父の日の花

「ねえ、ヒカル。父の日はどうする?」
 あかりにそう尋ねられても、ヒカルには答えようがなかった。何も考えていなかったからだ。

「別に、どうもしない」
 だから正直にそう答えた。
 ヒカルには母の日や父の日に何か贈り物をするような習慣はなかった。幼稚園や小学校で両親の似顔絵を描かされたことがあったが、それすらもちゃんと渡したかと尋ねられれば渡さなかったような気がするくらいだ。イベント好きの女性と違って、男なんてそんなものじゃないだろうか。

 しかしあかりがそんな返答で許してくれるわけもなかった。そういうわけにはいかないでしょと、再考を求めてくる。しかしヒカルの方もだからといって良案が浮かぶわけもなかった。それでもあかりを無視するわけにはいかず、うんうんうなりながら知恵をしぼる。そうしてヒカルはなんとか参考になりそうな話題を思いついた。
 
「母の日は、なんかしたっけ?」
「カーネーションのアレンジメントを送ったよ。ちゃんと言っておいたでしょ?」
「ああ、そういやそうだっけ」

 ちょうど一ヶ月ほど前、もうすぐ母の日だからカーネーションを送っておくねとあかりに言われたような記憶が、そういえばある。あかりは自分の実家の分とヒカルの母親の分とを一緒に手配してくれたのだ。やっぱり娘がいると違うわねと、ヒカルの母はやたら感激していた。
 そこまで思い出せば、父の日を無視するわけにはいかないなと、ヒカルもようやく思った。母親があれだけはしゃいで大騒ぎした分、きっと父親の方も期待しているに違いない。面倒だとはやっぱり思うけれども仕方がない。
 何を贈るのがいいのかと、一応頭を動かし始めながら、ヒカルはとりあえずもう一つ質問を投げてみた。

「父の日の花っていうのはあるのか?」
「一応バラがそうみたいだけど、ヒカルのお父さん、バラなんてもらって喜ぶ?」

 首を傾げながらのあかりの言葉に、ヒカルは苦笑いをこぼした。いくらあかりからだといっても、さすがにバラは喜ぶ前に持てあますだろう。

「あかりのとこはどうするんだ?」
「私はお酒にしようかなって思ってるんだけど」
「ああ、じゃあ俺んとこもそれでいいや」
「そうする? ヒカルのお父さんの好きなお酒って何だっけ」

 そこまで考えるのかとヒカルがうんざりした声を出すと、あたりまえでしょとぴしゃりと叱られた。
「一人前に育ててくれた感謝の気持ちを伝える日なんだから、ちゃんと考えて」
 自分を一人前に育ててくれた人と言われて、ヒカルの心に一番に浮かぶのは実は両親ではない。だから父の日の贈り物と言われても身が入らないのかもしれない。
 そんな親不孝なヒカルだったが、あかりの言葉には素直にうなずいた。自分の親にだけ贈ったっていいのに、夫の両親のことまで大事に考えてくれるなんて非常に良くできた妻なのだ。ないがしろにしては罰があたる。
 少し考えてから、ヒカルが父の好きなビールの銘柄を答えると、あかりはようやく笑ってヒカルをこの話題から解放してくれた。
 母の日の時のように一緒に手配しておくと言うあかりに、よろしくと頼みながらヒカルは、両親ではない、自分を一人前に育ててくれた人に思いを馳せた。
 彼が酒を好むのかどうか、まだ子供だった自分は尋ねたことがなかったが、なんとなく酒には弱そうな気がする。

 あいつだったら、いっそバラでもいいかもしれないな。

 どうせ飲み食いできないんだしとバラの花と彼の顔を頭の中で並べて、やっぱり合わないかとヒカルは小さく吹き出した。
 父の日にはあの蔵に、一局うちに行こうか。確か仕事は入っていなかったなとヒカルは壁にかかったカレンダーに視線を移した。

 その時はバラの花束を持って。

 

終わり

ヒカルの碁の部屋に戻る