不意の来客

 来客を告げられ応接間のドアを開けたメノリは、上座のソファに足を組んで踏ん反り返る客の様子に眉を寄せて腕を組んだ。
「ずいぶんな態度じゃないか、ハワード」
 非礼を咎められたハワードは片手でかけていたサングラスをとると、そのままサングラスごと片手を上げて一言、
「スターだからな」
 と、言った。
 悪びれないハワードの言葉に、メノリは表情をゆるめると、相変わらずだなと言って腕を解いた。
 
 運ばれて来たコーヒーにミルクを注いで一口含み、その香りに満足そうに目を細めてメノリは口を開いた。
「珍しいじゃないか。こっちには仕事で来たのか?」
 ハワードはメノリよりもたっぷりミルクを注ぎ砂糖もたっぷり加えながら答えた。
「いや、休暇だ。新作映画の撮影が終わったんで、ちょっとまとまった休みがもらえたんだ」
 そして、そんなにミルクと砂糖を入れたらコーヒーの風味が損なわれると渋い顔をしているメノリにかまわず、さらに砂糖を追加すると、うまそうにコーヒーを一口すすった。
「そっちこそ忙しいようだな。三日前に来たときは出張って言われたぜ」
「ああ、無駄足を踏ませたそうだな。すまなかった。最近ようやく色々仕事をまかされるようになったので、今では一人で動くことも多いんだ」
「へえ、議員様はやっぱり忙しいんだな」
「まだ議員じゃない」
 からかうようなハワードの口調に気分を害することもなく、メノリは生真面目に訂正した。
「お前の方こそ、忙しいんだろう? 人気も高いと聞いているが」
「だろうー? 聞いているー?」
 ハワードはカップを置くと、語尾を極端に上げた奇妙な口調でメノリの言葉を繰り返した。その上体をやや前に倒すと、下から上目づかいでメノリをにらみあげる。
「だろうじゃなくて、実際目が回るほど忙しいし、人気だって実際すごいんだ。メノリ、その様子だと僕の出演作見てないだろ?」
 それはほとんど図星だったので、非常に珍しいことにメノリはややうろたえた。いつも真正面から人をとらえる視線をうろつかせ、とぎれがちに言葉を探す。
「いや、その、ほら、あれは見たぞ。ほら、少し前にやっていた地球時代の双子の国王をえがいた」
「鉄仮面か?」
「そう、それだ。ちゃんと覚えている。いい映画だった」
「だろうー? あれは僕もいい演技ができたと思ってるんだ。主演男優賞は逃したけれどな」
 自分の出演作をメノリがまったく見ていないわけではないと知って、ハワードの機嫌がやや戻った。得意げに鼻が上に向く。
 しかし、それも長くは続かなかった。続くメノリの言葉が期待したものではなかったからだ。
「ああ、時代背景や風俗の考証もしっかりしていて、衣装や小道具も凝っていて見ていて興味深かった。名前は覚えていないんだが、枢機卿を演じていた俳優の威厳には圧倒されたな」
「……僕は?」
「ん?」
 眉間に深いしわを寄せ、腹の底から出した低い声でメノリを問い詰める。
「僕のことは覚えてないのか?」
「あ、いや」
 再びうろたえたメノリの様子にハワードの機嫌は急降下。もう底が見えるほどだ。
「見てなかったのか、僕のことなんて」
 やや乱暴な音を立てながらカップを手にしたハワードの前で、メノリがほんとうに珍しいことに小さくなって視線をさまよわせた。
「いや、見なかったわけじゃない。ただ、スクリーンに知った顔が映るというのは何かどうにも気恥ずかしくなるものだ。昔のことも思い出すし、映画に集中しづらくて、つい他のものの方に目がいってしまっ…」
 ガチャンとさっきよりも大きな音をさせてハワードがカップを置いた。
「昔の事って、どんなことだよ」
「ハワード?」
 一気に荒くなったハワードの語気に驚いて、メノリはハワードの顔をのぞきこむ。ハワードはそのメノリの顔を射抜くように強い視線でとらえた。
「わがままで役ただずでおくびょうものの僕のことか? あんなに情けなかった僕が真面目な顔して演技しているところなんて、おかしくて見られないってのか!」
「ハワード、それは」
 ハワードの言葉をさえぎろうとしたメノリにかまわず、ハワードはかみつくように言葉を継ぐ。
「どうせ、そうなんだよな。メノリにとってずっと僕は役立たずで手がかかるお坊ちゃんなんだ。一人前の男だなんて思っていないんだろ」
 そしてすでに半分腰を浮かしていたソファから完全に立ちあがると、何も言えずにいるメノリに最後の言葉をたたきつけた。
「だから、僕がお前を好きだって言っても、本気になんてしやしないんだろ!」
 流れた沈黙が長かったのか、短かったのかわからない。ただ荒くなった呼吸が戻ったころ、ハワードはどすんと音をたててソファに腰を下ろした。そして音を立てずにカップを持ち上げる。すっかり冷めてしまったようだが、残りのコーヒーを飲み干したら帰ろうと思ったのだ。
 ハワードが冷めたというより冷え切ったコーヒーに口をつけると、メノリが口を開いた。
「お前が一人前でないなどとは思っていない」
 あまりに穏やかなその口調に、ハワードが口からカップをはずして視線をあげると、穏やかなメノリの表情がそこにあった。
「メノリ?」
 その心情を図りかねてハワードが小さくつぶやくと、メノリはいつもより少しだけ大きい声で話しかけてきた。
「さっき休暇だと言っていたが、今夜の予定は入っているのか?」
「いや、なにもない」
「それなら夕飯を一緒にどうだ。気に入っている店があるから予約を入れておく。今日は私も早く終わる。7時半でいいか?」
 空になったカップを手に持ったまま、ハワードはしばらく動かなかったが、カンと高い音をさせてカップを置くとソファの上で胸をそらした。
「いいぜ、じゃあ7時ごろ僕が車で迎えに来てやるよ。大スターの僕が迎えに来るんだからな、ちゃんとつりあう格好をしてくれよ」
 ソファの背に両手をかけてふんぞりかえるハワードに、メノリはカップを手にして軽くかかげてみせると、
「努力しよう」
 と言って、冷たいコーヒーを飲み干した。

終わり

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