって僕とメノリの式に参列できないなんて嫌だろ?」
 カオルはその問いに沈黙で答えた。
 二人を祝福する気持ちはカオルにだって充分あるが、政財界の大物やらマスコミ関係者やらが集まるそんな派手な式に出かけていくのは正直なところわずらわしい。
 幸いハワードはカオルの沈黙を気に留めなかったらしい。なおもなめらかにその舌が動く。
「それにだ。結婚式も披露宴も、どんなものにするかっていうことまで全部パパ達とメノリが決めてしまって、僕の考えたプランは全然採用してくれないんだ」
 背後にベニヤ板を立てて、ペンキで大きく「プンプン」とでも書いてやりたくなるようなハワードの憤慨ぶりは、カオルをうんざりさせるのに充分なものだった。立ち上がってドアを開けて、帰ってしまいたいのはやまやまだったが、たとえそうしたとしても、このムダに広い屋敷の門を出る前に阻止されてしまうのがオチだ。いかに人を超えた身体能力を持つカオルでも、人海戦術にはかなわない。
 ここに連れてこられたときの事を考えてカオルの顔が苦虫を噛み潰したようなものになった。
 外出先からホテルに戻ってきたところを無理矢理、車に押し込まれたのだ。ほとんど誘拐のようなご招待で、「ハワード財団」の名前を出されなければ、腕をつかむ人影の一人や二人なぐりたおしていたに違いない。
 心ならずも脱出を断念したカオルは、甘すぎたコーヒーのせいで舌に残る不快感をなだめながら一応言葉を返した。
「おまえに任せておいたら、銀河中に生中継とかしかねないからだろうが」
「それのどこがいけないんだよ」
 カオルのセリフは多分に皮肉を含ませたものだったのだが、ハワードには通じなかった。悪びれずに平然と自分の正しさを主張する。
「僕もメノリも有名人なんだし、それくらいしたっていいだろう? 見たいって思っている人は銀河中に大勢いるんだからさ」
 カオルは深い深いため息をついた。
 仕事で遠方にいるためにこの場に呼び出されずにすんだベルとシンゴがうらやましい。
 そしてたまたま仕事でこの近くに滞在していたこの身が恨めしい。
「聞いてるのか? カオル」
「聞いている」
 その一言を返すだけのことにカオルは相当な努力を費やさなければならなかった。
「まあでも、生中継はあきらめてもいいんだ。メノリは恥ずかしがり屋だし、無理強いしてまですることじゃないしな」
 問題はそこか? 
 突っ込みたくなるのをカオルはやはりこらえた。メノリが生中継を嫌がったのはそんな理由ではないだろうが、今そんなことを言っても何の実りももたらされないのは明らかだ。
「だけどさ。新郎新婦はパグゥ型のゴンドラに乗って登場するとか、ウェディングケーキはサヴァイヴ星の形に作って、ケーキカットの代わりに宇宙船の模型を着陸させるとか、僕の斬新なアイデアの全てが不採用なのは、絶対に納得できないんだ」
 せめて一つくらいやってくれてもいいと思わないかと同意を求めてくるハワードの姿に、カオルはもうため息をつく気にすらなれなかった。生温かい笑みを浮かべて遠くに視線を流す。
 本当にこいつでいいのか?
 思わずこの場にいないメノリにそんな問いかけをしてしまう。
 けれど、実際に本人を目の前にしてそう尋ねたとしても、返ってくるのは肯定だとわかりきっているので、結局脱力感と疲労感が増しただけだった。
 カオルはソファを通り越して床下にまで沈み込みそうになる体をなんとか支えながら、懸命に重い口を動かした。
「おまえがしたいのは結婚式なのか?」
「どう言う意味だよ」
 怪訝そうなハワードを相手に辛抱強く言葉を継ぐ。
「だから、お前はメノリと結婚する為に式を挙げるのか、式を挙げる為にメノリと結婚するのか、どっちなんだ?」
「そんなの決まってるだろ、メノリと結婚する為に式を挙げるんじゃないか」
「だったら、お前がしなくちゃならないことは、ここでオレ相手に無駄口たたくことじゃない」

