プロになって長くなったが、ヒカルには一つ苦手なことがあった。
それはテレビに映る自分を見られること。
初めのうちは全然気にしていなかった。テレビで放映されてもされなくても自分のすることは変わらないし、「ヒカルがテレビに映るなんてすごいよ」なんて無邪気に感心されるのも悪い気はしなかった。
しかし幼なじみが録ってくれたビデオで初めて画面に映る自分を見たとき、ヒカルは思わず頭を抱えてしまった。
通常テレビで放映されるような「ちゃんとした」トーナメントには「それなりの」プロしか出られない。だから、そこにヒカルの年齢とキャリアで出場するのはすごいことなのだ。
が、しかし、それゆえに。
同世代の棋士の中では出世頭の一人と自負する(それは一応事実でもある)ヒカルでも、テレビで放映されるのはたいていが負ける姿。その上そんな場ではくだけた格好は許されず、ヒカルもスーツを着ることになるのだが、プロになって長くなってもまだまだスーツに着られている状態のヒカルは自分で見ても格好いいとはとうてい言い難かった。
だからとうとうある日「見るな」と言ってみたのだが。
「なんで?」
きょとんとした顔でこちらを見上げてくる幼なじみにヒカルは顔をしかめた。ヒカルが出るときは必ずテレビの前に座り、その上ビデオ録画も欠かしたことがないというのだから始末が悪い。
なんとか適当な理由をつけようと考えるが、うまい言い訳が思いつかない。例えば気が散るとか言ってみても説得力がまるでない。テレビの前で彼女が何をしようとヒカルにわかるはずはないし(第一ほとんど生放送じゃない)、そもそも打っているときのヒカルの気を散らすことができるものなどないのだということは彼女もよく知っている。
「……カッコ悪いから」
どれだけ考えても何も思いつきそうになかったので、仕方なくヒカルは渋い顔で本音を言った。
すると不審そうに首をかしげていた幼なじみは目を丸くした。そしてその表情のまま理解できないという口調で言った。
「ヒカルはかっこいいよ?」
「あ?」
何を言われたのかすぐに理解できず、今度はヒカルが不審そうに眉を寄せた。
「ヒカルはかっこいいって」
わかってもらえてないと見るや両手を握ってさらに身を乗り出して力強く繰り返す。真剣そのものといったその表情にヒカルはようやく言葉の意味を理解した。が、それに何と言って応えればいいのかがわからず、ヒカルはつと視線を上にそらした。
「えーと、あー」
天井の隅を見上げて単語以下のつぶやきをもらすヒカルに、幼なじみの少女の方も我に返ったらしい。たちまちその頬が真っ赤に染まった。そうして彼女の方は下に視線をそらし、じゅうたんに指を滑らして意味の無い記号を書き出した。
そんなふうにしばらく二人してあさってを向いていたが、やがて彼女の方が顔を上げた。
「あのね、嘘じゃ、ないからね?」
まだまだ赤い顔のまま本当だよと繰り返す。そんな一所懸命な彼女の様子に困惑していたヒカルの体から緊張が抜けた。思わず口元がゆるみ、ふ、と苦笑に近い形で吹き出した。
「ほ、本当だってば」
「わかったわかった」
笑わなくてもいいじゃないと軽く機嫌を損ねてしまった幼なじみをなだめるように手を振りながら、ヒカルの方は上機嫌だった。くだらないことを気にしていた自分が馬鹿みたいだ。というより本当に馬鹿なんだろう。最初から自分でもわかっていたように、テレビにどんなふうに映ろうが、自分のすることは変わらないのだから。
ただ、どうせならよく映っていた方が気分がいいというだけのこと。そう、気分がいいのだ。
「けどな、ビデオはやめとけ」
一応そう言ってみたが、彼女のうなずきは返ってこなかった。