「なあ、あかり、オレのこと好きか?」
「好きだよ」
突然のヒカルの問いに一瞬の躊躇もなくあかりは答えた。
けれどヒカルは満足しなかったらしい。
「どれくらい好きだ?」
臆面もなくさらにそんなことを訊いてくる。
さすがのあかりも少しあきれたが、それでもきちんと答えた。一片の偽りもない気持ちを、である。
「ヒカルが私のこと好きでいてくれる、その100倍くらいかな」
するとヒカルは不満げに顔をしかめた。
「……そこは同じくらいって言えよ」
けれどあかりは譲らなかった。
「同じじゃないよ。100じゃないなら10000倍でもいいよ」
ますます渋くなるヒカルの表情に笑いをこらえながら、あかりは口をとがらせてみせた。
「だって、こんなに長い間ほったらかしにされても怒らない恋人なんだよ?」
私の方がたくさん好きな証拠でしょうと続けてやると、ヒカルはバツの悪そうな顔をした。あかりをほっておいたという自覚はあるらしい。
あかりは今日、ヒカルを訪ねて彼の部屋に来てから先ほどの質問を受けるまでに、ヒカルにかけてもらった言葉が一つしかないのだ。
「よう」
部屋に入ってきたあかりに手を挙げて軽く一言。それだけ。
手を下ろすと、ヒカルはあかりが来る前から手にしていたらしい一枚の紙に視線を戻し、厳しい顔でそれに集中すると、それきりあかりが居ることなど忘れたかのようにそれとのにらめっこを続けていたのだ。
それは棋譜ではないが碁に関係することが書かれたものだとあかりはわかっていたので、文句も言わずに持ってきた雑誌をその隣で読みながら大人しくしていたところ、いきなり最初の問いをぶつけられたというわけだった。
「……悪い」
あかりが口をとがらせたままでいると、ヒカルがそう言って謝ってきた。眉の下がった情けないその顔に、けれどあかりは笑って首を振った。
「いいよ」
「え?」
何がいいのかと怪訝そうなヒカルに、あかりは謝らなくていいよともう一つ笑顔を贈った。
「だって、私はヒカルのことが好きなんだから。いっぱい、いっぱい好きなんだから、少しくらいほっておかれたって大丈夫なんだよ? ヒカルは私のことなんて気にしないで、ヒカルの好きなことを好きなだけやってくれたらいいの。そんなことくらいで嫌いになんてならないから。ヒカルは私の100分の1、私のこと好きでいてくれればそれでいいよ」
こんなことを言ったと知れればあきれるに違いない友人の顔が、いくつかあかりの頭に浮かぶ。
男は甘やかすとろくなことないよー?
そんなふうに助言をくれる友人達は、きっと頭を抱えて馬鹿だねって言うのだろう。
でも、いいの。
あかりを心配してくれている友人達にも、あかりは心の中でそう言った。
だって、好きなんだから。甘やかしていると言われようと、ろくなことがないと言われようと、あかりはヒカルのことがたくさんたくさん好きなのだから、もうそれは仕方がないのだ。
だから気にしないでねと言ったのに、ヒカルは手の中の紙で顔を覆うと天を仰いだ。
「いいわけないだろ」
「え?」
紙の下から低くこぼれたつぶやきに、今度はあかりが尋ね返すと、顔から紙をはがしたヒカルが手を伸ばしてきた。そうしてヒカルはあかりの頭を引き寄せて自分の胸に抱え込むと、違うからなと言った。
「100分の1なんかじゃない。ちゃんと同じだけ好きだから」
「うん」
ヒカルの胸のなかであかりはうなずいた。
ほら、『ろくなことない』なんてことない。あかりは充分幸せだった。
「でも、急にどうしたの?」
あかりがもっともな質問をすると、ヒカルは少し顔を赤くしてそっぽをむいた。
「ちょっと自信を取り戻そうと思ったんだよ」
「?」
よくわからなかったが、ヒカルがそれ以上は訊いて欲しくないようだったので、あかりは詮索しないことにした。
ここのところ黒続きだったヒカルの星が、この日を境に白く続くようになったことを、結局ヒカルはあかりに言わなかった。