腹いせと冗談

 小さく音楽のかかった店内は暗くまた客の数も多かったので、待ち合わせた相手を探すのは骨が折れる様に思えた。しかしそんな心配をするまでもなく、カオルはほどなく自分に向かって手を上げる約束の相手に気付いた。
  暗い店内にもかかわらずサングラスを外さないのは、有名人としてのたしなみらしいが、どうみてもかえって目立っている。ほぼ満席の店内で決して少なくない視線が彼に集中しているのがわかる。そもそも顔を隠しても彼はその金髪が目立つし、何より胸のHのペンダントがいただけない。
 その隣に座り一緒に多くの視線をあびるのは少々ためらわれたが、どうせ自分を見ているわけではないからとカオルはハワードに手を上げ返し、ハワードの待つテーブルに向かった。

「遅いじゃないかカオル。忙しい僕を待たせるなんてどういう了見だ?」
 ハワードはカオルの顔を見るなりそう言った。
 しかし強めの口調とはうらはらにその顔は笑っているので、カオルも笑って答えた。
「まだ約束の五分前だ」
「僕より遅いってのが問題なんだよ」
 カウンターににひじをついてなおも言うハワードに、カオルはとりあえずそれ以上何も言わなかった。そしてハワードの前に置かれた鮮やかな色のカクテルにちらりと視線を落とし、店員にそれとは違うものを注文するとその隣に腰を下ろした。
「そんなに忙しいなら、オレより先に約束する相手がいるんじゃないのか?」
 グラスを受け取りながらのカオルの言葉にハワードは片方の眉をあげた。
「何のことだよ」
「美人女優と熱愛中なんだろ? ずいぶん報道されているそうじゃないか」 
 今一番触れられたくない話題を持ち出されてハワードは大きく鼻をならした。
「あんなの映画の宣伝のための話題作りだ。根も葉もないうわさだって、わかってるんだろ」
 それなのにまったくおまえもあいつも、とぶつぶつ言っているハワードを横目で見やってカオルは笑いをこらえる表情になった。
「何か言われたのか?」
「口をきいてくれない」
 もう一度ふんと鼻をならしたハワードの隣でカオルはハワードの言う「あいつ」のことを思い浮かべた。
 カオルにとっても学生時代からの友人である彼女の怒った顔を、カオルも見たことがないわけではないがきっと恋人に見せる顔は違うのだろう。
 しかし口をきいてくれない恋人の前で困り果てているハワードの姿は容易に想像できて、カオルはこらえきれず忍び笑いをもらした。
 そんなカオルに対し、ハワードはとことんしかめ面になる。
 なんとかやり返そうと、ハワードは椅子を回して体ごとカオルの方をむいた。
「カオルの方こそルナとはどうなってるんだよ」
 カオルはちらりと視線を流してハワードを見ると涼しい顔で答えた。
「三ヶ月ほど前に太陽系に行く仕事があって、顔を見てきた。さすがに地球の環境はひどい状況らしく、てこずっているらしい」
「そうじゃなくて、ちょっとは進んだのかって訊いてるんだよ」
「進んでるとは?」
「だから、ちゃんと言うこと言ったのかってことだよ」
「言うことって?」
「あーもう。だから好きだでもつきあってくれでも結婚しようでもいいけどそういうことだよ」
 だんだん大きくなっていくハワードの声とは対照的にカオルの口調は変わらない。表情も変えずに返答してくる。
「おまえが期待しているようなことはないな」
 なんだよ情けないといいたいところではあったが、ハワードは何も言わずにニ杯目のカクテルを注文した。その手の挑発が効かない事は今までの経験からよくわかっていたからだ。
 なので心の中だけで思いっきり情けないやつだと言ってやった。
 まったく心の底から何をやっているんだと言ってやりたいところなのだ。本当は。
 だいたいカオルがルナのことを好きなのは、(他の仲間達の証言によると)サヴァイヴにいたときからバレバレだった(らしい)し、気づかないのは当の本人(とハワード)くらいのもので、気づかないほうがどうかしている(と言われた)のだ。
 当然サヴァイヴから戻って落ち着いたら二人はつきあいだすんじゃないかと(みんなは)思っていた(そうだ)が、落ち着いても何もないどころか、在学中ずっと何もなく、卒業してから今までも何もないというのだ。(現在けんか中ではあるが)素敵な恋人を手に入れた自分とと比べるとなんとも情けないとしか言いようがないではないか。
 いや、まてよとハワードはあごに手をあてて考え込んだ。
 カオルのこの小憎らしいほどに落ち着き払った顔を見ると、案外二人はもうすでにいい仲になっているのかもしれない。
 そしてある日突然結婚式の招待状なんぞが届いたりするようなことになっているのかもしれない。
 なんだよ、そんなの冗談じゃないぞとハワードは腕を組んだ。
 そんな水臭いこと許せるはずがない。万が一そんなことになったらどうしてくれよう。
 突然黙り込んで百面相を始めたハワードをそのままに、カオルは空になったグラスを店員に渡し、ニ杯目を注文した。ハワードのマイペースぶりにはもう慣れていたので、こういうときはまたしゃべりだすまでほうっておくというのがカオルのいつものやり方だった。
 ハワードの考え事はなおも続く。
 そう、もし、ある日突然結婚式の招待状が届くようなことになったら。
 その時は、そうだ、スピーチでカオルのみっともなく情けないエピソードを遠慮なく披露してやろう。
 ずいぶんくだらない腹いせではあるが、思いついたハワードはすっかり上機嫌だ。嬉々として、まだ招待されてもいない結婚式の頼まれてもいないスピーチのために「カオルのみっともないエピソード」を思い出しにかかる。