 強い断定の形をとったカオルの言葉に、ハワードは黙り込んだ。
 カオルの言いたいことはハワードにだってわかっている。大事なのは結婚式かメノリなのかと、カオルはそう尋ねているのだ。そして、メノリが大事なら結婚式の内容くらいで文句を言うなと、そう言いたいのだ。
 大切なのはどっちかと訊かれれば、ハワードの答えはちゃんと決まっている。さっき口に出して宣言したように、メノリだ。だがしかし、メノリのことが大事だからこそ、結婚式はよいものにしたいのだというハワードの気持ちをわかってくれてもいいではないか。
「でもさ」
 そんな思いからハワードが口をとがらせながら言いつのろうとすると、カオルが間髪入れず口を開いた。
「なんなら、結婚が決まったときにお前が送って寄越したメールをそのまま送り返してやろうか?」
 最後の「か?」に異様なまでに力をこめたカオルが怖かったわけではないが、ハワードは再度黙り込んだ。
 結婚が決まったとき。あの時は、それが夢じゃないだろうかと信じられなくて、メノリが自分を選んでくれたことが、選ばせることが出来るだけの自分になれたことが誇らしくて、どこまでも飛んで行けそうな気になって、その気持ちをそのままメールにぶつけて仲間全員に送ったのだ。
 ほとばしる喜びのままに送りつけたメールの内容はもう覚えていないが、あのときの浮き立つような感情は覚えている。
 その瞬間に胸をいっぱいにふくらませていた思いが、あせることなくそのままハワードの中にもどってきた。いや、本当はずっとその気持ちは消えていなかったのだ。胸はずっと幸せでいっぱいになったままだったのだ、あの時からずっと。ただ、外野がうるさすぎてハワードがそれを感じることができなくなっていただけだ。
 体中をめぐる思いが胸を突き破りそうになって、苦しくなったハワードは大きく息を吐いた。そして枯れない幸福感に強く思う。
 ああそうだ。メノリと結婚できると決まったときから、僕はずっと幸せだったんだ、と。
 メノリに不満をぶつけていたあの瞬間でさえ。カオルに愚痴をこぼしている今も。そして未来の幸せも確定している。
 結婚式と披露宴に自分の意見がまったく反映されないことなんて、カオルの言うとおり些末なことだ。確かに。
 それに、式のことにしても考えてみれば。
「確かにそうだな」
「なんだ」
 片方の眉をあげたカオルに向かって、ハワードは重々しくうなずいた。
「メノリと結婚できる僕は宇宙一の果報者なんだから、細かいことで文句言っちゃダメだよな」
「……わかったならいい」
 額を押さえながらカオルがこぼしたつぶやきをハワードは最後まで聞かなかった。うなずきを止めずにさらに続ける。
「メノリはそれがわかってたんだな」
「あ?」
 わかったならオレを解放しろと、カオルが低くうなっているのにも、自分の思いにどっぷりとひたっているハワードは気づかない。
「僕と結婚できるだけで幸せだから、結婚式に口を出されてもメノリは文句言わなかったんだな。メノリはとっくに気づいてたってのに、僕はまだまだだ。反省しなくちゃな」
「……」
 もう何も言う気になれないカオルに、ハワードは上機嫌の笑顔を向ける。
「それにさ、もう一回すればいいんだよな」
「?」
「だから、結婚式と披露宴だよ。パパ達が決めた式にはお前達呼べなくても、もう一回別にやればいいんだよ」
 結婚式は一生に一度と言ったその口で、ハワードはとうとうと計画を語った。
「――とまあ、こんな感じの式をさ。パパ達の言いなりだと、せっかくの式にお前達が参列できなくてかわいそうだと思ってたんだけど、これでちゃんと呼んでやれるぞ。嬉しいだろ?」
「好きにしろ」
 カオルの返答はたいそう投げやりなものだったが、ハワードはまったく気にしなかった。

「メノリ!」
 大きな、けれど乱暴ではない音をたてて扉を思いっきり開く。そうしてやはり書類を見ているメノリにハワードはご機嫌に声をかけた。
「メノリ、聞いてくれよ。僕、考えたんだけどさ」
 ただいまも言わずに勢いよく話すハワードの顔に、メノリは手にしていた書類を押しつけた。
「何だ?」
 わけの分からぬままに顔からはがした書類に目を落とす。そしてそこにサヴァイヴ星型ケーキの設計図を認めて、ハワードは目を丸くした。
「……すまなかった」
 メノリの謝罪の言葉が耳に届いてさらに目を大きく開く。
「全部決まってから驚かそうと思っていたんだが」
 促されるままにハワードが書類をめくっていくと、それが披露宴の企画書だということがわかった。しかもそこには没になったはずのハワードの斬新なアイデアが山ほど盛り込まれていた。
「驚かせようと思っていたんだが、返って嫌な思いをさせてしまったようだな」
 メノリの言葉を聞きながら、 最後に招待客のリストを確認して、ハワードは顔を上げた。
「メノリ、これ」
 そこに書かれた招待客は全部で五人と一匹。懐かしいあの星でともに過ごした仲間達だった。
「やはり、みんなには出てもらいたいからな」
 そう言ったメノリの微笑みはとても優しいものだった。
「僕も、同じ事考えてたんだ。メノリ、ありがとう」
 やはり自分たちは宇宙一の果報者だという思いを新たにしながら、ハワードも笑った。

「ふーん。そんなことがあったの」
 笑いをこらえようとしてこらえきれないルナの声に、カオルは眉を寄せた。
「笑い事じゃないぞ」
 そう言いながらコーヒーを口に運ぶ。
 一口含んでほっと息をつく。あの時狂おしいほどに求めた、懐かしい我が家の味だ。
「お疲れ様でした」
 おどけた口調で一礼しながら、ルナは今度はこらえようとはせずにくすりと笑った。
「ルナ?」
 笑顔の意味がわからずにカオルが尋ねると、ルナはゆるんだままの口で説明してくれた。
「こっちにはね、メノリから連絡が来てたの。ハワードの機嫌が悪いって相談が」
「そうなのか」
 カオルが意外そうな声をあげるのとほぼ同時に、ルナはお腹を抱えて震えだした。くすくすと、おそらくは思い出し笑いというやつなのだろうが、笑い声が止まらない。
 どう声をかけたものかカオルが迷っていると、ルナがにじんだ涙をぬぐいながらあのね、と言った。
「メノリってばおかしいの。『これはマリッジブルーというものだろうか?』なんて言うんだもん」
 マリッジブルー。
 その言葉の意味を数秒の間検討して、カオルは無感動につぶやいた。
「それは、普通女性がなるものじゃないのか?」
「そうよねー」
 けらけらと明るく笑ってルナが手を振った。
「でもね、あの二人らしいと思わない? そもそも結婚式が思い通りにならないってだだこねるのも、普通は女の人の方だし」
「そうだな」
 二人して顔を見合わせて笑う。
「お似合いってことよね」
「そうだな」
 カオル好みに淹れられたコーヒーを飲みながら微笑む。その笑顔はようやく穏やかなものになっていた。
 同じようにコーヒーの入ったマグカップを両手で抱えながら、笑いの収まったルナが口を開いた。
「ねえ、私たちのときは……」

終わり

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