芽生え

 眠れない。
 もう何度目になるのかわからない寝返りをうって、ハワードは体を起こした。
 考えてみればうなされながらとはいえ、昼間ずっと眠りっぱなしだったのだから今は眠れなくても当然なのだ。
 ハワードが寝ているのは、アダムを見つけたコールドスリープ装置。ハワードには少し小さめとはいえ、柔らかくて寝心地は十二分にいいベッドなのだが、さすがに寝続けるにも限界というものがある。いくら寝付きは仲間内で一番いいハワードとはいえども、だ。
 回りから聞こえてくる寝息に顔を上げると、仲間達が深く寝入っている姿が暗い中でも見て取れた。いかにもぐっすりというその様子にハワードの胸がちくりと痛む。仲間をそんなにも疲れさせてしまった責任を感じたのだ。
 やめた方がいいというルナ達の言葉に耳をかさず、のこのこ脱獄囚の元へつかまりに出て行って、挙げ句人質として使われてしまった。全面的にハワードが悪いそんな状況の中、仲間達は見捨てずに助けに来てくれた。毒針にやられて熱を出せば看病もしてくれた。
 その上、全ての元凶ともいえる行動すら許してくれた。
 今も、熱が下がったばかりなのだからと、ハワードは柔らかいベッドに寝かせられている。それでみんなはといえば、階段状になった固い床の上で体を小さくして寝ているのだ。
 体の下の心地よい感触に少し後ろめたくなって、ハワードは首を縮めた。
 はっきりとは形にならないながらも、ありがとうとごめんなさいの気持ちをのせてみんなの顔を見ていたハワードは、そこに二人分の顔が足りないことに気づいた。
 うち一人はカオルで、それには別に驚かなかった。彼のことだきっと偵察にでも出ているのだろう。
 けれど、もう一人のことは気になった。
 ハワードはベッドから飛び降りるようにして足を下ろすと、出口へと歩き出した。
 細長い通路を通って宇宙船の扉を開けると、外は月と星の明かりで思ったより明るかった。そして足りなかった顔の持ち主は、探すまでもなくその扉のすぐそばに立っていた。
 竹で作った弓矢を手にしたその人が、長い髪をゆらして振り返った。
「こんな時間にどうしたのだ。まだ起きるには早いぞ」
「メノリこそ、こんな時間に何やってるんだよ」
 問いながら隣まで歩いていくと、メノリは弓矢をハワードに示して短く答えた。
「見張りだ」
「なんでメノリが?」
「交代で見張りをしている。さっきベルと代わったところだ」
 夜だからなのか、低く小さめのメノリの声に、ふーんと鼻を鳴らしながらハワードは首をめぐらし辺りを見、もう一人のいなかった仲間のことを一応尋ねた。
「カオルは?」
「カオルなら、奴らの様子を探っている。カオルが戻ってきたら交代だ」
 予想通りの答えだった。だから今度はうなずくこともしなかった。その代わりハワードは胸をはると親指で自分を差し、自分では頼もしげに聞こえると思っている声で提案をした。
「じゃあ、カオルが戻るまで僕が見張りをしてやるよ」
「お前が?」
「なんだよ、駄目だってのか?」
 すぐに了承されるとはハワードも思っていなかった。しかしそれでも今のメノリの反応は気に入らず、ハワードはふくれっつらで腰に両手をあてた。
 いくら昼間醜態を見せてしまったからといって、見張りくらいは自分にだってできる。それなのに、首をかしげて眉をひそめて聞き返さなくてもいいじゃないかと思ったのだ。
 やらせろと全身で要求するハワードに、やはりメノリは首を振った。
「お前はまだ熱が下がったばかりだろうが。寝付けないのはわかるが、もう少し体を休めておいた方がいい。まだ夜明けまでずいぶんあるし、カオルもじきに戻る。ここはいいからまだ寝ていろ」
 ぴしゃりと提案ははねつけられた。
 しかしハワードは今度はふくれなかった。腰に当てていた手を下ろし、怒ってもすねてもいない視線をメノリの顔に向ける。
 メノリの口調はいつも厳しい。今も「寝ていろ」という言葉に有無をいわせぬ迫力があった。けれどそれは怒ったものではなく、むしろ気遣ってくれているのだということがハワードにもわかったのだ。
 メノリが怒っていない。それが自分でも驚くほど意外に思えて、ハワードは思わずそれを口に出して尋ねてしまった。本当に怒っていないのか確かめずにはいられなかったのだ。
「怒ってないのか?」
 おそるおそる訊くと、メノリは眉をひそめた。
「何をだ?」
「何って」
 何を、と尋ねられるのも意外な気がする。メノリにはずっと叱られてきた。だから今度のこともきっと思い切り叱られるだろうと思っていたのに。