一つ、体育の授業でハワードに対して反則をした。
一つ、オイルに滑って転んで尻餅をついた。
 うーん、こんなもんか?

一つ、ハワードの首をつかんで投げ飛ばした挙句、大海蛇の攻撃をジャンプ一番かわした。
一つ、ハワードの下げていたナイフを勝手に使って、大海蛇の目に命中させ、大海蛇を撃退した。
 ……他だ、他。

一つ、一人で突っ走ってオオトカゲに立ち向かった挙句、そのオオトカゲに負傷させられた。
 これは使えそうだな。

一つ、大きなカニに追われていたハワード達のピンチにかけつけ、石槍を投げて助けてくれた。
一つ、ハワードの作った竹の弓をいつの間にやら改造して使いこなした上に、脱獄囚と対等に渡り合い、つかまったハワードのことも助けてくれた。
一つ、異星人の機械相手に石のナイフで立ちまわりを演じ、見事に勝利した。

 ああもう、だめだだめだ。どれも使えない。

 いつの間にやら「カオルの武勇伝」になってしまっていた思い出の数々に、ハワードは自慢の金髪をかきまわした。
 使えそうだと思ったエピソードにしても、反則や尻餅のことを話そうとすればハワードにとっても都合の悪いことを蒸し返さなければならないし、オオトカゲの話も、考えてみればあのオオトカゲにとどめをさしたのはカオルなのだ。しかもそれでルナを助けているのだから、恥ずかしいエピソードどころか結婚式にふさわしい二人のなれ初め話ということになりかねない。
 腹いせとして話すには結局どれもむかないのだ。

 ぷしゅーと妙な音をたてながら、ハワードはしぼんでぺしゃんこになった。そうしてやはりひしゃげた声を出した。
「なあ、カオル」
「何だ?」
 カウンターにひじどころかあごまでのせてしまったハワードをあきれ顔で見下ろしながらも、カオルは先をうながした。
「おまえさ、なんかやたら強かったろ? ドローンも石で倒しちまうし。なんか武術とかやってたのか?」
 するとカオルはすっと目を細め険しい表情になると、その顔でハワードを見下ろした。
「な、なんだよ」
 射るようなカオルの視線にハワードはびくりと体を起こす。カオルはそんなハワードを強い視線でとらえたまま声を落として言った。
「少し前に公開されていた、おまえも出ていた映画なんだが」
「あ? ああ」
「弥七とか飛猿とか出ていたやつだ」
「ああ、あれか。ちょっと変わったジャンルの映画だったから、撮影も楽しかったぜ?」
 それがなんだといぶかしげなハワードの耳元に顔をよせると、カオルはさらに声を落としてささやくように言った。

「実はオレはそういったニンジャの末裔なんだ」

「そうなのか?!」
 ハワードは勢い良くカウンターから体を起こしてカオルにつめよった。
 バンとカウンターに両手をたたきつけた音と、ハワードの大声に店内の視線がいっせいに集中した。
 それにかまいもせず身を乗り出してカオルの顔を正面からのぞきこみ、両肩をつかんで前後にゆさぶる。
 鼻と鼻とがくっつきそうな勢いで真剣に尋ねてくるハワードに、カオルは何度か目をしばたかせると、勢い良く吹き出した。
「そんなことあるわけないだろう」
 そして目を丸くするハワードの前で腹を抱えて笑い出した。
「な、なんなんだよ、おまえは!」
 ようやく我に返ったハワードが抗議の声をあげても、カオルはどうも変なスイッチが入ってしまったらしく、カウンターにつっぷして笑い続けている。
 ほんとになんなんだよと、ふくれっつらでハワードはグラスを空け、おかわりを注文した。

 だけど、でも。
 こんなふうに冗談を言ったり、声をあげて笑ったりするカオルなんて、サヴァイヴで過ごす前は考えられなかった。こんな光景を見られるようになったというだけでも、やはりサヴァイヴで過ごした日々は、たいへんだったけど、けっして不幸な出来事ではなかったんだと、ハワードは改めて思った。


「で、いつまで笑ってるんだよ」

終わり

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