「僕が、勝手な行動をとったこととか」  
 だから、何をなんて訊くまでもなくメノリは怒っている。その方が当たり前のような気がするのに。
 それなのにメノリがますます不思議そうに首をかしげていくので、ハワードは思いきってさっきみんなの前で打ち明けたことをもう一度言った。これまで黙っていたことも含めて、きっとメノリは一番怒るにちがいないと思っていたことを。
「……僕が、切り離しスイッチを、押してしまったこと、とか……」
 あの時ルナはもういいじゃないと言ってくれたし、他のみんなも笑顔で許してくれた。けれど、それでいいのかと思ってしまったのだ。床に沈み込むようにして寝ているみんなを見て、怒られることも叱られることもなく、こんなに優しく許してもらってよかったのだろうかと。
 息を詰めてメノリの顔を見つめていたハワードの目が大きく開いた。今度こそ本当に心からとんでもなく意外なことに、メノリが吹き出したからだ。
「小言を言うたびに文句を返してきたお前が、叱ってくれと催促するとはな」
 そう言っていかにもおかしくてたまらないという風情で口とお腹に手を当てて笑うメノリに、ハワードはしばらくぽかんと口を開けていたが、いつまでたってもメノリの笑いが止まらないので、さすがに不愉快になってきた。口をとがらせ、そっぽをむいて、吹き出したままのメノリへ抗議をこめてつぶやく。
「別に催促したわけじゃ」
 するとメノリは目元ににじんだ涙をぬぐいながら、笑いを収めて口を開いた。
「反省しているんだろう?」
「え?」
 穏やかな口調に驚いて顔をあげると、あのときのように優しいメノリの顔があった。
「反省して、謝罪までした者をそれ以上叱る理由はないな」
 ふわりとメノリの顔に笑顔が浮かんだ。これからも一緒にがんばろうと、自分の手を包んでくれたときの笑顔と同じだ。
 本当に、メノリも、みんなも怒っていないのだと、許してくれたのだと、そのことがハワードの体に染みいっていく。
「でも」
 それでもほんの少し残った後ろめたさからハワードが言いつのろうとすると、メノリがふっと口の端をあげた。
「悪いと思っているなら、これからの態度で示すことだな。ルナも言っていただろう? これからはもっと協力しましょうと、な。今後は皆の迷惑にならないよう気をつけることだ」
 メノリはまだ笑っているが、もうさっきまでの柔らかいそれではなく、いつもの上から見下ろされるような腹の立つ笑顔になっていた。口調も嫌みったらしい偉そうなものに戻っている。
 けれど腹はたたなかった。むしろなんだかずいぶんと安心したようにな気分になり、ハワードもにっと笑って胸を張り、堂々と宣言した。
「もちろんがんばるさ」
「期待はしないが、がんばることだ」
 メノリの返答はまたも腹の立つようなものだったが、ハワードはそれを気にしないでおいてやることにした。そしてまたさっきの提案を繰り返す。
「じゃあとりあえず、ここの見張りはやってやるよ」
「寝ていろと言っただろう。すぐにカオルが戻る」
 メノリの答えもさっきの繰り返しだったが、ハワードは引き下がらずにさらに言った。
「じゃあ、カオルが戻るまでいる。見張りをしているメノリのボディーガードをしてやるよ」
 お前も一応女の子だからな、僕が守ってやるよとハワードが胸を叩くと、メノリは肩をすくめて苦笑し、ハワードの提案をなんとか受け入れてくれた。
「好きにするんだな」
 言葉は相変わらず厳しいものだったが、口調は柔らかかった。その上口元が確かに笑っていた。限りなく苦笑に近いものではあったが、ハワードは満足した。
 いつもそうしていればいいのに。
 唐突にそんなことを思ったが、それは言わずにおく。言ってみてメノリの反応が見たい気もしたが、このせっかくの雰囲気を壊すのはもったいない、とも思ったのだ。
 緊張が本当にほぐれたからだろうか。メノリが優しいからだろうか。散々寝たはずなのに少し眠くなってきた。宇宙船の壁に背中をつけて空を見ると、星と月がぼやけて見えた。
 カオルが早く戻ってくればいい。
 そうすれば見張りなんて押しつけて、柔らかいベッドで眠れる。
 でも、そんなに早く戻らなくてもいい。
 そんなことを思うハワードの首が何度か上下し、そしてゆっくりとまぶたが降りていった。

終わり

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